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自らの命を絶つということ

私には、パートナーがいる。私のパートナーの取引先の彼女さんが、命を絶ったというのだ。

あまりにも急で、私たちにはピンとこなかった。

しかし、数日後、取引先の人から連絡がきた。

体調の悪そうな声で、電話がかかって来たけれど、やっぱり本当だった。

ビデオ通話になって、見せてくれたのは、彼女の遺影。悲しそうな声で、彼女を呼ぶ声。私には、涙を流す以外できなかったけれど、元気な声で、最後まで話続け、終話した。

彼氏さんに、辛いことを言われて命を絶ったらしい。あくまで決定的なことは、言われず、死んでしまった理由は推測だけれど、それでも悲しかった。

私は、彼女とは会ったこともなく、少しだけ電話で話しただけだったけれど、それでも遺影を見た瞬間、涙は流れ、この世に彼女がいないことを思い知らせたのだった。

そんな出来事があり、私は彼女がやっていた仕事を受け継ぐことになった。たまたまだけれど、それでも私なりに続けていきたいと思う仕事の一つである。

私は、何度も死にたいと思ったし、親を殺してしまおうかと思ったこともある。

だけれど、実際には生きていて、死ぬことはできなかったし、殺すこともしなかった。

だから、人が死んでしまうことの驚きと、簡単に人はいなくなるんだという気づきと、いなくなった虚無感を知った。

そこまで関わりのない彼女だったけれど、尊敬する人である、そんな彼女がいなくなってしまったことが悲しくて仕方がなかった。

誰かと、この話を共有したかったけれど、うまくできない自分がいた。うまれた感情をうまく消化しきれなかった私は、今こうやって吐き出すために書いている。

ここまでのことがなければ、もやもやとした感情がでないのかとも思ったけれど、今回のことはどうしても処理できなかった。

人がいなくなることが、どれほど悲しいのか、虚無感が生まれるのか、景色が変わるのか。

伝わっていないようなこのモヤモヤをどうにか消してしまいたいのだけれど、どうにもならないようで悲しい。

どうか、彼女が安らかに眠れることを祈るのみ。

後日、彼女の家にお花を贈った。天国に届けばいいなと思うし、取引先の人が元気になれればいいなと思っている。

人が自ら命を絶つということが、こんなにも悲しく辛いのなら、私は笑って生きていたいと思えたのだ。

少なくとも周りにいてくれる人がいるから、元気に健やかに生きていたいと思う。

幸い、希死念慮もなく、元気に暮らしていけているわけだから。

共に住む仲間と笑いあいながら、元気に生きていきたい。

私の最近の報告でした。

読んでくれた人、ありがとうございました。

読んでくれたあなたも、悲しむ人がいるから、元気に生きてね。ぜひ、お願いね。



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