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当たり前が覆った日々が教えてくれたこと〜伝える営みと愛の連鎖〜

💡この文章は、Webスキルに特化した女性向けオンラインスクール「SHElikes」の、エッセイライティングの課題テーマに沿って執筆したものです。
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テーマ:「家族と贈り物にまつわるエッセイ」
想定読者:20代後半〜30代男女
依頼背景:毎月1日を「家族の日」として制定したい。この日に合わせて、読者が「家族のことを考え、贈り物をしたいな…」と思うようなエッセイを掲載したいです。直接的に”贈り物をしましょう!”と言及する必要はありません。大事な家族のことを考え、思い出してしまうような、家族と贈り物にまつわるあたたかいエッセイをお願いいたします。
字数:2,000~5,000字
与えたい読後感:家族に対して思いを馳せる。あたたかい気持ちになる。

薄水色の四角い建物、細長く伸びる白の煙突、群青色に広がる海。
何度も見てきた美しい景色に、不気味な黒い気体が高く高く広がっていく。

「燃えている、、煙?」

当時20歳だった私には、何が起きているのか全く分からなかった。

ただ、小さい頃から慣れ親しんだその海と、何度も連れて行ってもらった、原子力発電所の見学施設。そして、発電所に隣接する展望台にも、数えきれないほど遊びに行った。

その景色が今まさに、テレビ画面に映し出されていた。

「昨日の地震の津波で、原子力発電所が爆発したんだよ」

「もう福島のばあちゃんちには、一生帰れないかもしれないね」

福島で生まれ育った父は、淡々と私に教えてくれた。
2011年3月12日。東日本大震災から一夜明けた日の出来事だった。

そのときの父の表情は今でも忘れられない。
人って、本当にショックなことが起きたとき、感情も失ってしまうのかもしれない。

私はそこまで伝えてもらって、ようやく理解した。

原子力発電所が爆発したことで、放射能が周囲に漏れてしまったこと。
原発から3Kmも離れていなかった祖母の家には、これから未知数の期間、もしかしたら永遠に帰れないだろう、ということだった。

幸いにも祖母は、震災が起きる1ヶ月ほど前に亡くなった。

だから私たちは、ちょうど震災の1ヶ月前に、その祖母の家に親戚一同で集まり、葬儀をした。平屋の古い日本家屋。そして、広大な畑に囲まれていた祖母の家。

「たった1ヶ月前、あそこに全員が集まっていたのに」

「パパ、きっと定年退職したら、ここに移り住んだり、ばあちゃんが大事に育ててきた畑をやろうと思っていたよね」

「ばあちゃん、亡くなっていて良かったかもしれないね。大事な場所があんなことになっちゃうなんて、そんな姿見なくてよかったのかもね」

そんなことを連日、双子の妹とたくさん話した。

そしてたくさんのことを胸に刻んだ。

「当たり前のことなんて、ひとつもない。今この場所も、大事な家族や友人も、当たり前のように描いていた未来も、一瞬にして無くなってしまうことだってある」

「だったら、いつそうなってもいいように、今この瞬間を後悔しないように、大切に、一生懸命に生きたい」

「大事な人にはちゃんと大事だよって、いつも伝えていたい」

これらの気持ちは今でも持っている。
私の生き方に大きく影響を与えてくれた、苦しくも大切な出来事だった。


福島県双葉町にあった祖母の家の畑にて。現在は汚染タンクが並ぶ国所有の土地へ。
原子力発電所に隣接する双葉海水浴場にて。

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2020年2月下旬。

私は30歳になろうとしていた。
大学を卒業し、実家を離れ都内に暮らし、就職もした。

仕事もプライベートも充実しており、とても忙しい毎日を送っていた。

そんな中で、突如始まった新型コロナの大流行。
終わりの見えない隔離生活やマスク生活。

”会いたいのに会えない” というもどかしさに苦しんだ人も多かったと思う。私もそのうちの1人だった。

10月頃、父から、母がコロナにかかった、という連絡を受けた。

連日、コロナの感染者数や死亡者数が報じられており、父と母の年齢を考えても、「万が一のことがあったら……」と本当に心配だった。

普段ならすぐに実家に帰れたけれど、都内からの地方帰省はまだまだ制限されており、そして、家族でさえも母が入院している病室内に入ることは許されなかった。

「このまま母に会えないまま、万が一のことがあったら……」

「私、最後に母とした会話、何だったっけ」

「まだまだ伝えたいことや、一緒に行きたいところ、たくさんあるよな」

「どうして、いつも、こうなってからじゃないと大切さに気付けないのだろう」

3.11のときに痛いほど感じた「当たり前のことは当たり前ではないのだ」ということ。

忘れたわけではなかったけれど、忙しい日々の中で、どうしても気持ちは薄れていた。

特に家族の存在。

親元を離れて自律していると、自分のことでいっぱいいっぱいだけれども
家族が健康でいてくれることだって当たり前じゃない。

「これからは、ちゃんと家族への感謝の気持ちを伝える習慣をもとう」と強く思った。

母はその後、無事に退院した。今も元気に過ごしている。

私はそれから間もなく、お花の定期便サービスを始めることにした。
2週間に1回、季節の花束を定期配送してくれるサービスで、実家に届くようにしている。

お花好きな母は、毎回その花束を生花にして、私に写真を送ってくれる。こうして、忙しい日々の中でも、そのお花のおかげで自然と連絡が取れるようになった。

父からも毎回「ありがとう」というメッセージをもらうので、そのタイミングで近況を話す良い機会になっている。

離れていても、会えなくても、「大切に思っているよ」ということを、これからもちゃんと伝え続けていきたい。


母からのLINE

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2023年11月。

結婚した私は、この1〜2年くらいで子供が欲しいなと思い始めた。
不思議なもので、何か欲しいものができると、街中でその対象が、やたら増えたように感じるものだ。

先日たまたま電車に乗っていたときに、とある駅で1人のご老人が乗ってきた。そのご老人は窓側に移動すると、すごくうれしそうに誰かに手を振っていた。よく見ると3歳くらいの男の子が、母親と一緒に楽しそうに手を振っている。

「あ、お孫さんなんだ」

電車が動き始めた。
老人は、その子と母親が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。
本当に幸せそうに手を振っていた。

もう見えなくなったのか、移動してきて、たまたま、私の目の前の席に座った。
思わず表情を見てしまう。

まだ、笑顔だった。
心から幸せを感じているような、穏やかで優しい笑顔だった。

「そういえば……私のじいちゃんばあちゃんも、見えなくなるまでずっと手を振り続けてくれていたな」

「私たちが見えなくなってからも、こんな表情でいてくれたのかな」

不意に祖父と祖母のことを思いだし、そう思うと、私まですごく温かな気持ちになった。

そして、「これが愛なんだな」と思った。

「あの男の子も、私も、そしてきっと皆、本当に愛されて生まれてきて、周りの人達からもたくさんの愛情を受けて育ってきたんだ」と思った。

別の日。
もうすぐ2歳になる息子がいる、女性の先輩のお家に遊びに行かせてもらった。

3年ほど不妊治療をしていて、ようやくできた息子さん。
辛そうな時期もよく見ていた。

2歳近くになると、男の子は本当に元気だ。

家中を駆け回って、はしゃいで、また駆け回って、を延々と繰り返している。駆け回り終わると、必ず先輩の膝に抱きつくのだった。

そして、息子さんが膝に抱きついてくるたびに先輩は、

「よしよしよし、〇〇くんはママの1番の宝物」

「〇〇くん大好き。ママの宝物。愛してるよ」

と、本当に優しい口調で息子さんをハグしていた。

きっとその息子さんには、まだその言葉の意味がわかっていない。

だけど、そうやって抱きしめられるたびに、息子さんはすごく幸せそうだった。

先輩は、何度息子さんが抱きついてきても、例え、1分の間に2、3回と抱きついてきても、必ずそうやって優しく抱きしめて声を掛けていた。

もう言葉にならなかった。込み上げてくるものを必死で堪えた。

「やっぱり愛なんだな」

自然と自分の両親の姿を重ねた。

「私も、きっとこうやって、たくさん愛されてきたんだな」

両親への感謝の気持ちとともに、「これからできる自分の子供にも、たくさん愛を注いでいきたい」と強く思った。

愛が連鎖するとは、こういうことなんだ。


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たくさんの愛を注いでくれた両親や家族に、その存在を決して当たり前だと思わずに、ちゃんと感謝を伝えられる人でありたい。

だって、本当に当たり前のことは当たり前じゃないから。
この世に当たり前のことなんて、きっと一つもないから。

そして、愛を連鎖させていきたい。
私に送ってくれたたくさんの愛を、今度はちゃんと私が送っていけるようになりたい。

自分を育ててくれた家族、自分がこれから作る家族に、「あなたは大切な存在だよ」ってちゃんと伝えていく営みを大事にしていきたい。

あなたは、家族にどんな愛を伝えていきたいですか。


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