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裏方から観たアメゴー#11

ポッドキャストの裏方をしているおニューのわら人形と申します。
そろそろ日本も気温が下がって来ているのでしょうか?
とはいえ、夏のような日が戻ってくる日があると聞きます。
体調崩されたりしていないでしょうか?

アメゴー#11ではNAKAMURAさんが留学を始めるに至った経緯をお話しされていましたね。

この回で僕個人的に重要なメッセージだと思ったのが、『学振DCに落ちている』という点です。
学振DCとは、本編でも説明されていますが、
簡単にいうと、日本学術振興会という文科省系の組織が、大学院生を対象に給与や研究費を支給するフェローシップです。
しかし、採択率は約20%と高くなく、またこれに代わる額の支援を得られるかは研究分野や所属機関のシステムなどの支援の環境に左右されることから、
学振DCを獲得できず、博士への道を諦める方がいらっしゃると聴きます。

実際に9月末、学振の結果発表の日、xでは合否に関してのコメントが溢れていました。
その中には、
「学振落ちた。研究者としての才能はないのかな」
「博士課程への進学を諦めて就職します」
などなど。

こういったタイムラインを見て、NAKAMURAさんと「いつか自分たちの学振の経験を話せると良いね」と話していて、こうして形になりました。

さて、経済的な部分に関しては、それぞれの家計の事情があるのでコメントはできませんが、
学振以外にも学生支援機構や民間財団の奨学金など支援は存在します。
とはいえ、将来に借金を残したくないという気持ちもわかります。

一方、少なくても学振の合否如何で「才能がない」と言い切ることはできません。
「履歴書みたいな紙で、俺の何がわかるんだよ」って思うのは、この場合はダサくないと思います。
学振の申請書は申請者の提出時点でのライティングスキルが評価されます。
そこに実際の計画実効性や技術などは含まれません。
また具体的な言及は避けますが、評価者についてもその資質に疑問を持ったことがあります。
つまり、学振DCの合否は申請者の研究の才能について評価するようなものではないと考えます。

本編で何も語らない僕が、ここまで10分もかからず書けてしまうのは、僕自身も学振DCなんて通ったことがないからです(ドヤ!w)
M2の頃、社会に出て自分でご飯食べれるようにしないとと思い、内々定をもらった企業がありました。
そこの研究員さんがいろいろ相談に乗ってくださり、未来のために博士号を取るべきであることに気がつき、
そこからバイトして一年分はなんとかなるくらいの小金で、博士課程に進学しました。

その後は、通らない学振を前に、ウイスキーロックを今では引くほどの量飲んで記憶をリセットしながら貧困妄想と戦っていました。
98円の小松菜と200円しないしらすがお友達でした。(アメリカではなかなか買えないので恋しいです)

初めて出した学振DC2に落ちたD1の冬(DC1は出していなかった)、
名古屋は川名公園の交差点、住宅展示場はこちらの看板を持って、ほぼスノボの格好してパイプ椅子に座っていました。
看板を自分に立てかけ、印刷してきた数本の論文を読んでいました。
8000円の給料はもらえましたが、身体は冷えたし翌日は腰も痛くなりました。
身体が資本という言葉が骨身に染み、このバイトは辞めました。

その後、D2からは学振には縁がなかったけども、一般の奨学金を受け取ることができるようになり、なんとか博士課程を完走することができたのです。

M2で就活してた頃は全く思ってなかったけど、気が付いてみれば、こうして海外でポスドクとして働いています。
もちろん今でも自分に研究者としての才能があるかは分からないし、もう10年くらいこの業界にいるのに分かってないのなら、ないのかもしれません。

学振を落ちた時に全てを諦めていたら、今のこうしたキャリアは築けませんでした。
もし、今回の配信を学振に落ちた方で聴いてくださった方がいらっしゃれば、立ち止まって考えてみてください。
「もう少し、研究に食らいついてみたい」
「博士号を目指したい」
経済的な部分以外の環境が揃っているのなら、他の奨学金を探す、バイトを頑張る、休学する(全て言うのは簡単ですが、、)など解決策を見出し、納得の行くとこまで挑戦してみてください。

あなたの挑戦の先にアメリカ留学がチラつくなら、ぜひご相談など送っていただければ喜んでお答えします!
この配信音声が誰かに勇気を与えることがあれば嬉しいです。

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