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驟雨

毎日毎日、書き続ける私の女々しい愚痴に目を向けてくださている皆様ありがとうございます。まさかの20本超えてしまいました。
まったく持ってこの先不明ですが。スキして貰ったら励みになります。感謝。


心の叫びというものは身体にはっきり出てくるものだということが身に染みる。

先ずは潜在的意識だ。
どのように考えないようにしても、
頭から必死で振り払おうとしても、
どうしたって子ども達の夢を観てしまう。
コレはもうどうしようもない。

そして、目が覚める。

微睡の中での子どもへの愛、いや執着心だろう。
失いたくない、抱きしめたいがそばにいない。
朝起きるたびに毎日、悲壮感という地獄に突き落とされる。


それが少しずつ積み重なって、
身体に色々な状態が現れてくる。
一言で心の落ち込みなんていう甘いものではない。

先ずはやはり頭である。
過度のストレスに耐えきれないのだろう。
左目をエグるような強烈な痛みを伴う頭痛。
はじまると立つことさえ、歩くことさえままならない。
これには身体も心も流石に萎える。
左目を抉られる痛みに身悶えしながら、強烈な痛み止めが効くのを耐えてまつ。
この薬はペインクリニック(麻酔科)からの処方で一種の麻酔薬だ。
正直、ここ毎朝で心が折れる。

梅雨に入り空は曇っている。
私の心と同じように薄暗くどんよりして重たい。

幸福感というものはどんなものだったのか?
正直なところ、思い出せない。
当たり前だった風景、当たり前だった光景はもうない。

うるさいと思えていた子ども達の声はもうなく。
静粛な休日の病棟内で過ごす時間は私にとって心が休まるところではない。

今味覚もほとんどない。
何を食べても。
ざらざらとした食感しかない。
味がしないだけではない満腹感すらなく。
時折り嘔吐感もあり、身体が食べ物さえも受付なくなって来ている。
本当にただただ生きる為に胃にモノを流し込む作業。

恐らく、何をやっても今はもう満たされない。

心から寄り添ってくれる人もいない。
この喪失感を理解してくれる人もいない。

今はただ生きることの辛さに耐えている。


昨日は2番目の子の誕生日だった。
妻におめでとうと伝えて欲しいとSNSでお願いしたが、既読はされているものの反応はなかった。
本当ならば子をこの腕で胸の中で抱きしめたい。
もちろん、それはもう叶うはずもない。


私のいままでの短い人生の中で、子ども達との時間は本当に全てだったと思う。
学生結婚をしてから安息なく走り続けた。
趣味はとうの昔に忘れてしまった。

ここ最近も土、日や休みは主に2番目の子どもの大好きなサッカーの送迎や練習に費やしており、特にこの2、3年間は毎週のように車を出した。
サッカーに関心が薄かった妻にはわからないと思う。

サッカーは『少年を大人にし、大人を紳士にするスポーツだ』
日本サッカー界の父、デッドマール・クラマー氏の言葉である。


いつも遠征の車の中でたくさん話をした。
一緒に笑い、涙し、汗をかいた。
そして、日々逞ましく成長し、気づけばチームの為に献身的にプレイする守備の要CB(センターバック)兼チームリーダーとなっていた。

当初はうまくいかない事でよく腹を立て、負けが混んでくると無気力なプレイをする事が多かったが。
クラブのコーチ陣や関係者と私が対話を繰り返し時間を掛けて、我慢を覚えさせ、自分で状況を考えることができるように導いて貰った。
そして、私は毎回ノートを書かせてはコメントを書いて返した。
その心の成長は著しく、気づけば小学生ながら県選抜のユニフォームに袖を通すまでになっていた。
最近はクラブの小学生年代の上級生では相手にならず、近くの中学生の部活に特例で参加させてもらっていた程だ。

人は金だけでは育たない。
私は社会人としても毎年毎年、新入社員が入ってくる会社にいたのでそれがよくわかっている。
人を育てるには時間と我慢が必要だ。
そして何より、偉そうだがうまく導いてやる事が大事だ。
とにかく褒めてやる、時にはやりたくなくても声を上げうまく叱責してやらねばならない。

傍らで、もうそれもしてはやれない。
そもそも妻がサッカーを続けさせるかもわからない。


1番上の子の時もそうだった。塾に行かなくていいのか?行きたいのだろ?
何ども妻子に無料のテストを受けて見ろだとか、話だけでも聞きに行ってみなさいと言ったが動かなかった。
思春期真っ盛りの為に私が動くと更に意固地になるのはわかっていた。
なので私は自分の母(子からみると祖母)に頼み、子どもと一緒に学習塾をまわって貰った。
そうして子どもが納得して自分から学習塾へ通うようになった。

私は原則的に子どもにやりたくない事や意味のない事はさせない事にしている。
ただし、意味がある事に関しては子どもの為なら親でも使う。
そういう親である。

そんな私からすれば、妻は1番弱っている入院中の私に『児童扶助手当の為に、離婚届に判を押せ』と迫った人だ。
子ども達にこの事をいま言ってもわからないだろう。
目先の逃げる事にいっぱいで、親がいなくても子ども達は金が有れば何とか育つんだときっと思っている人だ。


そして、日本の裁判所の判例は非情だ。
とにかく、親権にしても何にしても母親に9対1ぐらいの割合でもって行かれる。

父親に何らとががなくてもだっ。

入院中の病人を病院に捨ていくような人でも、母親ぽくしていればそれが認められる。
やはり世の中は不平等に出来ている。

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