
思考を上手に使えば今すぐ幸運は訪れる
否定的な思考の威力
人の思考は否定的な思考ほど威力があります。また連続性も高いと言えます。
たとえば
「明日課長にあの話切り出すのいやだな」
「きっと苦い顔して何か言ってくるんだろうな」
「そう言われたらどういえばいいかな」
「周りの連中も冷たい目で見ているのだろう」
「女子社員の態度も状況で変わり過ぎだよ」
「いい時はあんなにちやほやしてくれるのにちょっと課長に何か言われたらみんな口もきいてくれなくなるんだから」
「学生のときは良かったな。いい仲間もいたし」
「そういえば田舎に帰ってないな。でも田舎にはあいつがいるからな」
「ホント嫌なやつ。帰ったら嗅ぎつけて電話してくるんだろうな」
「やっぱり嫌だ。どいつもこいつも嫌なやつばかりだ」
こんな具合に延々と否定的な思考は次々に相乗効果でまた別の否定的思考を巻き込み増殖をしていきます。
気づいた時には、大変不愉快な思いの中で自分自身を見失ってしまっていたということもよくありますね。
こんな時には、何か自分にとって不利益になるような衝動的な行動に出てしまったり、暴力をふるってしまう、あるいはそこまで行かなくても自分の価値を低く見て普段ならしないような悪いチョイスをしてしまうということも起こります。
否定的な思考恐るべしです。
ケンカの理由
子どもの頃友だち同士や兄弟姉妹同士で大ゲンカをしたことがある人にはよくわかると思いますが、ケンカのきっかけはごく些細なことだったはずです。ただ誰かのちょっとした言葉に対して自分がそれをきわめて否定的に受け取ってケンカが始まったのではないですか。
「おまえ学生服似合ってるね」
「なんだよ文句あるのか」
「いやそうじゃなくて」
「おまえ馬鹿にしてるな」
というような具合です。
やはりここでも相手の言葉は大したことがないのに、自分自身の思いから勝手に怒りがこみ上げてくるというような事態が起こってしまうというのが、私たち人間の感情の面白いところです。
では肯定的な思考は?
では逆に肯定的な思考はどうでしょうか?
わかりやすく先ほどの否定的思考と対比して書いてみましょう。
「明日課長にあの話切り出すの楽しみだな」
「きっとうれしそうな顔して何か言ってくるんだろうな」
「そう言われたらどういえばいいかな」
「周りの連中も嬉しそうな目で見ているのだろう」
「女子社員の態度も状況で変わり過ぎだよ」
「いつもはそんなにちやほやしてはくれなかったけど、ちょっと課長に何か言われただけで、みんなオレのところに寄ってきて困ってしまう」
「学生のときも楽しかったな。いい仲間もいたし」
「そういえば田舎に帰ってないな。田舎にはあいつがいるから会いたいな」
「ホントいいやつ。帰ったらすぐ嗅ぎつけて電話してくるんだろうな」
「やっぱりいいやつだよ。どいつもこいつもみんないいやつばかりだ」
どうでしょうか。
こんな思考の連続ってありますか?ちょっと笑ってしまいますね。
よほどうれしいことがあってもこんな肯定的思考の繰り返しができる人はそうそういるものではありませんね。
皆さんの感想としては
「何てナルシストなんだ」
「その自信はどこから?」
というようなものが多いのではないですか。
でもこの対比した話の中にこそ、多くの人が引き寄せをできず自由自在に幸運を手に入れられない一番の理由が隠されているのです。
なぜ肯定的思考ができないのか
前にも書いたことがありますが、人が肯定的思考をなかなかできないのに否定的な思考は次々と浮かんできてしかもそれが積み重なり連続していく理由は、人が世界に対して漠然と抱いている「怖さ」から生じています。
とにかく私たちは、まだ到来していない未来が怖いのです。
ではなぜ怖いのでしょうか?
生まれたばかりの赤ん坊は何も怖れを持っていません。
なのになぜ私たちは怖れをたくさん抱いているのでしょう?
それは過去の経験があるからです。厳密には過去の経験だと信じている自分の否定的思考に基づく情報があるからです。
言うまでもなく過去も未来も現存するものではありません。
それは単なる情報に過ぎません。
あなたの脳を誰かがハイジャックして「こんな過去があった」と情報を書き換えれば(おそらく現在の科学でもある程度可能です)簡単に書き換えられてしまう「情報」なのです。
情報であるとすれば、必ずそれには解釈が可能です。
更に詳しく説明しますね。
過去という情報を解釈する
私たちが未来に怖れを抱く原因になる過去の情報とその解釈は、先ほどの例の前半部分で言えばこんな感じでしょう。
「『今日課長に叱られるような行動をした』と思う」
「苦い顔をして『いつも課長は問題があると注意をしてくる』と思う」
「自分はそれにうまく対応できていないと思う」
「冷たい目で『周りの社員は自分が注意されている時見ている』と思う」
「女子社員の態度も状況で変わり過ぎだと思う」
「いい時はちやほやしてくれるのに『ちょっと課長に何か言われた』だけで、みんな口もきいてくれなくなっていると思う」
『 』部分が事実でそれ以外が自分の解釈です。
いかがでしょうか。こうやって分析してみると過去の情報について、いかに私たちが否定的に解釈しているかがわかるのではないですか。
そしてそれを前提に私たちはまだ起きてもいない未来の予測をします。
過去の情報が自分の都合の悪いように思考によって否定的に書き換えられているのですから、それを用いた未来の予測も否定的なものになりがちなのもわかりますね。
つまりはそういうことです。
否定的な過去も否定的な未来も存在しない
このように考えると過去の客観的情報はあっても今現在に過去は存在しないし、未来の予測はできてもまだ現時点で未来は存在しません。
であるのに人は、過去の情報を自分で否定的に色付けをしてそれに基づいて未来の否定的な予測を喜んで行っていると言えます。
「じゃあ過去に誰か肉親が死んだとしてそれは肯定的な情報に書き換えれるのかよ」
そんな批判がありそうですね。
でもそれにもお答えしましょう。
「書き換えられます」
有名な松下幸之助氏は幼少時に周りの大人が早く死んでしまって苦労されたことを、自分が早く社会を知ることができてよかったというような趣旨で肯定的な側面に着目した言葉を言われたと聞きます。
どんな情報もすべて思考の対象物になります。
つまり人は何を考えようが自由で、その自由こそが私たち人間に与えられた特別な能力なのです。
100人のうち99人が悲劇ととらえるような事実を、自分にとってプラスな事実としてとらえることは十分に可能なのです。
誤解を招かないように言っておきますが、これは不謹慎な意味で話をしているのではありません。思考は客観的な事実とは異なり常に解釈を伴っているということをただ説明したいのです。
99%の人が引き寄せをできない本当の理由
なぜほとんどの人が引き寄せをできずに悩んでいたり、途中で引き寄せを考えるのをあきらめてしまったりするのでしょうか?
なぜ引き寄せが、単なるポジティブシンキングのように言われてしまっていてその本当のやり方がマスターできないのでしょうか?
その疑問について私はいろいろこれまで考えてきました。
自分自身が引き寄せをできるようになった経緯から考え合わせると、それは次のような理由によるものだと思います。
それは、この世界の99%の人のマインド(思考)の大部分が否定的思考によって占められているからです。
人が朝起きてから夜寝るまでおよそ6万回の思考を繰り返すと言われていますが、あなたの思考の中を肯定的か否定的かあるいはそのどちらかでもない中立的かに分けた場合、おそらく7割以上が否定的思考ではないですか?
朝あなたは目覚めます。
「ああまだ眠い(否定的)」
「時間大丈夫かな(否定的)」
「今日は会議たくさんだな(否定的)」
「顔洗わないと。水つめたそう(否定的)」
「天気はいいな(肯定的)」
「寒い。なんでこんな寒いかな(否定的)」
「まず新聞取りに行って(中立的)」
「またこんなひどいニュース(否定的)」
というような感じですね。
もしも思考がそのまま現実を創造するという引き寄せの法則が真理だとしたら、7割は否定的な現実がやってきますよね。
だから99%の人が思うように自分の求める現実の引き寄せをできないのです。
肯定的思考は無理にできる。
さてそこで
「ではどうしたらいいか」
という話になります。
単純に言えば
「じゃあ肯定的思考ばかりすればいいのではないか」
そうなりますよね。
そして答えは
「その通り」
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