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世界は簡単に変わる。思考を切り替えるだけで。
思考の奴隷
私たちは一日6万回の思考をしていると言われています。
「思考をしている」
そう言うと思索的なイメージで聞こえは良くプラスのように感じますが、今回お話する思考というのは、そういう深く掘り下げて物事を考えるという以前の、日常的に我々の脳裏に浮かびがって来る思念のすべてを指します。
「あっ水が出しっぱなしだ」
「いけない。水道代が高くなる」
「一階へ急ぐぞ。ねこがじゃまだ」
というような一連の心の中の言葉すべてが思考です。
私たちはこういう思考をすることによって、物事をスムーズに進めたり行動の指針としていたりするわけですが、もし思考というものがなかったらどうなるのでしょうか?
たとえば先ほどの例で言えば、水が出しっぱなしでもそれについて具体的にイメージを描くことが難しくなってしまいますから、その対策も考えにくくなるでしょう。
だからあなたの頭の中で
「あっ水が出しっぱなしだ」
というような言語化された思考があるというのは、非常に便利な事であると言えます。
元々このように思考は、便利で人間のために有益であることが間違いのないものなのですが、ともすると私たちは思考に頼り過ぎるあまり、過剰に思考を重ねてしまうという状況に陥ります。
まず私たちは、まだその状況がやってきていない未来の事を心配し始めます。
「もしも誰かにこんなことを言われたらいやだな」
「もしも失敗したらどうしよう」
そしてあなたは、まだ何も起こってないのにさらに思考を重ねます。
「いやな事を言われたらこう言い返そう」
「でもきっとその人は私を軽蔑するに違いない」
「みんなが私を軽蔑したらどうしよう」
「会社にいられなくなる」
まだ何一つ起きていない段階で、人は自分が過去に見聞きした情報を頼りに次々に想定を重ねて思考を積み上げます。
これは本当によくあることです。
思考と言うものは、人間に起こる不足の事態から身を守ってくれるためにあるもののようです。
だからこういう風にあらゆる悪い事態を想定してしまうというのは、元々は合理的なことと言えるでしょう。
でも人はこのような思考の積み重ねを日常的に行っていると、その悪い事態の想定が単なる一つの情報に過ぎないとは思わなくなってしまいます。
そして私たちは、思考という習慣を頼りにし過ぎるようになり、やがて思考と自分自身が一体であると勘違いをし始めてしまいます。
別の言い方をすれば、思考の奴隷になるのです。
思考と意識
あなたの本体は思考ではありません。あなたはこの世界を見つめている存在そのものです。つまり意識があなた自身です。
なぜそれが分かるかと言えば、あなたは思考を変える自由を持っているからです。
たとえば先ほどの例で言えば
「もしも誰かにこんなことを言われたらいやだな」
という悪感情の思考が湧き上がってきたときにあなたは
「いやな事を言われたらこう言い返そう」
という思考を積み重ねることもできますが、
「いやそんなことは起こらない。むしろいい事を言われるかもしれない」
そんな思考を思い浮かべることができます。
そしてさらに
「そんないい事を言われたら楽しくなるぞ」
というように肯定的な思考を重ねることもできるのです。
つまり思考の主人はあなたなのです。
あなたは思考の奴隷ではないのですから、あなたが思考自身であるはずがありません。
否定的思考の積み重ね
思考を重ねることについて冷静に考えると一つの疑問に突き当たります。
何かを不安に思う否定的な思考は、先ほどの例のように次々に重なり巨大な悪感情をもたらすことが多いのに、その逆はほとんどないのはなぜだろうという疑問です。
たとえばこんな肯定的思考の積み重ねをする人はあまりいません。
「何だか良い事が起こりそうな気がする」
「ひょっとしたら大金が明日手に入るかも知れない」
「どれくらいかな?100万円くらいならどうしよう。わくわくするな」
「そうしたらまず50万円は貯金して、30万円で株を買おう。あと10万円で前から欲しかった物を買おう。そして残りは・・・」
「でもどうしよう。株が大当たりして大儲けしてしまったら大変だ」
これを読んだら笑ってしまう人がいるかもしれません。それほど肯定的思考の積み重ねを人は行うことがないのです。
一体なぜそういう肯定的な思考の積み重ねを人はしないのでしょうか。それができないわけではないのははっきりしていますが、なぜそれをやろうとしないのでしょうか。
その答えは実は簡単です。
怖いからです。
人は常に過去を振り返り未来の不安を抱いて生きています。だからこれから先に何が起こるか心配ばかりしてしまいます。
楽天的に生きてもよさそうですが、なかなかそんな気分にはなれないのが普通です。
そこで私たちは自分の中にある思考というシステムを使って、そんな心配や不安を取り除いて安心に生きていける方法はないのか模索するのです。
だから私たちが否定的な思考を積み重ねるのは、その当然の結果であると言えます。
思考がもたらしているものは何か
ではそんな否定的な思考は、私たちをすべて幸福にしてくれているのでしょうか?あなたはどう思いますか?
あなたのまわりの世界をよく観察してみてください。
先々のことを心配ばかりしている人を簡単に探すことができると思います。
では否定的思考を積み重ねて万全で生きているはずのその人の表情はどうでしょうか。その人は幸せそうですか。
答えは聞かなくてもわかります。とてもその人が幸せそうには見えませんね。
それはなぜでしょうか。本来なら安全のための装置として働くはずの思考をしっかり使って先を予測しているのだから、うれしくて楽しいことが起こってきてもおかしくないはずです。
でも実際には、彼らにはむしろ逆のことが起こっていることが多いのではないでしょうか。
これは、実際によくある話です。
「悪い予感がする」
「こんなこと起きないか」
そういうことをよく口にする人がいますが、なぜかそういう心配をしている人にばかりトラブルが起きてしまっていること見たことがあると思います。
私の経験でこんな話もあります。
ある人が、何かにつけて他人の問題点を指摘する傾向がありました。
その人が悪い人というわけではなく、苦労を重ねてきたために他人が十分に何かをしていないことが許せないという感情がつい先にでてしまう感じでした。
ずっと昔ですがその人と食事をする機会が多くあった時期があります。
その人は、レストランで出されるものによく苦情を言っていたのです。
「まだ水がきてないけど」
「これメニューとちょっと違うみたいだけど」
そんな感じでごく自然に店員にクレームをよく言う人でした。
私も何気なく見ていたのですが、ある時ふと
「クレームを言う機会がよくそんなにあるものだ」
そう思ったのです。
確かに、観察していると必ず店側に落ち度がある例ばかりで苦情を言っていたので、言っている内容には合理性があるのですが、なぜそのような機会がたくさんあるのか不思議に感じたのです。
笑ってしまったのは、
「これ髪の毛が入っているけど」
そのクレームを彼女が言っていた回数が、私と食事をした中だけで相当の回数あったことです。
普通そんなに髪の毛が料理に混入したりするはずがありません。しかもすべて別のお店で、不思議に彼女の料理にだけいつも「当たり」があったのです。
もうおわかりでしょう。
彼女に起こっている現象は、すべて彼女が起こしていたのです。
詳しく説明しますね。
否定的思考が否定的な現実をもたらす。
彼女の思考の中ではおそらくこんな思考が繰り返されていたのだと思います。
「レストランではよく不備がおこる」
「水が出し忘れられたり、セットのメニューのものが予定通りに出てこなかったりして完璧には準備されることがない」
「料理にはよく髪の毛が入っているからまた入っていたらいやだわ。もし入っていたらすぐに文句を言ってやるわ」
そしてその否定的思考が、そのままそのような否定的現実を引き寄せたのです。否定的な思考から出される波動が同じようなものを惹きつけてしまったために、他の人には起こらないのに彼女にのみそういう現象が繰り返し起こったのではないかと思います。
みなさんはそんな目で他人の行動を見たことがあまりないかも知れませんが、私はもう長いことそれを観察してきました。だから本当によくわかります。
世の中のことが心配でたまらない人には、また心配しなくてはいけないような現実が起こります。よく見かけます。
他人の行動がきちんと行われるかが心配でたまらない人には、きちんと他人が行動してくれない現実が起こります。こういう人は一番よく見かけます。本当にそうなります。
否定的な思考は否定的な現実をもたらすのが、この世界の基本的な仕組みであるに違いありません。
物事の肯定的な側面に焦点を当てる
では私たちはどうしたらよいのでしょうか。
答えは簡単です。
物事の否定的な側面ではなく肯定的な側面に焦点を当てればいいのです。
たとえばレストランに入った時には、笑顔の店員を探します。そしてこう考えるのです。
「ああこのお店は感じがよさそうだ」
「きっと料理もスムーズにでてくるし美味しいにちがいない」
「楽しい時間になりそう」
実際のところ、ほとんどの場合その通りになります。
実はこれは私自身と妻がいつも行っていることです。
以前このような思考をしなかった場合は、先ほどの彼女のようにクレームを言わなくてはいけない場面に時々遭遇しましたが、こういう考え方をするようになってからはそのような場面はゼロです。
少なくなったというのではなくゼロなのがこの話のすごいところです。
それどころか逆に、訪れるどの店でも店員さんの対応が格段に良くなりました。頼んでいない無料の特別サービスも時々いただいたりします。
私の記事や本はすべて私自身が実際に行った結果を元に書いています。
別に科学的データがあるわけでなく、いわゆる状況証拠による推論ばかりではありますが、机上の話しではなく、実際に起こっているということの重さによって皆さんにもある程度の信頼はいただけるのではないかと思います。
つまり結論は、物事の肯定的側面に焦点を当てるだけで世界は自分にとって肯定的な現実をもたらすものになるということです。
肯定的な思考を選ぶ
ただ肯定的な側面に焦点を当ててと言っても、実際には先へ向けてどうしても心配で否定的な側面から目を離せない場合があります。
まだ良いかどうかが未定のレストランへの来訪などは、肯定的な面を考えて訪れるのはむしろ簡単ですが、自分の命運がかかっているような判定が近くなされるような場合には、どうあがいても肯定的な面より否定的な面に目が行きます。
たとえばあなたが自分がリーダーで、その部署にとっては大きなプレゼンテーションのコンペを控えているとします。
一生懸命仲間たちと準備をしている日々にあなたは、成功するイメージを描いて怠りなく努力をするでしょう。しかしどんなに周到な準備をしても決定を下すのは相手の会社の担当者です。それを前提とすれば否定的な側面を拭い去るのは容易ではないでしょう。
「プレゼンで大失敗したらどうしよう」
「予想外の質問に資料が対応できなかったらどうしよう」
「相手が怒って席を立ったらどうしよう」
「競争相手に条件が負けていたらどうしよう」
心配ばかりおこります。仕事とはそういうものですね。
でも本当にあなたが最高の結果を手に入れたいなら、個別の準備をしっかりやるのはもちろんですが、もっと簡単な方法があるのです。
それは「肯定的な思考を選ぶ」という方法です。
私たちが人間である以上、何か未来に心配そうな物事が見えてきたときには、必ず否定的な思考が起動します。
でもそこでその思考に自分が同調しなければいいのです。先に書いたように思考はあなたではなくあなたが思考の主人だからです。
思考は常に二者択一
思考すべきことは無限にあり、そこから選ばれる思考結果も無限にあります。だから大変複雑そうに感じられるかもしれませんが、実はどのような思考も大きくまとめてしまえば二種類のものに集約されます。
それは肯定的思考と否定的思考の二つだけです。
だから私たちが思考を選ぶときには、二者択一で肯定的か否定的かだけを選んでいるとも言えます。
そうだとすれば、どんな場面でも常に肯定的な思考を選ぶようにすれば、肯定的な現実を引き寄せることができることになります。
具体的に先ほどの例を使って説明しましょう。
半ば自動的に浮かんできた否定的な思考を、実はあなたは次のように切り替えることができます。
「プレゼンで大失敗したらどうしよう」
そのような気持ちが浮かび不快になったら、それからでいいのでこのように切り替えます。
「いやいや大成功もあるぞ。良いか悪いかなら半分はうまくいく方になるじゃないか」
そんな風に切り替えることができます。
「予想外の質問に資料が対応できなかったらどうしよう」
この気持ちに対しては
「よかった。それに気づけたからこれで万全に準備しておけるな。成功間違いなし」
そう思えばいいです。
「相手が怒って席を立ったらどうしよう」
そんな心配には
「相手は大喜びで握手してくることもあるぞ。その場合は何て礼を言えばいいかな」
そう切り替えてはどうでしょうか。
「競争相手に条件が負けていたらどうしよう」
そういう気持ちがこみあげてきたら
「予想外に相手の条件が悪いということもあるな。おれたちがこんなに情報を集めて決めたんだから勝つに決まっている」
自信をもってしまうというのも手ですね。
思考と言う大嘘
さて読者のみなさんはここで初めて気づかれるかも知れません。
それはこういう質問を自分に問いかけることでわかる真理です。
「そう言ってもうまくいく保証はあるの?」
この質問です。
もちろんあなた自身の回答はノーでしょう、当たり前です。
ではなぜ真理に気づけるかということを説明しましょう。
逆にこういう質問はどうですか?
「そう言っても失敗するというのは確実なの?」
あなたの答えはこちらもノーになるはずです。
そうです。思考をする段階ではまだ何も決まっていないのです。
現実ではないだけでなく、どのような思考もそれは極めて主観的です。
だから肯定的な思考であろうが否定的な思考であろうが、それらはすべてあなたを守るための主観的な嘘に過ぎません。「予測」のように見せてそうではありません。「嘘」なのです。
どうしてそれを断言しているかと言えば、肯定的なものも否定的なものもほとんどが極端すぎて冷静さを欠いているのが、人の思考の大きな特徴だからです。自分でそれをノートに書いてみるといいですよ。いかにそれが荒唐無稽なものか気づきますから。
だから「嘘」なのです。
ところが前に書いたようにその嘘が引き寄せと言う大きな効果を生んでしまうとしたら、あなたは肯定的な側面を見た方がよいに決まっていますよね。
肯定的な現実を手に入れることができるのですから。
否定的な側面を自分が見つめていると気づいたら、それからでいいのですぐにこのように肯定的な側面に焦点を向けかえるのです。
そうすればそれが引き寄せの作用点となり、肯定的な現実をあなたにもたらしてくれるはずです。
世界は簡単にあなたの都合の良いように変わります。思考を切り替えるだけで。