Swinging Chandelier:15-オディール≠オデット(下)
Swinging Chandelier:14-オディール≠オデット
最初にアイホール全体にパール系のシルバー。次にややマットのライラックを上まぶたの二重幅と下瞼の目頭に入れる。二重の線に沿うようにやや細めの筆で偏光グリッターを乗せて全体をぼかす。インナーラインを黒で入れたら目尻を強めにリキッドで描き、細筆でダークパープルをのせる。
ゴスメイク、というほどではないけれど、まあ近いよな、という仕上がり。リップラインで縁取ってから強めに塗りつぶしたベルベットローズ。
待ち合わせ場所に現れたアンズさんはわたしとは対照的な、淡くブラウンとピンクが基調になるアイメイクにほんわかとしたコーラルの口紅だった。
アンズさんは「ワンダーティーパーティー」の白いドレス姿で、それは最初に会った日の、うちの会社の企画イベントで着ていた時よりもアンズさんに馴染んでいるように見えた。
「ごめんなさい、突然かけちゃって」
この間の残業した日、明かりの落ちた浮島の波間にとった電話。
「……いえ。ちょうどわたしも、仕事を終えたところでしたから」
意外に、自分で出した声は硬かった。まだついているラップトップのぼんやりした明かりに、アンズさんの声が重なる。
「こんな時間までお仕事なんですね。すごいな。なんかすみません、イラストとか送っちゃって」
「いえ」
アンズさんは、真黎さんのおかげでメイクとかちょっと勉強しようってなって、それで、イラストの方にも活かす?みたいな感じで好きな色をたくさん掘り下げられたの、とか、やっぱり結婚してても、専業主婦でもお洒落は大事だなって思って、真黎さんと一緒にいられるの、本当にいい刺激になってバランスって大切なんだってわかったの。
みたいなことを明るく、小鳥みたいに話して、それは電話越しだからか音が少し余計に高く聞こえていた。わたしは疲れているせいか、どうも、とか、まあはい、とかそんな相槌が続いていたと思う。
「それで、今日送ったイラストなんだけど」
「……ああ、うん。ごめんね。仕事抜きではアドバイスとかはできなくて。わたしが決めていいことじゃないの」
ひゅう、と、アンズさんが息を吸う音がした。
「ごめんなさいっ。一人で舞い上がっちゃったみたい。全然わたしなんてその、プロ、とかじゃないし、イラストでご飯食べてるわけでもないのに」
そういう意味ではなかったのだが、そもそもプロとアマチュアの境なんて限りなく曖昧な業界であることはアンズさんだってわかっているんじゃないか、というか単純に契約の話でできることとできないことがあって、上手いとかとか下手とかプロとかアマチュアはもう関係ない話であって、
「白猫なんですね」
「へ?」
ぼんやり考えたまま指でまたイラストをなぞって、窮屈な絵だとか、わたしが抱いたざらつきだとかは一切無視しながら、ふと目に止まったのが足元の白猫だったから、口をついてその言葉は出ていた。
「ハロウィンって黒猫なイメージだけど、イラストの魔女は黒と紫だから、それと喧嘩しないように白猫なのかなって。意外な感じだけれどアイコンとしては目を引くかな、と思いました」
いや無理がある。我ながらかなり言い訳がましい気がする。気がするが、あんまり長くこのイラストを見ていても浮かぶのはあの配信のコメントとか村松の「窮屈なんすよ」とか、全体、わたしが抱くざらつきとかそんなものばかりだったし、アンズさんにはいまいち通じない「アドバイスをするのは良くない理由」についてこれ以上説明することにも疲れてきていた。
「え。うれしい。よかったぁ、なんか、重い感じの絵って苦手意識があったから、少しでもオリジナリティ?を出せたらいいなって思ってたの」
苦し紛れに出した言葉に随分と喜ばれてしまった。
「はは。喜んでもらえたのならいいけど、でも作品のマネジメントはこれ以上は無理ですよ?わたしだってクビにされたくないですから」
疲労に、何故だか笑いを含んだ声が出た。ああなんだかすごく、あと少しでちょっとわかるアレ。
「えー。ごめんなさい。だって一番に見て欲しかったんだもん」
謝罪は続くが、アンズさんの声はさっきよりもずっと軽やかで、なんというか、もう許してもらえたから大丈夫というような、そういう類の可愛らしさがあった。
アンズさんのほしい大人ってなに?
あの夜にかかってきた電話は、メッセージの返事を待たずに向こうから掛けられていた。わたしは、何故だかすぐに取った。
それから少し他愛のない話をして、わたしとアンズさんは今度の休日に、一緒に遊ぶ約束をした。もっと服の事とか勉強したいんだけど、ゴシック、とかロリータの服に詳しくないから、と。
「せっかくならアンズさん、イベントの時に着てきたワンピ、着て来たら?」
「え、」
「せっかくゴスロリ系のブランド見に行くんだし」
「でも……」
アンズさんは少し戸惑った。『痛い』って思われることを気にしているんだろうか。
「じゃあ、こうしません?わたしは真っ黒のゴシックコーディネートにするから、アンズさんはあの白の「ティーパーティードレス」で。二人で一緒ならハロウィン合わせっぽいし、いいと思うけど?」
ぱっと、電話の向こうの雰囲気が明るくなった。
「それなら、ぜひ」
自分の声にこもる笑みが、増えていく。だんだん、わかってきた気がする。
ファッションビルのエスカレータを上って、そこは臙脂のベルベットで飾られた店。フリルとレースをふんだんに使い、ギャザーをたっぷりとったスカートが広がるワンピースが、何着もラックにかかっている。黒一色のものもあったし、アイボリー地にブーケ柄のクラシックロリータ路線のもの、パフスリーブのもの、姫袖のもの。ブラウスも、立ち襟のものやヨーク切り替えのもの、それからロング丈とショート丈のコルセットに、数種類のドロワーズにパニエ、その他アクセサリーや小物、すべてがゴシックロリータでそろえられたセレクトショップにわたしとアンズさんは入った。
「ええっ。ワンピだけでこんなにあるの」
「ここはセレクトショップだからいろんな系統があって、勉強しやすいかなって思った」
「そんなさらっと言われても」
おずおずとアンズさんは秋冬向けのジャンパースカートに手を触れている。デコルテをくりぬいたように作った身頃はベストのような形で、ボタンでスカートとも着脱可能な、ちょっと女学生っぽく見えるスタイルの服だった。
「そちらのジャンスカ、先週の販売なんですけど、今お客様が見てる色は人気色で在庫がだいぶ少なくなってきてるんですよ。こっちのボウタイブラウスと合わせるとすっごくかわいくって、お店の入り口に出してるトルソーのコーデなんですけど」
黒地に白レースあしらいの、ザ・正統派ゴスロリという感じのコディネートを組んでヘッドドレスを着けた店員がアンズさんに話しかけた。
「え、え、はい」
店員に話しかけられてアンズさんはかなりびっくりしているようだった。わたしはほんの数歩離れた、別のゴシック系ブランドの新作が並べられたコーナーを見ているところだった。
「ご試着なさいます?今着てらっしゃる白系がお好きなんだったらお似合いだと思いますよ?」
「あ、えーと……」
困惑しているアンズさんがちらちらと、こちらに視線をやっているのが気配で分かる。
「アンズさん、店員さんが言ってたトルソーのコーデ、あれだよ。ちょっと見てから試着するか決めたら?」
顔を上げて私はアンズさんに笑いかけた。
「あ!うん。」
店員から少し離れた店の入り口付近でアンズさんは少しほっとしたようだった。
「うぅ、真黎さんありがとう」
そこまで強引な接客には見えなかったけれど、アンズさんは今にも泣きだしそうな顔になっていた。
「ん。でもほらこのコーデ、確かにアンズさんに似合いそう」
「えーと真黎さん、ボウタイ、って何?」
「前で蝶々結びになってる襟とか襟飾りとかのこと。このブラウスは同じ生地をそのままリボンみたいに長くして、前で結ぶタイプだね」
「そっかぁ」
わたし、何も知らないのね、と、アンズさんはぽそっと呟いてわたしを見た。
「真黎さんと違って?」
わたしがそう言うとアンズさんは、だって、と頬を少し赤くする。
「まあそれはそうと、試着だけしてみたら?わたしもこの組み合わせはアンズさんに似合うと思うし、着てみたほうが躯と布の動きが体感できるから、イラスト描くのにもいいんじゃない?」
「うー……ん。胸、大丈夫かなって」
デコルテの大きくあいたデザインのジャンパースカートだから、下に着る服が入れば何も問題はないようにわたしには見えた。ブラウスのサイズを気にしてるのかと思って思わず、サイズ聞いてこようか?と尋ねた。
「ちょっ、ちょ、違うの、サイズとかじゃなくて」
制止するようにわたしの袖を引っ張りながら、なんでそんなにもごもごと言いよどむのかが、わたしにはわからない。アンズさんが今着ている「ワンダーティーパーティー」のドレス、これを着られるならサイズ的にこのブラウスとジャンパースカートは入ると思うが、アンズさんが言うにはサイズの問題ではないらしい。
「あ、のね。胸、強調してるように見えちゃわないかな、って」
「え、」
そもそも今見ているジャンパースカートとブラウスのセットアップのデザインは、胸をある程度強調しているから綺麗に見えるシルエットなわけで、アンズさんもそこが気に入ったのだとわたしは思っていたのだが。
「こういう服って凄く可愛いし、あこがれるけど、なかなか勇気出ないよ」
「そうなの?」
見たいものと見ているものが噛み合っていない。と、村松が頭の中で笑った。
「まぁ、無理にとは言わないけど」
ティーパーティードレスはオーケーでこのセットアップはダメな理由がよくわからないままわたしは、もう一度お店ゆっくり見てみよう?そばにいるからね。と、ちょっと年上ぶったような言い回しをして、八センチヒールからアンズさんを見下ろす。アンズさんは、にぱっと微笑んで、うれしい、と腕を組むようにわたしの袖をつかんだ。マジか。
「さっきは真黎さん、どんなの見てたの?」
「ん。今日着てるのと同じブランドの新作」
わたしが広げて見せたのは、巻きスカート風のワイドパンツで、片側に寄ったプリーツとベルトの使い方が好みだった。
「やっぱ真黎さんって、こういうカッコいいの似合いそうだよね。今日もなんか、ビシッとしててすごくいいもん」
わたしは今日、左右の丈がアシンメトリーになったワンピースに、前をベルトで飾ったジップアップのショートコルセットを合わせ、ヒールの高いレースアップブーツを履いていた。半ばアンズさんが喜ぶだろうと踏んでいたが、やっぱりアンズさんは嬉しそうだ。
「ここのブランドは、ちょっとコーデいじると、『王子系』って言われるジャンルにもなるよ」
ぱぱっと、鏡の前でワイドパンツにフリルシャツを上下に合わせてみると、アンズさんはきらきらした感じで喜んでいた。えーすごい、勉強になる。
そうこうして店をぐるりと一周してから、アンズさんにあのジャンパースカートのセットアップを試着させた。
「なんだ、やっぱり似合うじゃん」
いじらしい感じに背中を縮めて顔を赤くしているアンズさんが、わたしを見上げている。
「ちょっと横向いてみて?」
「う、ん」
「胸のラインも自然だし、今日のメイクにもあってるよ?」
「でもなんか、スカートごそごそする」
店員が貸してくれたパニエを入れているから、違和感があるのだろう。
「ドロワーズ持ってないんだっけ?」
「どろわ?なに?」
「パニエの下に穿くかぼちゃパンツみたいなやつ。スカートの裾からドロワーズのレースがのぞいたりするのも可愛いんだよ」
「いや、そこまでは」
「まあなんにしても、その服似合ってるし、アンズさん可愛いよ?」
一瞬だけ、さあっと、さっきまで赤かったアンズさんの頬に冷たいものが射した。
「可愛い、かな。えへへ、ありがと」
その平たい笑顔が、ラップトップの画面にいたフラットな笑顔の少女の笑顔に重なった。アンズさんの欲しい大人って、なに?
「可愛いだけじゃ、嫌?」
ずい、と試着室に一歩踏み出して、アンズさんが試着しているブラウスの、蝶々が傾いたボウタイにわたしは手をかけ、片手でしゅるりと解いた。
「よしっと。これで綺麗に結べた。どう?」
「え、え、あ、ありがと」
アンズさんの頬に赤みが戻った。声もなんだか上擦っていた。
結局値段が高いのと、やっぱり着る勇気がないと言って、アンズさんは何も買わず、わたしはわたしで特にほしいものはないから、店を出ようかなと思っていた頃合い、何か気になるものでもあるのか、アンズさんが、ヘッドドレスやコルセット、レースのオーバーニーソックスやカフスやなんかが置いてある棚のほうを見ていた。
「これ、きれい」
アンズさんが見ていたのは、レースもリボンも紫色で統一したガーターだった。
確かにきれいだけど、一般的にはさっき試着したセットアップよりそっちのガーターのほうが、イメージとしてはセンシュアルなんだけどな。とは、わたしも言わない。
「紫、好きなの?わたしも好きだよ、菖蒲色とか菫色とか」
アンズさんの服の好みの系統から考えて、オフホワイトとかサックスブルーとかを選ぶイメージがあったけれど、紫系の色は何か思い入れのある色なんだろうか。確か前にもらった名刺も紫が入ってて、この間のイラストも紫が入ってる服だったな。
「好きっていうか、憧れ、かな。なんて。」
何か、とても大切なものを見つけたように、リボンとレースで彩られたガーターを、アンズさんは購入した。これならうんと高いわけじゃないし、ちゃんと使うし、大丈夫。と、別に誰がとがめるわけでもないのに。
「今日、本当にすごく楽しかった」
並んで歩く、白と黒。気づいたらぎゅっと絡まっていた片腕。
「それならよかった。わたしも久しぶりに全身ゴシックできて楽しかったよ」
見たいものと見ているものが同じな奴なんているのかな、村松。わたしだってきっと、思ってもないことたくさん言っているよ。それって見ている世界がズレているからじゃないの?
「服のせいもあるのかな、やっぱ真黎さんカッコいいな。さっきからずっと車道側歩いてて」
「気づいてたの?」
「へへ、それくらいはわかるんでーす」
「日傘、あぶないからさ」
「本当、そういうところ」
並んで歩く、黒と白と、間に紫がひそひそ。
「また一緒にお出かけしたいな。」
白い乙女が問いかける、黒いわたしは。
「うん。予定ついたらまた」
多分わかりかけている、アンズさんが欲しい大人。わかりかけているくせに、わかるのをどこか拒絶か麻痺か、ともかく先延ばしにする。
「アンズさん写真撮ろうよ。このカメラアプリ毛穴抹殺するからいいよ」
え、戸惑うアンズさんの方をぎゅっと抱いて、わたしはインカメラのシャッターを切った。
白くて黒くて時々紫な、夕暮れ。わたしはばっちり映える顔を作った。