職場のこと
職場には本当に心配をかけてしまった。吐くようになった時も調子悪いことを何となく親しい人には伝えていた人はいたけど、毎日普通に出勤していたし、普通に仕事もしていた。頭痛くて眠れなくなっていたから顔色も少しずつ悪くなっていったけど、少しずつだからあまり気づかれなかった。入院する前に2~3か月は本当にありとあらゆる手段を使って何とか仕事に行っていた。片頭痛だと思っていたし、肩こりからきている緊張性片頭痛の診断もされたからストレッチしたり、マグネットループを身に着けたり、シップを貼ったり、とにかく見栄えなんて気にしている余裕なかった。この痛みを何とか少しでも緩和しないといつも通りの日常を送れなかった。片頭痛に効くアロマを常時持ち歩いて、痛み止めも手放せなくて、でも何をやっても変わらないばかりか入院直前の2週間くらいは家だけでなく職場でも吐いていた。このころになるともう記憶も朧気で、吐く音が外に聞こえるのはよくないと思ったから2階の普段誰もつかわないトイレにこもって吐いた。ここで死んだらしばらく気づかれないだろうな、と思いながら吐いた後少し寝てしまったりしていた。今思ったら気絶していたのかも。吐いて、吐いて、意識朦朧として気が付いたら10分くらいたっていて、何食わぬ顔で出てまた仕事して頭痛くなって吐いて。職場ですら1日で少なくても2回は吐いていた。吐くとき苦しいから固形物をあまり食べなくなった。痛みに波はあったけど、痛みと同じくらい精神的ダメージが強くて、これから逃れる方法がみつからないって思うと吐きながら朦朧として、もう起きなくてもいいから痛みをなくしてって本気で思った。片頭痛って思っているうちはどうしたらいいかもわからなかったし、みんな大なり小なりあるって言われたらどうしようもなかった。実際、今も少しだけある。気圧変化が大きいときとか、生理前とか調子が崩れるタイミングは月に1回くらいは絶対あって、たまに頭が少し痛くなることがある。その怖さって結構尋常じゃなくて、もし再発だったらって考えずにはいられない。でも、あまり深く考えるとそれもまたストレスになってしまうから考えすぎないようにしている。今はそれを考えるときじゃないと思うから。
多分調子悪い時期が長かったから、職場の人にとってはそれが私の普通だと思っていたのだと思う。退院して放射線やってしばらくしてから太ったって言われることが増えた。私も実家にいるから太ったかなって思っていたけど、戻っただけなのかもしれないなぁと今は思う。
病気が分かった時点でまず親に電話して、次に職場に電話した。勤務時間内に電話したかったから急いだ。電話したらいつも話している事務の人が出てくれて、所長につないでもらった。でも、いざ所長に挨拶したあと、何をどこから話せばいいのかわからなくて、とりあえず脳腫瘍が見つかったこと、これから入院するのでしばらく休ませてほしいこと、治療期間がどれくらいになるかもまだ何もわかっていないことを伝えた。まず脳腫瘍が見つかったっていう時点で聞いたことないでっかい声出していた。同じ時間に事務所にいた人にも所長がいきなり「えっ?!」って大きい声出したからすごくびっくりしたって言われた。そこから何秒か無言になって、だ、大丈夫なの?ととりあえず話が進んだ。でも私自身もほとんど何もわかんないような状態だったから、とりあえず明日以降精密検査をして、今後の方針について話す予定なのでまたわかり次第連絡しますとだけ伝えた。私がこの社会と一番かかわっている、唯一かかわっているといっていい場所が会社だから、とりあえずそこさえ伝えたらあとは特に言わなきゃいけない場所はなかった。
1回目の手術の後も、がんセンターの時も、職場の仲良しの先輩方がお見舞いに来てくれた。私はこの職場でいろんなことを経験したけれど、仲良くしてくれる人に恵まれたのはとにかく幸せだった。これから先仕事以外でももっとたくさん遊びたいし、お話ししたい。大人になってからこんなに仲良しになれる人たちに会えると思ってなかった。これだけで私はこの職場に入ってよかったと思えるくらい、仲良くなれる人たちに出会えた。本当に感謝しているし、これからも仲良くさせてもらいたい。大切な人たち。
職場にはがんセンターに入る前に(2回目に手術終わった後に)入院後初めて顔を出した。できる限りいる人には挨拶して回った。術後だったから目がおかしかったけど、見た目にそんな大きな変化はなかったと思う。みんな優しい声をかけてくれたし、突然休んだこと迷惑がるような人いなかった。職員だけではなくて、ボランティアの人とか、とにかく仕事関係の人たちは自分が思っていた以上にたくさんの人が心配してくれた。本当にありがたいことだと思う。涙してくれる人もいた。自分のこと大切にしないといけないと改めて思った。職場には、その後も行けるときにはちょくちょく顔を出すようにした。
あとは大学の先生にも会いに行った。心配してくれていたみたいだから。実際会いに行ったらすごく心配してくれた。自分が学生として研究室にいた時よりずっと優しかった。
なんだかんだ言って戻る場所があったのは本当にありがたかった。悪性新生物だったから1年間給料がもらえていたし、帰る場所があることで心の余裕も全然違ったと思う。