人工股関節置換手術のあとさき①
変形股関節の治療のための人工股関節置換手術が一週間後に迫ってきた。
一連の記事は、リアルタイムでは下書きとして記録のために残しておいて、
のちに公開することにするかもしれない。
今日は、わたしがこの手術を受けるまでのいきさつについて簡単に述べる。
一連の記事は、そのことがメインではなく、手術の経過の記録として残しておきたいので、最低限の記録にとどめる。
わたしが1歳を過ぎたころ、ほかの赤ちゃんと同じように立って歩き始めるときが来たのだが、なかなかうまく歩けないので、親が病院に連れて行って、そこで両股関節が脱臼していることがわかる。医師は力づくで関節をもとに戻したらしい。
当時の治療として、約1年間、石こうのギプスで股関節を固めるということをしたのち、ギプスを外す。
その後は、普通に歩けるようになった。走ることもできた。
専門家が見たら少しおかしかったかもしれないが、(腰が反ってお尻が突き出ている姿勢)、本人としては、何も不自由なく成長してきた。
大学を出て、教師として働き始めたとき、一時的に股関節が痛くなって歩きにくくなることがあった。(教師という仕事ははたで見る以上によく歩くし、授業は立って行う。急に足を酷使したためかと思われる)
その後は、ときどき、長くあるくと股関節が痛むことがあったが、それも一時のことで、とくに不自由は感じずに暮らしてきた。
わたしが、股関節脱臼であったことは両親から何度も聞かされてきたので、自覚はあった。
40歳のころ、少し痛みが出たことがあったので、整形外科でレントゲンを撮ったところ、思っていたとおり股関節形成不全による変形股関節症であった。
その時の医師に「ゆくゆくは手術をすることになるでしょう」と言われたのを覚えている。
先に、大学を出て教職で働き始めたと言ったが、教師として働いたのは4年で、それ以後は、結婚して、事務のパートに出たり、花屋で働いたりしていた。
46歳のとき、突然また教職の話があり、20年ぶりに復活して4年間働いた。
50歳近くになって更年期がやってきたころ、学校の階段を上るときに、足が上がりにくくなってきたことに気づく。
そのころ、夫が転勤で単身赴任をしていた。
だんだん歩行の際に痛みが出てきたし、夫もそろそろ一緒に住みたいと言うので、50歳で教師を辞めて、県外の夫のところに移住することにする。
仕事を辞めて、たくさん歩くこともなくなるので、足の痛みもよくなるだろうと思っていたが、予想に反して、痛みはひどくなるばかり。股関節に熱があり、夜もうずくという日が続いた。
ちょうど更年期にあたる年齢であった。
引っ越し先でも短時間のパートに出て働こうと思っていたのだが、それができないほどに痛みがわたしの日常に入ってきていたので、働きに出ることは断念する。
それからは、股関節がよくなる方法を模索して、情報を集め続け、少しでもこれはと思ったものは、どんなことでもやってみた。
この時期に、健康に関するさまざまな情報を得ることができたので、そういう意味では股関節に感謝している。
10年に及ぶ夫の転勤が終わり、自宅に帰ってきたとき、わたしは60歳になっていた。
いよいよ痛みが日常的に続くようになり、足の長さが違ってきて、腰にも負担がかかり腰痛も出て、歩くのも難儀になってきたので、そろそろ手術を受けることを考え始める。
2024年1月、自宅のリビングで転んで股関節を傷める。しばらくは歩けないくらい痛くて、久しぶりに整形外科に行く。立派な変形股関節症の末期であった。
骨折はなかったが、筋を傷めたようでもとに戻るまで3か月かかった。
その間も痛みは間断なく続き、家事をするにも支障をきたしてきたため、3月の末に、1月に見てもらった病院で人工股関節置換手術を決断する。
その病院の整形外科の医師は、20年前にわたしの股関節を見て「ゆくゆくは手術をすることになるでしょう」と言ったその人であった。20年の間に、わたしの股関節の軟骨はすり減り、関節は変形して、可動域がほぼなくなっていた。
この医師は、同じ症状だった母の股関節の手術を2回(両股関節)執刀した人であり、母の絶大の信頼を得ていた。(母は現在90歳だが、今も元気でひとり暮らしをしている)
これまで、整体院にも通ったし、その他のいろいろなツールも試してみた。それを総合しても、今外科手術をすることが、今後のわたしのQOL(quality of life 人生の質)を上げてくれると考えたからである。
「するなら早い方がいい」
もしかしたら、わたしの身体にメスを入れなくても、わたしの股関節及び身体全体を改善するいいツールがどこかにあるかもしれない。
けれども、これまでの経験から、もしそのツールがあったとしても、おそらく年単位の時間がかかるだろうと予測できる。
わたしは今63歳。あと10年かけてゆっくりと股関節と身体を元に戻していくとしても、その間痛みとともに暮らしていく時間がとても長いと思われる。
この先の10年はわたしにとって非常に貴重な時間である。
10年経ったのちに、今のわたしと同じ気力と体力があるかどうかわからない。
やりたい事がたくさんあって、会いたい人がいる今のうちに、股関節の痛みから開放されて、動けるようになりたい。
そういう思いからの決断である。
カンタンにと思いながらけっこうな長さになった。
そういうことで、来週いよいよ手術となった。
‥続く
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