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定年後の夫とふたり暮らし⑧〜夫の手術から丸一年

夫は、去年の今日、重度の心臓弁膜症の弁形成の手術を受けた。
今まで大きな病気をしたことがなかったので、手術も入院も初めてのことだった。わたしにとっても初めてのことだった。

夫はかれこれ5年前に心臓弁膜症と診断されていつかは手術をすることになるでしょうと言われていたけれど、自覚症状がなかったのでそのままにしていた。去年の健康診断で心雑音が大きく精密検査に行って手術をしようということになった。
急を要する手術ではなかったので、夫の退職のタイミングなどを考慮してこの時期に決めた。

あれから丸1年。
術後の経過もよく、夫はめでたく退職し、なにごともなく暮らしている。

一年前のことを思い出してみると。

手術の前日に担当医から詳しい説明を受けた。
それまでわたしは、心臓弁膜症のことも手術の詳細も知らなかった。

手術というモノを経験したことのある方ならわかるだろうが、手術前の説明は本当におそろしい!
手術の詳しい説明のほかに、手術により考えられる最悪の事態まできっちり伝えられる。
心臓弁膜症の手術は安全性が高まっていて、ほぼ心配はないということだが、それでも絶対に100%生還すると言い切ることはできない、ということを、頭ではわかっていたが、それを言葉で数値とともに示されるとさすがにマイナスに引っ張られる。

11月の肌寒い午後、夫を病院に残して一人の家に帰りながら、とてつもなく不安な気持ちになったことを覚えている。
夫が家にいる、という当たり前のことがどんなに心強かったかを思う。
(人は大切なモノが目の前からいなくなってからでないとその大切さになかなか気づけない生きものなのだろうか)

手術当日、言われた時間に病院に行き、8時半に、病室から夫を手術室のエントランス前まで見送って(夫は車いすにて移動)、わたしは待合室に移った。

手術が終わるまでここで待つことになる。何かあったときのために基本はずっとここで待機。(お昼はナースセンターに一声かけてから院内の食堂に行ったがそれ以外はずっとここにいた)

上手くいって10時間ほどの手術だと聞かされていた。
10時間!
なんと長い手術だろう。

前日の説明のおぼろげな記憶では、全身麻酔の後、いったん心臓を止めて、人工心肺を使いながら、弁形成を試みるということ。
むずかしいことはわからないが、なんだかとても大変な手術である。

明るく清潔な待合室で、わたしは一日待っていた。
面会の人たちや入院患者が入れ替わりやってきては去っていく。
わたしは、お昼に院内の食堂に行った以外はどこにもいかずそこにいた。

なにもしないと耐えられないなと思っていたので、編み物道具を持参して、ひたすら編み物をしていた。

長かった。

午後5時半。
看護師さんが「終わりましたよ。お顔を見てあげてください」と言いにきた。

テレビで見るような大病院の集中治療室にわたしは初めて入った。

そこには、体中チューブにつながれて、麻酔から醒めていない夫が、弱々しくベッドに横たわっていた。
担当医師から手術は無事に終わったことを告げられる。
何かあったときのために常時担当の看護師がパソコンとともについている。

「手を握ってあげてください」と言われるがままに、手を触るとあたたかかった。ああ、生きている、と思った。
でも、正直、夫と話がしたかった。

明日には目が覚めているでしょう、と言われたが、翌日面会に行っても夫はまだ眠ったままだった。そのとき、この人がこのままずっと目覚めなかったらどうしよう?と新しい不安に包まれたのを覚えている。

そんなことを思い出した。
手術の翌々日には夫は目を覚まし、行きつ戻りつしながら、徐々に回復していった。
そしていま、夫は何事もなく元気に毎日を生きている。

夫の手術から丸一年めの今日、お祝いにちょっとおいしいランチを食べに行こうと話していたが、先週は夫が風邪をひいて、今週はわたしが風邪気味。少し熱もある。
ということでランチはおあずけになった。

いつもならふたりでスーパーに買い物に出かけたり、夫の運転するクルマでドライブがてらちょっとそこのパン屋まで行ったりするのだが、そういうわけで今日はふたりとも一日家にいる。
お昼もあるものを食べた。

ちょっと残念な気持ちはあるが、これは天のギフトかもしれないなと思う。
何も特別なことをするわけではない。いや、何にも起きない当たり前の暮らし。それこそがとても幸せなことだと天は教えてくれようとしている。今のわたしにはわかる。
そんなことを考えていると、今日はすばらしく特別な一日なのかもしれない。




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