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ベイビーわるきゅーれ エブリデイ!に寄せて

本当にすごいドラマでした。
まさか1話からこんな展開になるとは思っていませんでした。
12話かけてモラトリアムからの脱却、それから続く未来へ自分たちの足で立つちさまひを愛しくドラマティックに描いてくれて、それでいて身に覚えのあるリアリズムがこれまで以上に私をこの物語に没頭させてくれました。

以下、ネタバレ含みながら物語の大筋と所感を述べてるだけです。

ドラマではエブリデイというタイトルの通り、生活する中でこれまで隔絶されていた他者・社会との関わりが格段に増え、ちさまひもその中でこれまで彼女たちの視界に入っていなかった存在と感情に目を向けることになる。
夏目敬を殺した後のまひろのためらい、ちさとの実家で普通の幸せを実感したことによる殺し屋の異質さ、営業部の方針へのちさとの憤りとそれによる殺しへの疑念。
これまでの映画シリーズで彼女たちは殺しに疑問を抱くことがなく、神村兄弟でさえ顔色ひとつ変えずとどめをさしていたし、冬村かえでも相手に明らかな殺意があったからとはいえ、その殺し自体に疑問を抱くことはなかったように思える。
ただ、殺さなくてはいけないから殺す。
なぜなら自分は殺し屋だから。
それが殺し屋を主人公とするベビわるの世界であったし、私もベビわる1の冒頭のコンビニ乱闘シーンから、あぁ、ちさまひの敵は無条件にヴィランで、この殺しにには善も悪もなんの意味もない、ただ彼女らは殺し屋で殺しをしているだけなんだ。と納得していた。ゲームで強い敵キャラを倒していくように。
つまり、人を殺すという行為自体の倫理観を排除した上でベビわるの物語が成り立っていると思っていた。
実際もしかしたら2まではそうだったのかもしれない。

しかし、ナイスデイズでまひろが死を覚悟し、一度生かされたことで殺し屋としての自分とは?と問わざるをえなかったことでその前提に亀裂が入り、エブリデイで抉り取られるようにこれまで無視してきたその倫理観に真正面から向き合うこととなった。

1-3話まではこれまでと同じように与えられた仕事をこなし、対象者に哀れみを抱くことはあってもそこにためらいはない。
しかし風林火山編で、長い時間を一緒に過ごし努力と葛藤を見てきた夏目敬が粛清対象になる。
殺した後に 
夏目さんには死なない道もあったんじゃないか
と須佐野さんに問うまひろには、どうして夏目さんを殺さなくてはいけなかったのか、無意識下に自分自身に問うているような気がする。

そして突然与えられたジョブローテーションという転機。
これまでの場所から離れ、自分たちが行っていた仕事(殺し)を異なる視点から見ることになる。
営業部に配属されたちさとは劣悪なパワハラ環境に疲弊し、監査部のまひろは徐々に打ち解けあった粛清さんをいずれは粛清しないといけないという葛藤を抱える。
新たな環境で、これまで仕事に対して抱くことのなかった苦しみと葛藤が発生する。
まひろの葛藤は、この人をなぜ殺すのか、自分はなぜ殺し屋をしているのかというベビナイから続く地続きの葛藤である。
一方、ちさとの殺しに対する疑念と反発は少し違う。まず営業部のパワハラ体質にどろどろと染み込むように疲弊させられるが、ここでは殺しそのものに疑念を抱いているかと言われればそうじゃないと思う。
しかし、疲弊した中で優しく接してくれた中華屋の店長が殺しの対象になり、初めてなぜこの人(対象者)を殺さなくてはいけないのか、という疑問を抱く。そして更には非人道的なやり方でその殺しが決行されたことが明らかになり、反発する。これまで実行していた仕事(殺し)は一体なんだったのか。なぜ殺さなくてはいけなかったのか。
唐突に、これまでなんの疑いももたずに仕事だからと無条件に許されていた殺しが、ちさと自身の倫理観によって許されなくなる。

ここまでが11話前半でした。
突きつけられた殺しに対する葛藤…ここまで殺しに向き合ってしまっては、2人はもう死ぬか殺し屋をやめるしかないんじゃないか…と11話を見た直後率直に思いました。
だって殺しはどうしたって良くないから。

しかし、それを吹き飛ばす11話後半と12話。
殺しに向き合い、営業部の行う不条理な殺しに、私が泣く資格ないんだけど…
と言いながら憤り苦しみを吐露するちさと。
まひろはそこでちさとの手を握って、
やっと殺しの仕事をしている理由がわかった。
ちさとを泣かせるやつをぶっ殺すためだ。
と言う。まひろもここでずっと葛藤していたなぜ自分が殺し屋をやるのか?という問いに答えを見つける。
教会の人を殺せば、殺されてしまう。だから無理だよと、一度断った申し出に、まひろはそれこそが自分が生きる理由だ、と強い意思をもってはっきりと主張する。ちさとが苦しむ世界なんて、自分の命をかけてもぶっ壊してやる、と。
ベビナイでは死ぬ覚悟をもったまひろにそんな覚悟するな、と言っていたちさとも、決意を固める。
2人で死ぬ覚悟を持って営業部ひまわりを壊滅させよう、もう自分達の殺しを終わらせようと。これは一種の答えに思えた。
自分達が行なってきたことと、これからも生きていくには関わらざるを得ない殺しを、ここでまひろは最愛の人のために、ちさとは自分の中の正義に従うことで、最後にして終わらせるんだと。(日野さんの、もう終わらせたいんだよにも通ずる)
ちさとの倫理は破滅を選んだのだと。
けれど、日野さんという、まひろが自分の考えを持って、初めて命令に背いて殺さなかった人物によって2人は生き延びる。
生き延びて帰って、ビールを買って帰る帰り道で
ズルくて、勝手かもしれないけど、生きててよかった
とまひろは言う。
ベビナイの生きててよかった、とはまた違って、これまで自分がやってきたこと、日野さんが自分達の身代わりになってくれたこと、全て正しいとは言えないけど、それでも生きててよかった。と言うニュアンスがあるように思える。
薄汚れた世界(と自分自身)でも生きてることが嬉しい、と。
そして現場に戻った2人は、須佐野さんに殺すべき相手を自分達で選ばせてくれ、と言う。
もう一度殺しと自分自身に向き合って、今度は生きていくために(2人が殺し屋であり続けるために)、自分達の意思と責任で仕事(殺し)を行い、未来の話をするために。

この風林火山編から続いたジョブローテーション編の8-11話が、殺しという主軸は突飛だけど、私にはすごく普遍的なことに思えました。環境の変化(進学、就職などその他日常のもろもろ)と関わる人々によって、今までの自分と社会に疑問を抱き、果たしてこのままでいいのか?自分のやってきたこと・やってることってなんなんだろう?と、思い悩む。
須佐野さんの
善と悪なんて、勝手にひっくり返る世の中
と言う言葉や
山下を殺すちさとの
正義じゃねえよこんなもん
というセリフにあるように、何が正義か悪かなんて誰にもわからない。価値観と意味がぐらぐら揺れる中で、もがき苦しむ。だからこそ、その都度自分で考えて判断して、自分の人生に責任を持ちつづけることが、自分自身を肯定することに繋がるんじゃないかと、そんな風に思いました。

ベビエブはベイビーわるきゅーれからワルキューレ(戦死者を選ぶもの)への自立と成長の物語でした。
その間にある2人が2人だからこそ、とかは話し出すとまた長くなりそうなので一旦置いといて、ベビエブの12話がこの12話で本当に本当に本当に良かった。
ちさまひが地に足をつけて、これからの人生を力強く踏み出してくれたことに私は希望を抱きました。

ちさまひがこれから引く引き金は、自分で選んだ責任を伴ったものであるからこそこれまでとは違ってすごく重いだろうけど(だからみやじいはその重さに耐えきれず、ドローン爆破を選んだのではないでしょうか)、ちさまひが日常の喜びと尊さを忘れないで未来を選んでくれたので、私も日々の葛藤に負けずに強く生きていこうと思います。

生きていく中でまた2人に会えますように!
ベビエブを作ってくれた皆さん本当にありがとうござました!
ベビわる大好き!
あと11話の髙石あかりさんの演技をみんな見て欲しいし、伊澤さんの1話冒頭のファミレス戦闘シーンと私服警察の所のぶ、ぶちょお〜がたまらなく好き!

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