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なぜ牧師になったの?
この10月で牧師になって21年になります。
牧師になることをキリスト教用語では「献身」と申します。まさに牧師は神様に身を献げる仕事です。
「なぜ牧師になったの?」と聞かれることがあります。女性の牧師は珍しく、女性牧師に会ったのは初めてという方も中にはおられます。
牧師になる前は、公立病院に勤めていました。自分は医療の仕事が天職と信じ、生涯患者さんに尽くしたいと考えていたのです。
クリスチャンでしたので日曜は教会の礼拝に通っていました。教会では神学校を卒業したての牧師がいて、説教が神学者のようで難しく、ちんぷんかんぷん分からず、でした笑
そのような中で教会の皆さんが牧師を助け、支えて、奉仕をされていました。私も微力ながら子どもの教会で奉仕をさせていただきました。
ある日曜の午後、教会の皆で近くの渓谷に遊びに行くことになり、私も参加しました。渓谷を登り、急な斜面を上がって行くうちに私一人が遅れをとってしまいました。
「もう無理だ、独りここで待っていよう。」と立ち止まると、何と私よりも後に牧師が杖を持って上がって来たのです。牧師は、山登りが趣味で脱落する人がいたら助けようと思っていたそうです。
牧師の説教は難しいけど、このように羊を守ってくれるのだと、その時に体現したのを覚えています。
一年が経ち、私にも「その時」がやってきました。献身の召しの時です。感染症から重い肺炎を患ってしまい、死の淵を彷徨ったのです。
高熱が続く中、私は「神様、召されても構いません。でも、もし命を下さるのであれば、あなたのために用いたい。」と、祈りました。
その祈りに応えて下さった神様によって、今の牧師としての私はあります。
他人事ではない、私もまた教会の皆さんに助けられて弱いながら牧師を続けることができています。
「なぜ牧師になったの?」答えがあるとしたら、それが御心だったから。
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。ピリピ人への手紙2章13節