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姉倉姫神社へ行ってきた。

今日、姉倉姫神社へ行ってきた。

この神社は延喜式に婦負郡7社の筆頭に載っている。

ただ、旧船峅村と旧呉羽町に同名を名乗る社があり、2社の内ありどちらが延喜式の社なのか、はっきりしていない。

越中の歴史を纏めた「肯構泉達録(こうこうせんたつろく)」や「喚起泉達録(かんきせんたつろく)」には、姉倉姫と石動彦の戦いから書き起こされている。『姉倉姫』はその主人公のひとりである。つまり、姉倉姫神社と言うのは、この女神を祀った神社なのだ。


この話を簡単に記すと

船峅にいた姉倉姫と石川との県境にいた石動彦は夫婦であったのに、石動彦は能登の能登姫と懇ろになり、怒った姉倉姫と石動彦との間に戦となった。この鎮圧に大国主命がやってきて両者を成敗した。成敗の内容は姉倉姫は呉羽に流され、石動彦と能登姫は氷見の海岸に埋められた。

やがて、姉倉姫は許され船峅に戻ることとなったが、呉羽から出る際に姫への想いから多くの蝶が後をついて行ったという。

http://ww2.ctt.ne.jp/~tairyuji/story_anekura.htm
県立大沢野工業高校社会学部作「ふなくらものがたりーあねくら姫」

実は呉羽の姉倉姫神社の祭神は、天照皇大神、姉倉比賣命、大己貴命、武御名方主命、豊受大神の5柱を祀っている。

明治の廃仏毀釈や合祀令の中をどのように生き抜いて来たのか、ネットだけでは調べようがないのだが、神主のいる神社となっている。

今日も多くの人が初詣に来られていた。

一方、船峅の姉倉姫神社の祭神は姉倉姫のみであり、神主は居らず、江戸時代まで別当であった「帝龍寺」と地元民で世話をしている。この社は江戸期までの神仏混交の形が色濃く残っている。

仏教が入ってきた頃、本地(インド)では虚空蔵菩薩であったが、ここ垂迹地(日本)では姉倉姫の姿で表れたと言う理解で神も仏も同じもの、ただ姿を変えただけと共に受け入れた。それを本地垂迹説と言う日本の仏教の取り入れ方だった。

帝龍寺では、今語ったように姉倉姫(虚空蔵菩薩)を祀るために真福上人により702年に建立されたと残っている。真福上人とは御連枝(天皇の兄弟)であり文武天皇の兄弟と言うことになる。

このため当初の名は帝が立てた寺として『帝立寺』であったと寺は伝える。


その後、この寺にたいそう強い和尚がいて、山奥に棲む龍を退治したと言うことで『退龍寺』と呼ばれ、やがて建立縁起を忘れてはならぬと『帝龍寺』に治まったと言う。

http://ww2.ctt.ne.jp/~tairyuji/story_tairyuji.htm
ふなくらものがたり『帝龍寺』

やがて『阿彦の乱』で大和側を救うことになるこの神を大宝律令制の普及の中で寺を伴い祀ったものなのかもしれない。


実は、船峅の姉倉姫の配置は出雲大社と似ている。拝殿からお詣りしても神は横を向いており、参拝者とは向かい合えない形になっている。

これは、征服された側の神を祀った場合に多いと聞く。

加えて、(船峅)姉倉姫神社の本殿にいる神の視線の方向は南向きで、その方向には『御前山』がそびえている。この御前山の頂に以前『雄山神社』が有ったと伝わっている。


つまり現在、姉倉姫は民のいた平野部を背にし、目の前に衝立のように聳える御前山に向かい。その頂きから雄山神社は足元に姉倉姫を、そして民のいる平野部を見下ろすように君臨する形になっている。


それがいずれ効はあるが敗者である姉倉及び越を治める形だったのではと考える。


雄山神社が今のように岩峅、芦峅へ、そして雄山山頂へと移ったのは、「阿彦の乱」及び密教(仏教)の影響から身近な低山信仰から高山(山岳)信仰へと移動したのではないかと考える。


何故なら岩峅の地は阿彦の拠点の地であり、芦峅は高山(山岳)信仰への進展が「あし(悪)」の地に人や施設を呼んだのだろうと考える。

それは、岩峅の雄山神社にしろ芦峅の雄山神社にしろ参拝者の拝する方向は雄山では無いのである。


今日は、ここらへんで・・・
長いといつも叱られているので。


船峅の姉倉姫神社の配置↓
この参拝者の拝礼方向は、立山の雄山なのだ。

これは呉羽の姉倉姫神社↓
参拝者は北西の方向に向かい拝する。

余談
岩峅や芦峅の雄山神社は何故か魚津?黒部?の方向に参拝するのだ。雄山に神が居るならそちらに向かって礼拝するようにしない?
場所だって、広い場が周りに沢山あるのに。

岩峅神社は、何故洪水に流されるような場所に?
芦峅神社は、まんだら遊苑の所に雄山を直接拝める広大な場所があるのに。
何故?


おまけ
船峅(姉倉姫神社)↓

拝殿前から西側鳥居を見る(長い階段の昇った所から)

呉羽(姉倉姫神社)↓
神主さんや巫女さんが沢山いた

立派の一言↓

なんと、朝乃山からだ!↓

考えてみると呉羽は朝乃山の出身地だから、小さい時から『姉倉姫神社』にお詣りに来ていたのだ。

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