べきべき星人とねばねば太郎にサヨナラを
洗って干してたたむ。洗って干してたたむ。
夕方に取り込んだ洗濯物をたたみながらふと思った。なんで私はわざわざ洗濯物をたたむのか。しかも時間をかけて丁寧に。そもそもこの「たたむ」作業は必要か?
シャツや上着はシワを伸ばしてハンガーにかけて干す。だったらハンガーのままクローゼットにしまえばいいのでは?たたむ手間が省けるし!
おお、なんだか覚醒した!?
しかし、なぜ自分はこんなにも頑なに洗濯物をたたみ続けていたんだろう。いつから「たたまなければ」と思い込んでいたんだろう。
きっとそれは親の影響なんだろう。子供の頃、母親から「洗濯物はたたんでからしまいなさい」と口うるさく躾けられて、洗濯物はたたむべきとすり込まれてきた。
すり込みの力って凄い。ウン十年も人の行動を縛ることができるんだ。
(もちろん良い躾をしてもらったと親には感謝しています)
もうひとつ、最近覚醒したケースでカット野菜がある。
私は今まで野菜は丸ごと買っていた。丸ごと買うべきだと思っていた。
でも毎回のように食べきれずに腐らせてしまう。小ぶりのものを買っても、切るのすら面倒で使いきれず、結局腐らせてしまう。これまでダメにしてきた野菜の総額は…考えるだけでも恐ろしい。何よりも志半ばにして(文字通り)朽ち果てていった野菜たちに恨まれそうで怖い。
そこで最近はカット野菜を買うようにしている。これまでは「誰が買うんだこれ?」となぜか蔑視すらしていたカット野菜だが、使ってみるとまあ便利!とにかく切る必要が無いというのがうれしい。そのまま皿に盛りつけてムシャムシャいける。カット野菜のおかげで以前より野菜をとる量が増えた。しかも使いきれるから野菜に恨まれることもない!
それにしても、どうしてカット野菜を毛嫌いしていたんだろう。きっとどこかで野菜は丸ごとから調理すべきとすり込まれて、長い間そうすべきと思い込んでいたんだろうな。
ちなみにカットフルーツを積極的に買うようになったのも、カット野菜と同じく覚醒したケースです。
洗濯物をたたむ作業にしかり、カット野菜にしかり、私たちは「~すべき」とか「~せねば」といった思い込み、いわゆるべきべき星人やねばねば太郎を自覚なく背負っている。これらは「思い込み」や「観念」という言葉に置き換えることもできる。
このべきべき星人とねばねば太郎があなたを縛っていないだろうか。
「お金は苦労して稼ぐべき」
「辛くても3年は続けるべき」
「メールには署名を入れるべき」
「明るく振舞わねば」
「推しのイベントにはすべて参加せねば(笑)!」
やつらにサヨナラを告げることができれば、また世界が違って見えるかも。
と、壮大な想いを馳せながら、下着と靴下だけはたたんでしまったバンコクのトワイライトでした。
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