邪魔だと思っちゃだめなの?
「親はさ、弟のような障害者が生まれるなんてわかってたよね。(弟のことを)邪魔だと感じちゃダメでしょ。邪魔だって思うなら生むなよ」
これは同じくして"きょうだい児"として生まれ育ってきた妹が言い放った言葉である。
当然ながら突然こんな言葉が飛び出してきたわけではない。
こんなことを言ってきた背景はこうだ。
母は弟をデイサービスに預けている。
妹はどうやらそのサービスについての利点(障害児にとって発達にどういう良いことがあるのか)を学んだそうだ。
それを母に言ったらしい。
「お母さんが弟をデイサービスに連れて行ってるのは弟にとってこういう良いことがあるからなんだね!」
母はこう答えた。
「いや、教育の費用の(母が仕事をする時間を確保する)ためだし」
どうやらこれが妹にとって気に食わなかったそうなのである。
妹の言い分はこうだ。
「子どものこと何も考えてない……。『教育の費用のため』じゃなくて『弟の特徴や特性を考えて入れてる』って言って欲しかった。
弟が邪魔だから入れてるって言ってるように聞こえた」
親は必要な教育の費用稼ぐ時間を作るためにデイサービスを利用した。
これをどう考えたら子どものことを考えてないとなるのか甚だ疑問であるが、それはさておき。
そもそも、学校で習った"障害児にとって"利点となるようなデイサービスの特徴。
これを理解して入れている親御さんがどのくらいいらっしゃるだろうか。
おそらくだが、そんなこと把握して入れているのは教育熱心な親御さんだけである。別にこれは悪いことではなく、むしろ把握した上で施設に入れることは正しい。
しかし、ただでさえイレギュラーな状況に悩ませられる障害児育児に携わる親御さん方。
彼らにとっては、デイサービスとは親や介護者の貴重なリフレッシュタイム、1人時間確保のための手段の一つでしかないのは事実だ。
介護者が自分の時間を作ろうとすることは悪なのか?介護者が被介護者を邪魔と感じることは悪か?
今回はそんな話をしていきたい。
介護施設は介護者のためにある
先ほどの話に納得がいかない方もいると思うので、少し別の話をしよう。
皆さんは、介護職、介護施設等がなぜあるのかはご存知だろうか。
お世話が大変な高齢者を預けるためである。
言い換えるならば、
家庭内の介護者が介護から解放され、自分の時間を得るためである。
これは確か国の方針としてもそうだったと思う(授業でやったけど具体的にはごめん忘れた)。高齢者のためだろって意見もあると思うし、それも1つだとおもう。この記事は介護者側から書いてるので意見の偏りは申し訳ない。
介護を長期間やるのは苦痛である。
自分の愛する人(親、パートナー、兄弟等)の世話なら苦痛に感じないと思っている人もいるがそれは大きな落とし穴。
実はそういった「今までの恩返しのために、愛する人のために」と一生懸命に介護をし、介護者諸共共倒れするケースは少なくない。
ネットで調べてみたらそんなデータわんさか出る。
正義感などが人を麻痺させ、そう動かしているだけで、実際、介護の負担が減るわけではない。
だからこそ、「しんどいときは頼ってもいいのよ」と介護施設を国は提供しているのである。
では障害児のデイサービスは違うのか?
障害児も育児+介護の負担が大きい。
ならば当然、親が自分の時間を確保するためだと答えても問題ないのである。
もちろん、デイサービスで行なっている取り組みが障害児本人にとって全くプラスになることはないかと言われたらそうではない。
しかし、それは最初の目的ではないのだ。
あくまで、育児や介護から解放される時間を確保するのが目的であって、それが障害児本人にとってプラスに働くのは副次的効果でしかない。
だから、だーーれも、「障害児本人にとって良いことだから通わせてるの!」なんて言う人がいなくても当然なのである。
お腹空いたからたまたまそこに用意されたサラダ食べた時に、「あなたは健康にいいからサラダを食べたのね!」なんて言われても、「は?」でしかないのである。
「腹を満たすこと」がまず目的としてあるからこそ目の前のサラダを食べたのであって、「健康になりたいからサラダを食べる」とはまた別である。
妹はそこを履き違えているように思えた。
だからこそ、思ったような返答が親から得られず、言葉を曲解したのだろう。
「弱者を救う」って誰のため?
妹のような思想を持つ人間は意外といる。
特に弱者(障害者や高齢者など)を救いたいという想いが強い人間。
彼らはまず、「弱者本人」に目を向ける。
「弱者本人の周りの人」のことは二の次である。
だからこそ、弱者を救いたい想いが強い妹は、
弟(弱者)のことを第一に考えていない=悪
となるのである。
子どものこと考えてない発言や、邪魔だと思ってるように感じた、などという発言もそれが原因だろう。
うん、私は嫌いだ。その思想。
弱者の周りの人達は頑張って当然!
弱者は頑張っているのだから!
みたいな綺麗事だけ並べられたってな。
弱者の周りは弱者救うために人生の一部犠牲にしてんだわ
不快に思われた当事者方には申し訳ないが、事実だ。
文脈でおそらくわかるように、いわゆる弱者に該当する方、本人を貶めたい意図はない。
※この文章では障害等の有無は問わず、周囲の援助なしに1人で生活をすることが難しい方々を総じて弱者とします。
人間は誰しも迷惑をかけ合って生きていることは重々承知だ。
助け合いが必要であることも。
しかし、弱者だから助けなければ、弱者も頑張っているのだから周りの人は文句を言わずに助けなければならないというのは違うとは思わないか?
誰かを手伝うばかりしていては誰しも嫌気さすし、文句を言いたくなる……
かといってその誰かを手伝うことをやめるわけではない。
ちゃんと世話をする、手伝うと決めた以上責任があるから。
親だって子を産んだのは自分だから文句垂れながらもちゃんと世話してるよ。
それなのに、弱者救うべき思想の方は、弱者が頑張っているんだから文句言うのは失礼だろ!ちゃんと黙って手伝え!っていうわけだ。
文句を言う自由も与えられないまま手伝わせるって奴隷と何が違うの?
私はもっと助ける人、助けられる人が対等になるべきだと思うけど。
実際は難しいけど、少なくとも落とし所をつける作業は当事者がやるべきであって他者がとやかく言うことではない。
「私はあなたを手伝うけどお礼はいちいち言わなくてもいいよ」というならその人との間ではそうすればいいし、「いつも手伝ってもらうのはしんどいだろうからこういう時はここに頼るようにしよう」と言うならそうすればいい。双方が話し合って納得すればいいことだから。
綺麗事並べて、「障害者は手伝ってもらうことが当たり前」「手伝ってもらったらお礼を言うべき」「障害者の周りの人(家族等)が助けることを休むことは許さない」なんて外からみている人の自己満足でしかない。
あと、弱者救うべき論者って(表向きでは)弱者のことは救ってくれるけど、弱者の周りの人のことは助けてくれないよ。
介護の共倒れの話したね?
弱者救うべき論者の言う通り、文句垂れずに介護を介護者1人で続けた結果、弱者の周りの人からぶっ倒れるよ。
そうなるとどうなるか。
弱者本人もぶっ倒れる。
支えてくれてた存在がいなくなるからね。
弱者救うべき論者の言うとおりにすると、
弱者本人に悪影響が及ぼされるんだよ。
本末転倒じゃね??
弱者救うべき論者の方は自分たちが弱者を助ける周りの人になるなんて感覚がないか、そんなつもりもないから助けてくれません。
彼らには弱者もその周りの人のことも"自分が"助けるなんて考えは元からないわけです。
それか、周りの人の助けがあるからこそ生きていることがわかってないだけ。
弱者を救うべきなんて耳触りの良い言葉並べて、弱者を助ける周りの人を苦しめて何が楽しいんだろうね?
自分が正しいという正義感に酔っているだけなんじゃないかと私は思うよ。
結論
どんなに愛してても邪魔な時は邪魔だ!!!
どんなに愛していても邪魔だと感じる時はある。
愛しているなら邪魔と感じるわけないだろう!と豪語する人は実際の大変さを知らないから言える。
言っておくけど、弟のことを四六時中邪魔だと思ってるわけじゃないわ!!!
世話もちゃんとしているし、邪魔だと感じる瞬間はその生活の中でほんのひと時である。
誰だって誰かの世話続けてたらさ、自分だけの時間欲しい……自分の時間作るためには〇〇が邪魔(いるから時間が作れない)……となってもおかしくない。
にも関わらず、愛しているなら邪魔だと感じるはずがないという幻想を信じるものは四六時中一瞬でも邪魔だと感じる瞬間を許してくれないのである。
全くおかしな話だよね。
一瞬でも邪魔だって思うことが悪??
そういうのであれば、言葉も話せない、自分でトイレにも行けない、外に出たら死ぬかもしれない存在を10年以上邪魔だと思わず世話してみてほしい。
もちろんデイサービスに預けるのは無しだよ!だって、デイサービスに預けることも、(自分の余暇を作る時に)その存在がいると邪魔だと感じるから預けるんだよね?
本人のためになること以外の公的サービスは全て使わないで育ててください。
愛しているならできるでしょ?
綺麗事で蓋をするな
福祉ってなんのために存在してるんでしょうね?
利用者本人?利用者の周りの人の負担軽減?
ただの綺麗事?
答えは人それぞれでいいんじゃないの。
誰かの何かしらの役に立ってるならそれは福祉ってことで。
ただ、綺麗事で当事者を潰すのはやめろ。
綺麗事言って救われるなら世界はとっくの昔に平和だわ。
綺麗事で人を批判することは臭いものに蓋をして見えなくしてるだけだということを理解してほしい。