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半径2メートルの人を幸せにすればいいんだよ。(あね)

いもうとへ

元気?ごめんね、ご無沙汰してしまって。

休符の音楽について。

動と静、があって、物事は成り立つのだよね。人間も機械も、動き続ければ壊れてしまうのは明らかだ。赤ちゃんは、泣くのと寝るのが仕事。高校球児も、球数や連投を制限する。

真面目な日本人が、コツコツ働いて作り上げてくれたこの経済大国に私たちは生きているね。食べるものも着る物も、潤沢にある。娯楽もあり、社会保障も整備されている。

だからみんなでこの社会を守るために、一人一人が歯車にならなくてはいけない。そう思ってた。

でもそうじゃないのよ。生きていくってことは。歯車に、なれないことだってあるの。なれなくなるの。どんな人もいつかは、必ず。

この間ね、アイヌの女性にアイヌ刺繍を教えてもらったの。正しく言うと、そのアイヌの女性の傍らで、その空気を共にしていた和人(文脈としてあえてこう言う)の人になのだけれど。

アイヌ刺繍を刺しながら、教えてもらっているのは刺繍そのものなのではなく、アイヌの文化なのだと思いました。手を動かしながら、アイヌの女性が語られるお話や、奏でる歌を聴いていると、どうしようも無く泣きたくなりました。そして私はおいおい泣きました。

ちちがなぜアイヌに憧れて、アイヌ語やアイヌ文化を生涯学んでいたのか、その時はっきりと分かったように思います。

ちちは言っていた。アイヌには障害者という概念はない、と。コタン(集落)で暮らすのだから、誰かが彼の足になり、誰かが彼女の手を引くのだと。老人は敬われる。赤ん坊は守られる。コタンの、皆によって。

社会の歯車に、という考え方は、ともすれば実力主義の効率社会を目指すことになりかねない。

コタンはみんなのものだから、みんながコタンで育ち、コタンで死んでゆくのだから、誰かが、その時動ける誰かが動かしていけば良いのだわ。体や心に傷を負った者も、守られて当然なのだ、と思った。

アイヌの女性はこう言いました。

何かを大きく変えようと思わなくて良いの。半径2メートルの人を幸せにすれば、世界は必ず良くなるよ。

と。

子どもを失った私は、今は心の折れた、歯車になれない存在。でも、半径2メートルの人を幸せにすることはできそうだ。そして、あなたも、その中にいてほしいです。

ちちの研究室から13年前に持ち出した三好文夫先生の本を読み始めました。ちょっと勉強してから、また彼女に会いに行こうと思っています。

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