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「人に迷惑をかけない」と「お互い様」(いもうと)

「人に迷惑をかけない」、言われがちだけれど、ひとつ間違えると呪いになりかねない言葉だと思う。「助けを求められなくなる」、いやまさにその通り。
生きていくって、迷惑をかけてかけられての繰り返し。「迷惑」という言葉を置き換えて、助けて、助けられて、とも言える。それを自覚することが、「人に迷惑をかけない」という言葉で縛るよりもずっと大切なことだと思う。「情けは人のためならず」という諺は、情けをかけることは巡り巡って自分に返ってくるという意味なのに、情けをかけるのはその人のためにならない、と誤用されることもある。

日本語には「人に迷惑を」と対になるような「お互い様」という言葉もあるね。とはいえ、変なふうに解釈して迷惑をかけた方が免罪符にしちゃいけない。迷惑をかけられたと思う日も、迷惑をかける側にもなりうるのだからと思って、謙虚に寛容に、許し合えたらいい。なかなかできないときもあるのだけれど。人生とは修行。

父の言う「老人ホームの隣に保育園」計画、素敵。そんなふうにはならないものかしら。以前、学童保育の先生とお話しする機会があったのだけれど、その先生の勤めているところでは、おじいさん先生が将棋を教えてくれるのだと言っていた。大人気なんだって。将棋や囲碁、書道や手芸の先生になって教えるのも、教えてもらうのも素敵なお互い様だな。
幾つだろうと、誰かの役に立つという実感は嬉しいものね。
「何をして他人に認めてもらうか」ではなく「他人に何を貢献するか」で自分自身を幸せにする、というのを読んだのはアドラーだったかな……あ、本棚にないな……


朗読で思い出した、H先生のこと。
中学1年生のとき、国語と書道と男子体育を担当し、書道部と男子バスケットボール部の顧問をしていたH先生という男の先生がいた。今思うと働かせ過ぎなんじゃないかと思う。私が3年生になるときに、お辞めになった。

板書が綺麗で、朗読が面白くて。忘れもしない、「オツベルと象」。手元になかったので青空文庫で読み返しました。

冒頭の稲こき機の擬音「のんのんのんのん」、しれっと象を騙そうとするオツベル、オツベルを疑わない白象、後半オツベルを救いにやってくる象の群れの「グララアガア」という迫力。教室中が笑ったり、聞き入ったり、声量に驚いたり、朗読ってこんなに面白くていいんだ!と思った。

今こうして甥たちの絵本読みおばちゃんにしてもらって、もしかしたらどこかの誰かの絵本読みおばちゃんになるかもしれないのは、なんともありがたいです。おにいさん役立ててくれてありがとう。


「八郎」を読んでいて、ああ男性のような低い声も出せたらよかったのに、と思う。でも市原悦子になったつもりで読もう。
ところでYouTubeには「八郎」の朗読動画がいくつかあったのですが(許可取ってるのかな)、おそらくどの人も秋田弁話者ではないの(見ちゃったわ)。
福音館書店、「八郎」を音読CD付きで刊行してくれないかな。標準語が広がって、方言と方言話者が少なくなっていく今、民話(「八郎」は創作童話だけど)をその土地の方言で読むって、すごく意味のあることだと思う。というか私が聴きたい。
柳葉敏郎さんに読んでもらったら、ものすごく話題になるのではないかと思います。私が本屋なら入り口一等地の新刊台に積んで、きっと宣材のDVD作ってくれるって信じてるから、それをループして流すわ。秋田県人会の方探して依頼して刊行記念朗読会するわ。
どうでしょうか福音館書店様。よろしくお願いします。


本の探偵、赤木かん子さん!本屋時代に一度、来てくださったことがあります。きっとどこかの図書室を作りにいらしたのではないかな。意を決して「赤木かん子さんですよね」って話しかけた。お忙しそうだったから、好きですファンですというのを早口で伝えました。ポプラ社の旧社屋で開かれたひこ・田中さんとの講演会に一緒に行ったよねー。

かん子さんのページにあの絵本のこと書き込んできました。見つかるかな。私の知っている本もないかと思って、本を探している人たちの書き込みを読んでみましたが、ひとつもお役に立てなかった。残念。

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