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すこし茶色い娘と向き合う、肌の色について
肌の色。色は視覚的に定義可能で、一見単純なテーマのように思えるが、実際には非常に複雑で繊細な問題である。
クリスマスイブにこんな話題を取り上げるのは場違いかもしれない。しかし、最近起きた出来事を考えるうちに、このテーマについて深く考えてみた。
娘は東アジア系の血を引くハーフ(またはミックス)である。道を歩いていると、「まつ毛が長いね」「しっかりした顔立ちだね」といった声をかけられることがある。また、直接的に「ハーフなの?どこのハーフ?」と聞かれることも少なくない。しかし、娘の肌が日本人の多くよりやや茶色いという点については、これまで誰からも言及されたことはなかった。
そんなある日、幼稚園から帰ってきた娘が「〇〇ちゃんに『娘ちゃんの肌は茶色いね』って言われた」と教えてくれた。その時は特に悪意を感じなかったので、「そうだね。世の中にはいろんな肌の色の人がいるんだよ。娘ちゃんの色もきれいだね」と答えた。ところが数日後、また娘が「今日は〇〇ちゃんに『娘ちゃんの肌は茶色くて汚い』って言われた」と話してきた。肌が茶色いというのは事実だが、「汚い」という言葉には主観が含まれている。幼稚園児は語彙が限られているため、表現に不適切な部分があるのかもしれない。また、互いの本当の意図は聞き取れていないため、誤解が含まれている可能性もある。
いずれ娘は、自分の肌の色や私と異なる点について傷つくことがあるかもしれない。その日のために少しでも衝撃を和らげたいと、娘が生まれてから私は日焼け止めを使うのをやめ、茶色めの肌を保つよう心がけている。それでも、わずか4歳でこのような経験をしたことには驚きと衝撃を感じた。
肌の色に関することに限らず、幼稚園という小さな社会では、先生を介して娘の様子を知ることができる場合もある。しかし、いつか娘は自分自身で考え、自らの心を守らなければならない日が来る。その時に備え、どんな時でも娘を愛している人がいることを伝え、安心して話ができる関係を築いていきたいと考えている。
娘へ。生まれてきてくれてありがとう。大好きだよ。