礼に始まり礼に終わる!見えないものへの行動こそが内的変化を生む
みなさんこんにちは、ありがとうおじさんです。
ありがとう言い続けて18日目。
言葉の変化が、心の変化を生むことを日々実感しております。
さて、今日はありがとう繋がりで”礼”について思うことを。
日本ならではの礼。
これって本当に素敵な文化だなぁ、と最近感じているんです。
礼に慣れ親しんだ青春時代
振り返れば、礼をよくする青春時代を送ってきました。
小〜中学までは野球少年でした。
野球といえば、高校野球でご存知かと思いますが、とにかくよく礼をします。
練習や試合で、グラウンドに入るときや出るとき。
試合の始めと終わり。
バッターボックスに入るとき。
1日に何度礼をするの?というくらい礼をします。
高校では柔道部に入りました。
柔道では、道場に神棚(もしくは上座)があり、練習の前後に礼をします。
正面に礼!
先生に礼!
お互いに礼!
と三度礼をしていました。
また、畳の上に上がるときにも都度礼をします。
練習中の段取り(実戦形式の組み稽古)でも礼をします。
うん、柔道でも1日に何度礼をするの?というくらい礼をします。
そんな癖があってかなくてか、今でも礼が身体に染み付いているんです。
トレーニングルームに礼!
週に2−3回、ジムに通っていますが、トレーニングルームに入るときと出るときにも礼をします。
たとえ他の人が誰一人やっていなくても。
これは、昔の名残なのか?
あまり考えたことなかったのですが、無意識のこの行動ってとっても意味があるんじゃないか、と思えてきました。
こちらの記事で、
「ありがとうを伝えることは、自分が恵まれていることに気づく訓練」
だとお伝えしました。
ジムに行き、身体を鍛えて、達成感と程よい疲労感を感じながら家路につく。
それだけでも前向きな活動ですが、そこに礼が加わるともっと前向きな気持ちになります。
ジムに入るとき、
「今日もトレーニングする機会をありがとうございます。よろしくお願いします。」
と礼をする。
トレーニング終わるとき、
「今日もここちよく運動ができました。ありがとうございます。」
と礼をする。
すると、感謝の気持ちとともに湧き上がってくるのは、トレーニングできることが当たり前ではなく、”おかげさま”の謙虚な思い。
礼をすることによって、”私は恵まれている”と自覚するチャンスが生まれるのです。
一礼のおかげで、身体は鍛えられる上に、自分が恵まれていることにも気づける。
なら、やらない手はない!?
見えないものへの礼こそ意味がある
さらに深堀ってみますと、、、
この礼という行為。
どうやら見えないものに対してこそ意味がありそうです。
人に何か依頼するときや、何かしてもらった時に礼をします。
(ここでは気持ちと行動両方をさしています)
対象である人に向かって礼をしますので、相手の反応を確かめます。
つまり、意識は外側に向いています。
一方、見えないもの(例えばグラウンドとか、トレーニングジムとか)に対して礼をするとき。
「ありがとうございました」
と心の中でつぶやいた後、
「今日もいい練習になったなぁ、ありがたいな」
と感じます。
この場合、意識のフォーカスは内側(自分)です。
内側に意識が向いているとどうなるか?
この恵まれている環境をより強く意識します。
そして、この環境をもっと維持したいという思いが生まれます。
そして、練習やジムにまた行きたくなります。
つまり、潜在的に行動が強化されると思うのです。
礼は意識を変えるきっかけ
ありがとうおじさんを始めて実感していることは、行動が意識を変えるということです。
言葉を変えれば、脳は言葉と一致するような働きに変わります。
ありがとうをいえば、ありがたいことを探し始めるんです。
同じように、礼をすれば、ありがたいことを探し始めます。
そして、自分が恵まれていて、幸せであることに気づくことができるのです。
礼に始まり礼に終わる
という武道の心得。
今更ながらに、とっても素敵な姿勢だなぁと改めて思うのでした。