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日常が好き。今年もよろしくお願いします(全文無料)
新年1発目の記事。
年末年始はお互いの実家の挨拶やらなんやらでなかなか柔術の練習ができず。正直早く日常に戻りたいなと思うのであります。毎日仕事に行って、娘を風呂に入れて家族で飯を食ったら柔術の練習か筋トレをする。土日はゆったりと家族で過ごす。この日常が好きであります。年末年始の雰囲気も嫌いじゃないですけども。
非日常を輝かせるのもいいが、日常を充実させたい
旅行やライブ、推し活、飲み会、大型連休etc…といった非日常を味わえるものを楽しみにして、日々の生活や仕事は耐え忍ぶ、というのもよいですが、やっぱり毎日の生活と日常のクオリティを上げたいなと思います。
朝日を浴びて起きて、天職とはいわずとも多少のやりがいと達成感のある仕事をして、3食を味わって食べて、長い時間でなくとも家族や友人と交流して、映画や本や運動などの趣味と余暇を少しの時間でも取って暖かい湯船につかって心地よい布団で眠る。
こういった日常を大事に丁寧にしたいのです。
コツコツと日常を積み上げて、たまに旅行などのイベントで非日常を味わう、そうやって人生を生きていきたいですね。
「クソみたいな日常でも〇〇があるから耐えられる」みたいなのも悪いとは言わないですが、クソみたいな日常よりも楽しい日常に越したことはないですからね。
人生の大半は特別なこともなく平々凡々と過ぎる日常だし、平日の起きている時間の大半は仕事をしているし、特別な非日常のイベントって人生のわずかでしかないので。日常を否定するって人生の大半を否定するみたいになっちゃうのでそれはそれでなんか悲しいじゃないですか。
100点の仕事はなくとも、100点の日常はなくとも
日常の大半は仕事です。一般的な社会人の平日の起きている時間の大半は仕事でしょう。仕事を否定するのは自分の起きている時間の大半を否定することになります。
お金のための仕事だし、生活するための仕事、生きるための仕事、というのが現実なのは私も痛いほどわかります。やりがいなんてきれいごと、生きていくにはやりたいことだけなんてできない、という気持ちは分かります。
でも、逆にまったくやりがいを感じない仕事というのもないでしょう。0点の仕事というのもないと思います。仕事をやっていて1秒も達成感ややりがいや喜びを感じたことがないという人は少ないと思います。
100点満点の仕事を見つけるのは不可能です。やりがいもお金も年間休日も残業時間も人間関係も全て自分の希望通りの100点満点はありえないです。
でも100点に近づけることはできます。
柔術のある日常
日常の中に柔術があります。ある種の依存に近いかもしれないのですが、生活の中に柔術があって少しずつ積み上げていく日常が好きです。
たまに出る試合もよいですが、日々の練習が一番大事です。試合は日々の練習を切り取ったもの、だと思います。
今年もコツコツと柔術のある日常を楽しみつつ積み上げていきます。
新年1発目から思ったことを書き連ねただけの駄文を書いてしまいましたが、今年もよろしくお願いします。
2024/1/6 アンディ
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