練習頻度の話「週1回でも強くなれますか?」 (全文無料)
今日も今日とて柔術は楽しい。といいたいですが練習はできておりません。今日も今日とて子育ては大変で楽しい。
今日は練習頻度の話。
ピュアブレッド大宮さんに掲示されている言葉がX(旧ツイッター)で話題になっていました。要は「強くなりたければ練習してください」というものですが、否定的な反応もありました。
https://twitter.com/chokugeki_gamon/status/1590340593724841986?s=19
基本的には自分はこの考えに全面的に賛成で、本記事もそれを肯定する内容なので、もし反対意見の方は読まない方がよいと思います。
特定の人を非難したり、忙しい中で週一の練習時間を確保している柔術家の方を非難する意図はありません。
例え話
英会話で「週1通えばだれでも話せるようになります!」と言うのはどうでしょうか。よっぽどの天才であれば可能かもしれませんが99.999%の人は不可能です。何年も続ければ多少は話せるようになるかもしれませんが、かなり厳しいです。
ビジネス的には「週一でもコツコツ続ければ誰でも話せますよ~」というのが正解なのかもしれませんし、何かを始めるハードルは低い方がいいのでこれくらい優しい方がいいかもしれません。しかし現実として週一では上達にかなり時間がかかります。
「週1通えばだれでも話せるようになります!」は優しいですが基本的に嘘です。耳に心地良いですが実際にはそんなに甘くないです。
将棋教室でもパソコン教室でもなんでも同様です。
「マイペースでも楽しめますが、上達したいのなら最低限これくらいの量は必要です。でも上達するともっと楽しくなります」
というのはどの分野にもあります。
柔術(競技柔術)の目的は、「試合に勝つこと(強くなること、うまくなること)」
これは、大賀先生の著書「柔術上達論」の前文に書いてあったことです。これは誤解が生まれそうなので、丁寧に説明していきます。
「試合に勝つことだけが柔術ではない。仲間とのつながりや健康やフィットネスとしての楽しみもある」という考えもありますが、そういうことではないのです。
「強くなるだけが柔術ではない」というのも分かりますし、多くの人にとって柔術は趣味なので「楽しむこと、人生を豊かにすること」が究極的な目的ですが、その目的を達成するための手段としてなぜ柔術を選ぶのか、という視点で考えます。
サッカーやボクシングの例え
柔術の目的(ゴール)は「強くなること(試合に勝つこと、試合に勝てるような技術を身に付けて成長すること)」だと思います。強さを目指さない柔術とは「ゴールを入れることを目的としないサッカー」のようなものだと思います。目的がないとそもそも競技が成立しません。「(ルールの中で)試合で勝つこと」を目的としているからサッカーの試合や柔術のスパーリングは成り立ちます。仲間と汗をかくのが楽しい、というのもありますがサッカーの最終的なゴールではない気がします。そのゴールを目指していく中で楽しみがあり人生を豊かにする要素があるのだと思います。ゴールを目的としていないサッカーはゴールのないグランドで好き勝手にみんながボールを蹴る謎の運動になります。
そういった意味でサッカーの目的は「試合に勝つこと(ゴールを入れて得点すること)」となります。その中で技術の発展や攻防が生まれてサッカーのアイデンティティが生まれます。
また、格闘技であればボクシング(競技ボクシング)の目的は「試合に勝つこと(拳で相手に有効なダメージを与えること)」となってきます。
スポーツは「健康やフィットネスとして楽しむこと」が究極的なゴールではあるのですが、健康やフィットネスだけを目的にするなら、そのスポーツではないといけない理由がありません。「拳で相手に有効なダメージを与えて試合に勝つこと」を目的としないで「健康とフィットネスの楽しみ」だけを目的とするボクシングは競技ボクシングではなくボクササイズではないでしょうか。その競技のアイデンティティがなくなります。(ボクササイズがダメとかいう話ではなく目的が違うと別物になるという話です)
「週6練習しろ」「勝てなかったら意味がない」「楽しくやるだけの柔術は間違っている」という話ではありません。柔術(競技柔術)の目的は「試合に勝つ(ポイントや一本を取るために動く)こと」であり、その目的こそが、”格闘技であり競技である柔術”のアイデンティティだと思います。
柔術の技術(スイープやパスやサブミッションやコントロール)は「試合で勝つこと」を目的として、生まれて発展してきました。「試合で勝つ」という目的がなければ現在の柔術の形はありません。競技柔術は試合に勝つことを目的として形作られています。「自分は試合で勝つことを目的としていない」という人であっても、その人のやっているのは「試合で勝つための柔術」です。それを否定することは柔術の技術やアイデンティティを否定することになります。
サッカーがゴールにボールを入れて勝つことを目的としているように、柔術もポイントや一本を取って勝つことを目的としているスポーツなのです。道場でスパーが成立している時点でその人たちがやっているのは「試合で勝つための柔術」なのです。試合で勝つことを目的としてないとそもそも競技が成り立ちません。
健康やフィットネスとして楽しむことだけが目的ならばジョギングや筋トレや柔術っぽいマット運動でもいいはずです。でもそこで柔術(競技柔術)を選ぶのは「(試合で勝つことを目的として発展した現代の)競技柔術が楽しいから」だと思います。
柔術への取り組み方。なぜ柔術をやるのか
「弱くなるためにやる」「弱い方が楽しい」はない
柔術に限らず全ての趣味はその人の好きなやり方で自由に楽しめばいいです。
しかし「負けても弱くても楽しい」はあれど「負けた方が楽しい、弱い方が楽しい」というのはないでしょう。
「試合には出ない」「強くなれなくてもうまくなりたい」「バチバチ競い合うよりも楽しくやりたい」といった人もいるでしょうが、「弱くなるためにやっている」という人はいないでしょう。
この言葉は語弊が生まれがちですが、「強い方が柔術は楽しい」です。もう少し解像度を上げると「強くなること、うまくなることを目指して柔術をやった方が楽しい」です。強くなれるかどうかはその人の才能や環境にもよりますが、強さを目指してやった方が楽しいです。結果的に試合で勝てなくとも強さを目指してやったならば「負けても楽しい」はあると思います。でも当たり前ですが勝てたらもっと楽しいですよね。
程度の差はあれど柔術をやっている人は「強くなること」を目指してやっているはずです。試合に出ないで道場内でスパーだけを楽しむ人も、強さを目指してやっています。というかそこを目指していないと柔術という競技が成立しません。ゴールを目指さないサッカーをしている人と紅白戦は成立しません。
柔術は上達しないとしんどい。そして週一で上達するのはかなり厳しい。
英会話なら週一でもゆっくりではあれど上達を感じることはできますし、筋トレは週一で体つきを変えることは可能です。しかし柔術では週一で強くなるのはかなり厳しいです。もちろん週一でもコツコツやれば強くなるとは思いますが、いばらの道です。以下、その理由をまとめていきます。
※週一で練習している人を非難する意図はありません。仕事や家庭などの事情がある中で練習時間を捻出するすべての柔術家を尊敬しています。しかし現実として週一の練習で上達するのは難しい、という内容です。
①柔術の強さは相対的なもの
対人競技は強さを相対的にしか測れません。特に組技格闘技は顕著にそれが現れます。例えば陸上のような対人でない競技は実力が分かりやすいです。球技の野球では、相手がいくら強くてもピッチャーがいい球を投げたり、バッターがいいスイングをすることは可能です。組まない打撃格闘技はキレイなフォームやスピードやパワーは出すことが可能です。(相手が強いとプレッシャーやフェイントで動けないということもありますが物理的には自分の動きをすることはできます。)
ところが柔術の場合、相手が強いと自分の動きを出すことすらできなかったりします。技のエントリーすらできません。実力差があると文字通り何もできなくなるのです。「柔術の強さ=相手をコントロールする技術」なので、相手が強すぎる場合は自分の強さが分かりません。上達も感じることができません。
周りは自分より強い人や自分より練習している人が多いため、スパーでひたすらボコられる日々が続きます。いくら「試合で勝つことを目的としていない」「柔術の動きを楽しめればいい」と思っていても、週一でひたすらボコられる状況で通い続けるのはかなりきついです。
②柔術は覚えることが多く習得に時間がかかる
シンプルに覚えることが多いので、寝技の習得は時間がかかりますし、楽しさが分かるのに時間がかかります。週一では上達を感じたり、寝技の楽しさが分かる前に嫌になってしまう可能性が高いです。
③体力は年々落ちていく
柔術はマスター世代が多いです。例えば、将棋や英会話であれば10年かければ少しずつ積みあがっていくものがありますが、スポーツについては10年続けても10年分年を取って体力が落ちてしまいます。知識と練習量を積み上げることできますが、体力や柔軟性は年齢とともに落ちていきます。週一の練習では技術の積み上げよりも体力の低下が上回って上達しづらい部分があります。
まとめ
何度も書きますが、週一で練習している人を非難する意図はありません。仕事や家庭などの事情がある中で練習時間を捻出するすべての柔術家を尊敬しています。
ちなみに自身は今、育児で練習があまりできませんが、強くなれないのを受け入れています。
だらだらと長くなってしまいました。言いたいのは「どんな事情があれど、練習しないと強くならない」というそれだけです。
2024/3/1アンディ
もし、良いと思ったら投げ銭をいただけたら嬉しいです。柔術の教則購入や遠征費用に使わせていただきます。
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?