パワポ依存のプレゼンが日本のビジネスをダメにする
日本のプレゼンテーションはとにかくつまらない。
TEDを意識してステージ上を歩けばいいと思っている人も多いようです。
ジェスチャーは不自然だし、二つくらいしかレパートリーが無い。
そしてモニターに映った原稿を読んでいるだけ。
たった数十分の原稿くらい10日もあれば覚えられるのに。
そしてパワポには文字だらけ。
世界ではDeath by PowerPointという言葉まであって、資料を読み上げるだけではプレゼンテーションが「パワポで死んでいる」と形容します。
なのに日本はまだパワポ全盛...
そして同じ資料が会場に配られる。
その人がステージで話すまでもない。
なぜこんな代物ばかりかというとプレゼンテーションの方法を教育で教わっていないからなんですね。
そしてスティーブ・ジョブズのプレゼンテーションが手本だと信じられてしまったからなんですね。
これは日本に人は気の毒な話ですよ。
彼は別にプレゼンの神様ではなくて基本に忠実に話しただけなんです。
パワポだけ作ればプレゼンの準備完了と考えるのは、大切なお客様をインスタントラーメンでもてなすようなもの。
本来は言葉、つまり論理と語彙に優れた工夫を原稿に施し、それをしっかり覚えることが求められます。
これを中学くらいから徹底するのが欧米の教育です。
日本語でもできます。
ミシュランガイド三ツ星くらいのプレゼンテーションが。
特に修辞を学べば言葉が変わります。
まずは抽象名詞を使って洗練された言葉を使いましょう。
「甘くて大きいのがこのブドウの良さです。皆さんがこの時期になると今か今かと待ち焦がれています。私もできるだけたくさんの人たちに届けられるように頑張っています。」
を下のように書き換えると…
「この品種の利点は甘さと大きさです。次第に増大する人々の期待がこの時期は感じられます。可能な限り多くの満足を提供できるよう、歩みを止めません。」
同じ意味だけど、抽象度を上げると各単語とその意味の関係が明確になります。
言わば抽象度が高いとデジタルの意味伝達となるのです。
一方、具象度が高いとアナログな伝達となります。
単語が持つ意味がぼんやりと広くなるのです。
「待ち焦がれる姿」はイメージしやすいと思われるかもしれませんが、どのように待ち焦がれるかは解釈する人次第です。
一般的な「動きが見える動詞」を抽象名詞に変えるだけで洗練さが上がります。
学術論文を書く際に日本人が初めに直面する壁です。
言葉の工夫をしながら原稿を作るとしっかり覚えたくなります。
一つの作品となります。
だからみんな聞いてくれます。
西洋人はこうしてプレゼンテーションに臨んでいるのです。
パワポ作成はその後です。
文字やアニメーションは必要ありません。