僕にできることは何だろう。
僕が、この社会の仕組みについて色々自分で調べる中で、頭の中で沸々と湧いてくる、この社会の不合理、どうにもならない気持ちをここに書き殴ろうと思う。
いつから私たちは、好きなこと・得意なこと・やりたいことを置き去りにして、生きていくためのお金を稼ぐことで手一杯の生き方になってしまったのだろう。
なぜ私たちは、自分たちが幸せになるために作り出した”お金”に縛られているのだろう。
いつまで私たちは、競争に勝つためと終わりのない欲望に駆られ、利益と効率を求めて地球環境を破壊し続けるのだろう。
いつまで私たちは、既にモノに溢れている世の中で、廃棄してしまうほどモノを生産し続けるのだろう。
いつから私たちは、人間は多くの生物の一つに過ぎないのに、この地球が自分たちのモノと勘違いをするようになってしまったのだろう。
当たり前のように豊かな暮らしを送る私たちは、いつまで他のモノを犠牲(生物・地球)にする暮らしを続けるのだろう。
効率を重視し、無駄を省く今の世の中に、本当の意味での"幸せな人生"は果たしてあるのだろうか。多くの人は、見えない何かに追われ、社会にどこか息苦しさを感じているのではないだろうか。
私たちにとって本当に大切なのは、”目に見えない価値”(共感・応援・感謝・信頼・人との繋がり)にあるのではないか。
自然と共生することの大切さすら私たちは、忘れてしまった。
自然の恵みを受けて、私たちは生きていられるのにも関わらず、「食べることは、生きること」「身近にある美しい自然」があることを忘れてしまっている。
今の資本主義社会は、本当に大切な”目に見えない価値”を大切にできていないのではないか。
もし、この世界にお金が無ければ、私たちはより幸せになり、人にも地球にも優しい社会になるのではないか。
お金は、非常に便利な反面、貯めるという機能があるから、富の格差が生まれ、多くの人が他のモノを犠牲にしてまでも貯めることに躍起になり、環境破壊も深刻化しているのではないか。
地域外に頼り過ぎず、地域・コミュニティ中で、物々交換や多くのモノを共有し、循環させ、助け合いながら生きていけば、信頼できる人との繋がりもでき、多くの余白も生まれ、生きやすい社会になるのではないか。
僕にできることは何だろう。
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