感謝 〜日常がカラフルになりました〜
拝啓 中村憲剛様
18年の現役生活、お疲れ様でした。
そしてありがとうございました。
私は2009年からサポーターになりました。
初めての試合観戦は2008年の浦和戦で、等々力にはこちらよりも相手サポーターが多く、グループの仲間が必死に戦っているのに、応援するサポートが少なすぎると感じたことがきっかけでした。
2009 ヤマザキナビスコ決勝もバックスタンドで観戦させて頂きました。その当時はクラブのジンクスなど、まだ重く捉えていない状態での観戦でしたが、あの時は自分が試合したわけでもないのに、よく頑張ったねと思いながら悔しくて涙が止まりませんでした。
私は2,000〜3,000人しか等々力に観客がいなかった時代は残念ながら知らないのですが、2010 ACLの平日ホームの雪の日の試合での6,000人の試合は記憶に残っています。試合が負けたこともさることながら、近くの観客がいなかったせいもあり、余計寒く感じました。選手の皆さんの辛さを考えると申し訳ない感じでした。
その年の最終節も今年と同じ、柏との試合を等々力のパブリックビューイングで応援していました。この日も雨で寒かったですが、あの時のあなたのインタビューをやっぱり悔しくて泣きながら見た記憶は忘れられません。
ゴールが決まって喜ぶ姿は勿論、負けているとムキになってスルーパスをだして自分に苛立つ姿見や、サポーターを逆に鼓舞して会場ごと自分達の力にしようとした姿は別な仕事をしている社会人として、自分の鏡であるかのようで、とても勇気づけられました。
それからたくさんの試合を応援させて頂きましたが、やっと、2017年に歓喜の涙に変えていただけました。
2018年は長居にも家族全員で行きました。
2020年のガンバ戦はコロナの影響もあって、私一人で観戦させて頂きましたが、子供達も行きたかったと後で怒られてしまいました。
フロンターレを応援し始めてから、私も家族ができ、0歳から等々力に一緒に連れて観戦していたので、2人の子供達は生まれた時からフロンターレサポーターです。
応援をし始めてから、青と黒のクラブカラーに染まったことで、とてもカラフルな人生となりましたし、社会人として、また一人の人間として勉強させて頂きました。
中村憲剛さん、これはクラブの組織としてや選手として18年もの間頑張って頂いたおかげであり、感謝の念が絶えません。
ありがとうございました。
これからもフロンターレをよろしくお願いします。