ヴィルヘルム・ライヒについてのメモ
最初に
ヴィルヘルム・ライヒについて調べたことをメモしました。参考にした書籍はすべてインターネット・アーカイブや国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。
ヴィルヘルム・ライヒの年表を作成したので参照してください。
ヴィルヘルム・ライヒ・ミュージアム
https://wilhelmreichmuseum.org/
(ヴィルヘルム・ライヒ・ミュージアム)
ヴィルヘルム・ライヒについての博物館(実在する上に、2024年もカンファレンスがあり活発に活動している)。
ライヒの研究や本棚、研究室の道具が当時のまま公開されている。
ヴィルヘルム・ライヒについての解説はこの博物館のサイトが詳しい。公式Youtubeチャンネルにて情報発信もしている。
ヴィルヘルム・ライヒの生涯(要約。著者の英語力の問題で間違いがあるかもしれません。)(https://wilhelmreichmuseum.org/about/biography-of-wilhelm-reich/)
青年期の体験
ヴィルヘルム・ライヒは、1897 年 3 月 24 日にオーストリア・ハンガリー帝国の最東端、現在のウクライナにあるガリツィアの農家に生まれた。1910年、母親が自身の浮気の発覚により自殺(相手はライヒの家庭教師である)。その4年後(1914)、父親は結核で亡くなる。両親なき17歳のライヒは、農作業に従事しながら高校に通った。
戦争体験
しかし、1914年WW1が勃発。故郷はロシア兵に制圧された。ライヒは人質としてロシアへ送られる目前で逃げ延びた。1915年にオーストリア軍に入り、1916-1918年の間イタリア戦線で戦う。
医学への道
1918年終戦後、ウィーン大学医学部入学。
1920年10月、フロイトの理論に共感し、ウィーン精神分析協会の会員になった。
独自理論の確立
1922‐1930年、フロイトの下で活動。以下、重要そうなことのみ記述。
フロイトとライヒの理論認識には乖離があり、徐々に大きくなる。
ライヒは独自の理論にのめり込んでいった。そんな中で、ライヒは性的エネルギーが神経症の治療に有効だと確信。独自のオーガズム理論を提唱し、「orgastic potency(オルゴン・ポテンシー)」という新しい治療技術を開発した。なお、ポテンシーは男性の性的能力の意味もあり、インポテンシー(impotency)はその対義語である。そんなこんなで意見の相違からフロイトと決別。
1933年、ナチスに反対していたライヒは、ヒトラー政権となったドイツから逃亡。1934年には国際精神分析協会からも追放された。
オルゴンエネルギーの発見(1934年~1939年)
ライヒは、スカンジナビアで研究を続けた。研究の中で、ライヒは特殊な小胞を発見したと主張し、「バイオン」と名付けた。このバイオンから、細胞やがんを殺す特殊な放射線が出ており、「オルゴン」と呼んだ。
オルゴン集積器の開発(1939年 - 1947年)
アメリカへ移住し、研究を続けた。オルゴン放射線を見るための装置を作ったところ矛盾に直面する。バイオンから出ると思っていたオルゴンが、バイオンのないところからも出ていたのである。
(著者注:これ以降の数行の文章ではオルゴン・エネルギーについての理論が説明されているが、私の頭では理解できないため中略)
1947年、ライヒががん患者にオルゴン集積器をレンタルしている疑惑が報じられる。FDAが調査を開始。
1948年、オルゴン・エネルギー観測台建設開始。建設の様子を収めたビデオがある。
クラウドバスターの製造
ラウドバスターは、大気中のオルゴン・エネルギーの濃度を変更することで、気候パターンを変えるという実験装置である。
1953年の実験では、装置を起動して10時間後に小雨を降らせることに成功したと主張している。
1954年、FDA、オルゴン集積器の差し止めを裁判所に求める。
また、このサイトでは、オルゴン・エネルギー観測台の建設の様子を収めた映像(Construction of the Orgone Energy Observatory)が公開されている。
このサイトのストアページでは、ヴィルヘルム・ライヒの論文のPDFを購入できる。ヴィルヘルム・ライヒについて、本格的に知りたいなら原書を買うことができる。さらに、オリジナルマグカップ発売中(THE FUNCTION OF THE ORGASMとプリントされているものやCloudbusterの写真)。
この他、CDやDVDを買うこともできる他、ヴィルヘルム・ライヒの胸像(250ドル)も売られている。
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Fury on earth : a biography of Wilhelm Reich
(https://archive.org/details/furyonearthbiogr0000shar/page/n3/mode/1up?view=theater)
ライヒについての伝記。著者のマイロン・シャラフは不倫相手の夫。インターネット・アーカイブでアカウントを作ると、電子書籍をレンタルできる。正直、ライヒが生み出した独自用語が多く読みやすくはない。ただし、ライヒについてのおもしろおかしい言説の裏取りをしたい(なんて思う人がいるのか?)なら読んだほうがいい。
以下引用(拙訳)
ライヒは、治療の中で患者が"orgasm reflex"を得ること、同様に、性的交渉の中でorastic potencyを得ることの2つを治療目標にした。p238-239
なお当時でも、フロイト派やアドラー派、ユング派を含む精神分析家は、患者と話すことを厳しく制限していた。
ライヒは治療中に、全裸もしくはほぼ全裸の患者を観察し、触り、"orgasm reflex"を含むあらゆる種類の性的刺激について報告した。p240
ライヒの治療方法については、同書p243で、"direct sex therapy"ではないとされている。
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『性と文化の革命家 : ライヒの悲劇』コリン・ウィルソン 著, 鈴木晶 訳、出版者 筑摩書房、出版年月日1986.6
p48 13歳のライヒは、「母が家庭教師とベッドにいるのを見てしまったのだ」という。
p128 1920年、ライヒは精神分析学協会の正会員となる。そして、ライヒは、イシドール・ザトガーという先輩の精神分析を受けた。当時、精神分析家は、自分自身が先輩から精神分析を受けることが協会の規則となっていた。自身が他者に精神分析を行う前に、まず患者としての体験を受けるのである。このイシドール・ザトガーも変わり者で、女性文学者にむかって「あなたはマスター◯ーションにふけったことがありますか」と質問して顰蹙をかったという。
p138 ライヒは精神分析の活動の中から、神経症患者は性的満足が欠如していると思うようになる。
p143 1922年の時点で、ライヒとフロイトの意見の相違は明確なものとなっていた。
p195 1920年代後半。ライヒは、ドイツ共産党の関連団体に加わる。ライヒは、労働者は資本主義によって性的に悲惨な状態になっていると主張。
p199 ライヒは、「未成年者も避妊方法についてのアドバイスを受ける権利がある」「望まない妊娠は中絶する権利がある」といった現代の議論を先取りしたようなことも主張している。
p306 オルゴン・ボックスを見せられたアインシュタインは、ライヒと連絡を絶った。その3年後、忙しかったから連絡しなかったと謝罪した。
p356 1953年3月22日、ライヒは、OROP‐EP(対感情的疫病オルゴン計画)という計画を立てた。クラウドバスターを使って、アメリカ東部の諸州に洪水をおこし、オルゴン・エネルギーの存在を証明しようという計画だった。計画を午前中に立て、午後には、実行に移していた。ワシントンの気象庁に自身の計画を説明し、洪水を予告し、実際にクラウドバスターを起動した。翌日、気象庁の予報に反して、雪がぱらついた。これを持って、ライヒは勝利宣言をし、気象庁、アイゼンハワー大統領、J・エドガー・フーバー、新聞社などに電報を打った。
p351 1954年5月12日、ライヒはオレゴノン上空に現れた、青い光にクラウドバスターを向けた。その後、青い光は消えたが再び現れた。ライヒは、またクラウドバスターを向け、青い光を消している。この体験から、ライヒは当分の間、UFOには攻撃をしないと決意した。
p361-363 1954年10月18日、ライヒはOROP-DESERT計画を実行に移した。ライヒは、UFOが地球を砂漠化していると確信していた。ライヒは、UFOが近づいてくると体で感じるようになっていた。UFOには、宇宙銃が備わっていて、人間のエネルギーを吸い取っているからだと考えた。
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Wilhelm Reich: Forgotten Sex Liberation Pioneer Who Also Influenced Ex-Yugoslavia
(ヴィルヘルム・ライヒ:旧ユーゴスラビアにも影響を与えた、忘れ去られた性解放の先駆者)
ヴィルヘルム・ライヒの生涯と思想について解説されている。
クラウドバスターの写真があるのでおすすめ。
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https://navymule9.sakura.ne.jp/MyReichsOrgonBox.html
ライヒ自身はフロイトから嫌われていて、そのため深刻なノイローゼ状態になったこともある。
以下真偽不明:この頃、馬にフェラチオを教えようとして左大腿を骨折する。
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ヴィルヘルム・ライヒ『性と文化の革命』
p290 オルゴン装置を見せられたアインシュタインは、ライヒと連絡を絶ってしまった。ライヒは、これを陰謀のせいだと考えた。
p291‐292 オラナー(核エネルギーによって誘発されたオルゴン・エネルギーの運動状態)についての実験から致死オルゴン・エネルギーの研究を行う
p292 晩年、妄想性精神病の診断を受ける。
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映画『オルガニズムの神秘』
ライヒについての映画『オルガニズムの神秘』がある。内容は、ドキュメンタリーとフィクションを混ぜたもので、ライヒの思想や生前交流のあった人へのインタビュー、NYポルノ雑誌編集長のペニス石膏像制作過程など。
広告批評 (156) 出版者 マドラ出版 出版年月日1992-12
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『反乱と革命 : 同時代的論集2』において、ホブズホームは、マルクス主義とフロイト主義を兼ね備えているという点でライヒを高く評価している。
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『マルクス主義50語』p43(著者ピエール・マッセ 著, 竹内良知, 中田平 訳、出版者朝日出版社、出版年月日1976)によると、ライヒは青年の性的欲求を満たすことで社会革命を成し遂げようとし、「セックスポール」という組織を設立した。