ヴィルヘルム・ライヒ年表

1897 年 3 月 24 日:オーストリア・ハンガリー帝国の最東端、現在のウクライナにあるガリツィアの農家に生まれる。
1910年:母親が自身の浮気の発覚により自殺。
1914年:父親は結核で亡くなる。
    WW1勃発により、故郷から逃げる。
1915年:オーストリア軍入隊。
1916-1918:イタリア戦線で戦う。
1918年:ウィーン大学医学部入学
1920年:フロイトの理論に共感し、ウィーン精神分析協会の会員になった。
1921年:『転換ヒステリーの症状複合』という論文を発表。同年、同じ医学部のアニー・ピンクと結婚。
1922年の時点で、ライヒとフロイトの意見の相違は明確なものとなっていた。
1920年代後半:ライヒは、ドイツ共産党の関連団体に加わる。
1930年:ドイツにて、ライヒは「セックス・ポール:the German Association for Proletarian Sexual Politics (Sex-Pol)」を結成した。
1933年:共産党から除名される。
1934年:国際精神分析協会からも追放された。
1934‐1938年:オスロへ移住。研究の中で、特殊な小胞を発見し「バイオン」と名付けた。
1939年:アメリカへ移住し、研究を続けた。
1940年:オルゴンエネルギー集積器をつくった。12月には、アインシュタインにこの装置を見せた。アインシュタインはその後、3年間ライヒと音信不通になった。ライヒは、アインシュタインが自分と連絡を絶ったのは陰謀だと思うようになった。
1942年:ニューヨークにオルゴン研究所をつくり、メイン州には「オレゴノン」という名前の研究所をつくった。
1947年:ライヒががん患者にオルゴン集積器をレンタルしている疑惑が報じられる。FDAが調査を開始。
1948年:オルゴン・エネルギー観測台建設開始。
1949年:ヴィルヘルム・ライヒ財団設立。オラナー(核エネルギーによって誘発されたオルゴン・エネルギーの運動状態)についての実験から致死オルゴン・エネルギーの研究を行う
1953年3月22日‐23日:ライヒは、OROP‐EP(対感情的疫病オルゴン計画)という計画を立てた。クラウドバスターを使って、アメリカ東部の諸州に洪水をおこし、オルゴン・エネルギーの存在を証明しようという計画だった。計画を午前中に立て、午後には、実行に移していた。ワシントンの気象庁に自身の計画を説明し、洪水を予告し、実際にクラウドバスターを起動した。23日には、気象庁の予報に反して、雪がぱらついた。これを持って、ライヒは勝利宣言をし、気象庁、アイゼンハワー大統領、J・エドガー・フーバー、新聞社などに電報を打った。
1954年5月12日:ライヒはオレゴノン上空に現れた、青い光にクラウドバスターを向けた。その後、青い光は消えたが再び現れた。ライヒは、またクラウドバスターを向け、青い光を消している。この体験から、ライヒは当分の間、UFOには攻撃をしないと決意した。
1954年10月18日:ライヒはOROP-DESERT計画を実行に移した。ライヒは、UFOが地球を砂漠化していると確信していた。ライヒは、UFOが近づいてくると体で感じるようになっていた。UFOには、宇宙銃が備わっていて、人間のエネルギーを吸い取っているからだと考えた。
1955年:ライヒは法廷侮辱罪で訴えられる。
1957年:7月、ライヒは、刑務所へ収監される。11月、60歳で獄中にて亡くなる。

参考文献はこちらの記事にまとめてあります。
https://note.com/androidlinux1/n/n5407feea093f?sub_rt=share_pw

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