考える時は言葉に落とし込むから
先日こんなツイートを目にして、リツイートしました。
僕はこれに対して大いに共感していて、そんなことを言うとまた、自分の誤字脱字が気になって夜も眠れなくなるのですが、それはさておき、まあ言葉に関してはそりゃあそうだろうなと思うんですよね。みんなの脳内は見れないんですけど、僕は思考を整理する時にある程度言語化しているはずだと思っているから。そりゃあ"感覚派"って人がイメージとか、言葉とは違う世界で創造をしていくことも分からなくはないですが、こと「思考」に関しては整理整頓、伝える、記憶への定着、とあらゆる面で、圧倒的に言語化の精密さは影響すると思っています。僕の好きな、『アオアシ』って漫画も、プレーを言語化する重要性が描かれているシーンがあります。(気になる人は読んでください)
ここでの精密さは、必ずしも辞書ことわざ的な表現や、語彙力云々のことだけを指しているものとは思っていなくて、もちろん多い方が表現の幅は広がると思いますが、どちらかと言えば"感度"の方が近いかなと思います。言葉が難しかろうが易しかろうが、こっちより別の表現の方が的確かなとか、言い換えた方が良いかなと思えるかどうか。易しい言葉を使っていても、間違えるような言い方をしていないかどうか。
"早い"と"速い"の違いがある時に、「長門石さん、朝速いですね!」とメールが来たとしたら、「さては俺今日どっかを爆走してるの見られたかな?」と思う方が普通ですよね?まあ速いを書き間違えたんだろうなとは思いますけども、その、そう思ってもしょうがないって意味ですね。
前ちょっと書いたことがありますが、"セイサン"のように聞いた音だけでは特定だけできない言葉や、関西弁の"合計"のイントネーションが違うと違和感があるってこととかも同じです。良し悪しではなくて、そういうことになっている、ってことに対してどれだけ理解があるかというか、相手がハテナな状態を気にしてあげられるかというか。
今日はこんなとこで。smoothな日々を!