『スローモーション』と走馬灯
3rdツアー名古屋で披露された『スローモーション』の感想文です。
走馬灯。
照明器具の名称だが、昨今では照明器具の名称としてよりも「過去の出来事を思い出すこと」という意味で用いられることが多いと思う。ドラマや映画で、故郷を再訪した登場人物が幼少期を思い出すシーンや、悪役が死の淵に過去の栄光を思い出すシーンを誰かへ説明する時「走馬灯だ」と言えば、大概の人には伝わるだろう。
これから私が用いるのは、そういう意味での走馬灯だ。私は2021年4月4日、名古屋ガイシホールで開催されたアイドルマスターシャイニーカラーズ3rdライブツアー”PIECE ON PLANET”名古屋公演Day2で走馬灯を見た。
私の見た走馬灯をライブレポとして投稿すべく文章にまとめている最中、ひとつの疑問が浮かんだ。私はあの時、なぜ走馬灯を見たのだろうか。
せっかくなので、走馬灯を見るに至ったきっかけ、名古屋公演Day2にて披露された『スローモーション』を振り返りつつ、なぜ走馬灯を見たのか考えてみようと思う。
ライブの話へ入る前に『スローモーション』について説明しよう。
この曲は、[COLORFUL FE@THERS -Luna-]に収録されている風野灯織のソロ楽曲だ。進行に合わせて少しづつ音数が増えていく曲の展開、だんだんと軟らかくなっていく声色、過去を振り返って現在に至るような歌詞など、風野灯織の積み重ねてきた日々を思い出させてくれる素晴らしい1曲だと思う。2021年2月17日にリリースされたこの楽曲は、今日にいたるまで私を感動させ続けている。
簡単な説明が済んだところで、ライブ当日へ話を移そう。
『ハナマルバッジ』で熱狂した会場へピアノの旋律が鳴り響き、照明の落ちたステージの上手側へ灯織が登場する。灯織を乗せたリフターの上昇に合わせ、ライトに淡い光が灯る。歌唱が始まると同時、ステージ背部へ設置されたモニタが点灯し、そこへ灯織の姿が映し出された。まず、ここで目が潤んだ。
先に触れたが、私は『スローモーション』のことを”灯織の積み重ねてきた日々を思い出させる曲”だと思っている。そんな曲を披露するべくステージへ立つ彼女が身にまとった衣装は、スパークルイルミネーションだったのだ。
Day1や『ハナマルバッジ』を見ていたので、ソロ曲を歌唱する際、いわゆる1周目衣装を着ることは知っていた。それでも『スローモーション』を歌う灯織が、彼女の第一歩目の象徴であるスパークルイルミネーションを着てステージに立っているのを見た途端に涙腺が緩んだ。ソロ曲は1周目衣装でいきましょうと決めた人に心から感謝したい。
さて、話をステージへ戻そう。
先述の通り、灯織はリフターに乗ってステージの上手側へ登場した。私はその光景を見て、引っ掛かりを感じた。彼女は何故、上手側から出てきたのだろうか。
Day2で披露されたその他のソロ楽曲は、移動こそあれど、基本ステージ中央で始まっている。上手側から登場したのは『スローモーション』だけだ。
登場と撤収の動線がぶつからないようにする為かと考えたが、中央で終わる『スローモーション』の次に披露された『千夜アリア』で、咲耶は中央から登場している。なので、それは無いだろう。では一体なぜ、中央ではなく上手側から登場したのだろうか。
アーカイブを見ながら考えた結果、上手下手を利用した舞台演出をする為だったのではないかと私は推察した。その考えは、どこかで読んだこんな話を基盤にしている。
ステージの上手下手はそれぞれ過去と未来に対応していて、上手から下手への移動は未来へ向かったり前向きなイメージを、逆に下手から上手への移動は過去へ向かったり後ろ向きなイメージを観衆へ抱かせる、という話だ。
調べてもそれらしい根拠は見当たらなかったが、これを意識しつつYOASOBIというミュージシャンの楽曲『怪物』のMVを見て、なるほどなと思ったので、私はこの話を信じている。
それを踏まえ、ステージ演出を振り返っていこう。
今回のライブは、ステージが上下2段にわかれていて、下段に5つ上段に6つモニタが設置されている。『スローモーション』のサビで上手下手の演出の軸になっているのが、このモニタだ。
1番のサビと2番のサビで、モニタに強い輝きを放つ光が映し出されている。この光を、歌詞に出てくる”灯り”や”ヒカリ”の表現だと私は見た。では、歌詞において”灯り”や”ヒカリ”が指すものはなにか。私はそれを、灯織が目標とするアイドル像ではないかと考えた。
この光は、1番では灯織の背後に灯り、2番では灯織よりも下手側にある。そして2番の終わり、灯織は光を追いかけるように下手側・ステージ中央へ移動する。
そこへ「上手下手は過去未来である」と「モニタの光は灯織が目標とするアイドル像である」という2つの説を組み込んでみよう。そうすると、1番・2番の演出に、灯織のこれまでが見えてくる。
PSSR【柔らかな微笑み】内〈かつて夢見た眩しい姿〉にて、灯織は学園祭に来たアイドルへの憧れに背中を押されてアイドル業界へ飛び込んだと語る。それを現しているのが1番の光景だ。アイドルになった灯織は、自分の憧れたアイドルを目指して精進する。様々なコミュで見てきたそれを表しているのが2番の光景だ。まだ灯織は上手にいる、過去の話だからだ。
そして2番の最後、灯織は下手側へ歩き出しステージ中央に立つ。上手が過去で下手が未来なら、ステージの中央は今だ。この時、ステージのどこにも灯織が追いかけた光は無い。この状況、GRADのシナリオに似てはいないだろうか。
GRADで灯織は自分が憧れていたアイドル像を見失う。しかしプロデューサーから、見失ったのではなく憧れていたアイドルになったんじゃないかと言われ、悩みを払拭し、ステージに立つ。
GRADと同じようにステージ中央へ立った灯織は、かつて憧れた光ではなく、桜色と黄色の光に見守られながら、最後のサビを歌いだす。
今まで淡く灯っていたスポットライトが、曲中で一番明るく発光する。それが照らす先はステージではなく、客席側だ。GRADと同じように、灯織は憧れていたアイドルに、我々を照らす”灯り”になった。わずか4分17秒の内に約3年分の灯織を圧縮した物、それが3rdライブの『スローモーション』だ。
ここでついに私の涙腺は決壊し、走馬灯が流れ出した。
プロデューサーとして出会った日が、負け続けたWINGに初めて優勝した日が、1stライブが、ファン感謝祭が、GRADが、MUSIC DAWNが、2ndライブが、数えきれない風景や物語たちが、一挙に脳裏へ浮かぶ。
感情は感動へ振りきれて動かず、視界は落涙によりほぼゼロ、必然的に聴覚へ刺さる『スローモーション』へ意識が向く。これはどういう曲だろうか。灯織の積み重ねの曲だ。積み重ねとはなんだろう。そうしてまた、走馬灯が始まる。
長い年月を過ごしていたこと、その年月を思い出す情報が与えられたこと、そして他のことを考えるだけの余裕がなかったこと。これが『スローモーション』についてまとめる中で見つけた、走馬灯を見た理由だ。
さて、ここまでお読みいただいた皆様には御理解いただけていることと思うが、このnoteに書かれているライブの演出意図は10割私の妄想であり、漫言放語だ。いつかイラストレーションワークスのように、ライブ演出について書いた本が出ないかなぁと思う日々である。
なんて言い訳を挟んで、このnoteを終わりにする。
つたない文を長々と読んでいただきまして、ありがとうございました。
あ!ありがとうございましたといえばさ!あさひソロ曲後の挨拶見た?!あぁいうところで本筋の要素拾ってくるとこマジでシブいよね!本筋にのめり込めばのめり込むほど感動として帰ってくるって言うかさ!同じようなアレでノクチルのあの花のようにの演出がエグくてさ!現地ではただノクチルがトロッコに乗ってるだけなんだけど、配信で見るとAR花火が会場に打ち上げられてて!当然会場の人はノクチルをみてるわけなんだけど、配信の人からしたら花火よりノクチルを選んで見てるように見えてこれ完全に天塵へのアンサーじゃんって思って!オープニングのARで惑星がバーンって出てくるところとかもやーばい綺麗で、配信で見る人にも特別な体験をっていう制作陣の気概?みたいなもんが感じられたよね!day1でゆっきーが取り残されるってアクシデントあったけどすぐに復帰させたり、心配になっちゃうから起こさないようにしてほしいけどまぁアクシデントなんて起こらないようにしてても起こっちゃうからアクシデントなわけであって、その後の対応の速さとかmcの挿入とかもあんま違和感無くて、いや違和感はあったかな?なんかふわふわした話してるなって感じだったし。そういえばアンサーで思い出したんだけど、オープニングの水没した街みたいな奴でアーマードコアフォーアンサーのスティグロとかと戦う水没したマップのこと思い出したよね。いや俺が今したいのはそっちのアンサーの話なんかじゃなくて今回のtwinkle wayは2ndのアンサーとして100点なんじゃないかなって言う話で、day1で3人が向き合うところでだまゆの表情が泣き笑顔みたいになってあぁ良かったねぇって大泣きしたんだけど、それをうけて見るday2がまぁいい笑顔でさ、しかもラスサビに入ってからのカメラワークがマージで良くて、3人を写したところからカメラが寄っていっ