備忘録「資本主義と社会主義」
あけましておめでとうございます。
とはいえ昨日と今日はどうしようもなく連続したままですから、去年解決し中田問題は引き続き今年の問題でもあります。
実はぼくは僧侶の資格を持っていて、今日は元日ということもあって出仕させてもらいました。そのとき一緒に出仕していた年配の方から偶然面白い話を聞いたので書き留めておこうと思います。
仕事が終わった後、ぼくとその方はちょっとした宗教談義をしていました。それは哲学談義、政治、経済談義へと展開したすえに、最後に資本主義と社会主義の話題になりました。
その人は崩壊間近のソ連のスーパーマーケットを映した映像を、西ドイツの技術者に見せてもらったことがあるそうです。
そこにはほとんどすっからかんの棚が映っていました。日本やアメリカのスーパーの棚にみっちりと食べ物や飲み物が詰まっていた頃、ソ連の実情はずいぶん悲惨なレベルに達していたわけです。
その映像はどう考えても社会主義の限界性を示す証拠のように思えます。資本主義の絶対性を補強する有力な証拠です。
しかし、ソ連政府のかかげた説明は、もののみごとにこの写真を【社会主義優位の証拠】として生まれ変わらせるものでした。それは以下のようなものでした。
「もしも西側諸国のスーパーマーケットに大量の食品が余っているのであれば、それは『需要がある量よりもずっと多くのモノを生産している』ということであり、商品がずっと棚に並び続けているということは『国民がその商品を買えるだけの所得をえていない』という事実を意味する。生産を行うのは国民の労働によってだ。したがって、資本主義経済は過剰な労働を行わせてムダな製品をつくり、さらにそうして労働者がつくった商品を労働者たちが買えないほどのわずかな給料しか出していないという何よりの証拠である」
こういう理屈でした。いろいろ論理的な不備はあるように思えますが、ぼくらの知っている初等経済学がそもそも資本主義にもとづいていることを考え合わせると、案外筋の通った理屈といえなくもなさそうです。
アダムスミスからはじまる古典派経済学者のかかげた「自由放任主義」の神髄は、勝手に需要と供給が一致して社会全体から無駄がなくなる、という点にありました。無駄がなくなる、という点を重視していたのはむしろソヴィエト的な社会主義だったのかもしれません。
そう考えると資本主義だろうと社会主義だろうと、自由放任的な均衡を達成するという根幹についてはまったく同じもので、その過程をどれだけ国家や市場に任せるか、という国家依存度と市場依存度のバランスの違いでしかないのかもしれません。完全資本主義は市場メカニズムにすべてをまかせ、完全社会主義は国家の計画にすべてをまかせるわけです。大抵の国はその中間にあります。一部を公的部門として国家事業に、他を民間企業や個人や団体による民間事業に振り分けているのです。
結局ソヴィエトは計画のずさんさや勤労意欲の低下といった理想経済の外側にある理由によって瓦解してしまったわけですが、もっとも大きな理由は国家の抑圧的体質でしょう。徹底的な社会主義を成り立たせるためには、なかば強制的な徴税や勤労、および分配が徹底されなくてはなりません。これを担ったのが軍隊でした。
仮に理想的に社会主義国家が運営されれば、徴発された物資やお金はめぐりめぐってすべて国民に分配されるのですから、国民はおとなしく従えばいいわけです。
とはいえ現実はそう簡単ではありません。天災による収穫率の低下などの突発事項に弱い完全計画経済のシステムや、私腹をためこみたい地主や政治家の存在などが異分子となり、ソヴィエトは何度かの体制軟化を繰り返しながら崩壊しました。軍隊の圧力による強制的な連邦の確立は、けっして長く続くものではなかったのです。常にいろいろな方向から支えないと球形を保てないスライムの塊を思い浮かべてください。ソ連軍があちらこちらを回って革命の芽をつぶそうが、そこらじゅうから崩れ始めてはどうすこともできません。
それでは日本に目を向けてみましょう。
日本は革命のない国です。同一の政党が数十年にわたって存在し、長期間政権を握っており、その間日本の経済は傾き続けているにも関わらず、政府転覆をもくろむような国民はほとんどいません。むしろ、税収に比較して明らかに莫大な社会保障、国民皆保険、皆年金制度が整えられ、その恩恵にあずかっている状態です。本来の国家のキャパシティ以上に、国家が国民の面倒を見ている状態にあるわけです。
これはある意味で社会主義的です。経済において、国家がカバーする範囲が他国、特にアメリカやイギリスなどよりも圧倒的に大きいのです。フィンランドやノルウェーのように若者育成が成功しているわけでもなく潤沢な資源で赤字分をリカバリーできるわけでもない日本がこうした状態にあるのは、革命的精神があまりないという日本の性質が社会主義的発想と相性がいいから、という理由もあるでしょう。
社会主義は決して悪ではなく、純粋な国家経済の一形態として存在しているだけなのだと改めて感じなおしました。