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創業の想い(CHRO 長友まさ美の物語)

共同代表の桑原憂貴さんのしなやかで力強い創業の想いや、わたしが大好きなヘラルボニーさんが綴っているエントリーnoteに触発されて、わたしも&PUBLICで形にしたいことを言葉にしてみたいと思います。

働くことは、生きること。
なので、わたしの人生もちょっとだけご紹介。

私の人生を一言で現すと、ずいぶん遠回りと寄り道をしてきた人生でした。

(今ではそんな過去があったの!と驚かれるのですが(笑))社会に希望を見出せず、鬱々としながら生きていた10代から20代前半。

奨学金を借りてアルバイトをしながら生計をたてていた中、住んでいた家が火事になって突然路頭に迷う、、みたいな漫画みたいな出来事もあり、わたしにとって働くとは、まさに「今日、生き延びるために必要なもの」であって、やりがいや社会にどう貢献したいかなんて考える余地なんて1mmもありませんでした。

アルバイト情報誌をひらいて、時給の高いところから電話をかけて面接に行っていました。笑
(今だったら闇バイトにすぐひっかかっちゃう。ぜんぜん笑えない)

ただ、救いだったのは、目の前の人が喜ぶ姿が大好きだったこと。
アルバイトを含めると数えきれないほどの職種を経験してきましたが、その度に、小さな達成感や楽しさを見出せていたことは、今、思い返しても幸せなことだったなぁと感じます。

そんな不安定でふらふらとしていた私を、文字通り「ひろってもらった」会社と出会い、20代、がむしゃらに働いた会社員時代。

勢いよく成長していく会社にとって必要な役割を求められると、期待に応えたい一心でなんでもやっていました。
泳ぎ方も知らないのに海に放り投げられ、溺れかけながらも自力で泳ぎだしていくようなハードモードな働き方でしたが、会社に対して感謝しかなかったので、期待を超えた結果をだすために努力することは苦とも思っていませんでした。
(朝早くから夜中までよく働いた。会社からの帰り道、しこたまお酒も飲んで、家に帰るのは寝るためだけ。がらんとした殺風景な家でした。)

会社のメンバーも大好きで、20代という体力が無限にあるような時期だったからこそ働けたスタイル。到底、持続可能な働き方ではありませんでした。

そんな私が、コーチングと出会い、蓋をして気づかないふりをしてきた自分の感情に向き合い、本当の願いを大事に育んでいくというプロセスを通して、年々、生きやすく幸せを感じられるようになってきた30代。

「あの火事の日、命の灯火を終えずにいられたわたしが、この人生で生きるお役目はなんだろう」と、いつも問い続けていました。

自分や他者のつながりを取り戻し、違いを認め合いながら作りたい未来を、今できることからはじめようと仕事以外にも多くのプロジェクトや活動をしていたのもこの頃です。

宮崎に帰って、いい意味で仕事もプライベートもごちゃまぜで、楽しい人たちとの出会いが多かったことも、私の人生を彩り豊かにしてくれました。
(何屋さんかわからないくらい、いろんなことをやった。笑  楽しくてチャレンジングな日々でしたが、そのぶん失敗も迷惑もたくさんかけた。この場をお借りしてごめんなさい。)

そして40代が見えはじめ、残りの人生の限りある時間を意識する頃、一つの問いが生まれました。

「私はこの先、いったい何に注力すると、世界とわたしがもっとも喜ぶのだろう?」

娘との時間も大事。仕事をとおして世界を幸せにすることも大事

出産、育児とライフステージが大きく変化しながら働いていた私は、自分が幸せを感じる人生だけで終えたくないと強く感じるようになっていました。

年々、自分自身は生きやすく幸せを感じられているのに、まったなしで起きる社会課題や未来に先送りされる課題を、このまま他人事にしていていいのだろうかと、痛切に感じる出来事や学びがたくさんありました。

ただ、同時に、目に見えない関係性の糸が繋がりあっていて、そこに勇気をもって飛び込めば、ちゃんと支えてもらえる(そして、時には支える側にもなれる)安心感のある社会への信頼というネットワークの網目が張り巡らされていることも感じられるようになっていました。


あの日、孤独で、誰にも相談できなかった若かりし日の私が、こんな感覚があることを知っていたら、絶望して自暴自棄になることもなく希望を感じられたかもしれません。

そして、40代のに突入したいま。

「美しく、豊かな未来のために、私を(いかようにも)つかってください」

それは、どこか祈りのような感覚にも近く、「世界が今日よりも美しく、幸せに生きる権利をもった人たちが幸せに生ききることをあたりまえにできたらいいな。その世界をつくる一助になれるように私ができることをやります」という覚悟のようなものでもあります。
(今でも毎朝、目覚めるとこの言葉と共に、1日がスタートしています。)

2022年、そんな日々を過ごしていたときに再会したのが、共に&PUBLICを創業した桑原憂貴さんです。

ゆうきさんから、「こんなツール(※パーパスボード。当時は、違う名前でした)をつくっていて、こんなことを考えているんだ」と話を聴いたとき、「これが実現したら、美しい世界に確実に近づくなぁ」と希望の光を感じました。


&PUBLICで開発しているパーパスボード®︎

そして、&PUBLICでご一緒させてもらっているクライアントさまをはじめ、さまざまなテーマで課題に向き合い、ありたい未来を創る方々と「社会的インパクト」を可視化し、事業をすすめる力に変えていくなかで、希望は確信に変わってきています。

こんなにも願いをもって、形にしていく人たちがいるなら未来は、きっと大丈夫。

美しく、豊かな未来をつくる活動や思いのある人たちの紆余曲折が、パーパスボードに蓄積されると、他の地域や次の世代にとっても価値ある智慧になると信じています。

私自身は、自分の人生がとってもお気に入りだけれど、なにもわざわざしなくていい周り道は、しなくてもいい。

先人の知恵の集積をしながら、未来への善なる決断を支える「パーパスボード」と、想像力と創造力をもつ生身の人間である私たちが、共にごろりと世界をひっくり返しにいきたいと思います。


&PUBLICで合宿したときの一コマ

最後に、、、

ビジョナリーなゆうきさんの描くことを形にしていく組織づくりが、わたしの大きなお役目の一つなので、募集案内を(笑)

&PUBLICがさらなるチャレンジをしていくために、一緒に船にのって漕いでくれる仲間も募集しています。

※これからチャレンジしたいマイクロインパクトボンドの詳細は、こちらから。
需要が急拡大する社会的インパクトのマネジメントを起点に地方自治の改革を目指す「アンドパブリック」

★★★★ パーパスボードの開発、実装を担うエンジニア
★★   社会インパクトを図り、事業価値にかえていくコンサルタント
★★        ヴィジョンを伝えるデザイナー

(※星の数は、今すぐ素敵な方に出会いたい想い指数です)

プロボノからでもなにか一緒にやりたい!という方からのご連絡も、もちろん&PUBLICにこんなことできない?というお仕事もお待ちしています!^^

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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