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創業の想い 《後編》

「創業の想い 《前編》」では、&PUBLIC(アンドパブリック)の創業に込めた想いや、提供している各種のプログラムの根幹にある思想に触れました。

今回の《後編》では、「会社をはじめたもう1つの理由」を紹介します。

苦しみのリアリティーに触れて

2013年からおよそ10年間。最初につくった「空間をともにつくるワークショップ」を企画運営を通じて、全国各地を訪れる機会に恵まれました。日本のローカルには、「暮らしている町をより良くしたい」と願って、できることから挑戦する地に足のついたプレイヤーがたくさん生まれています。

同時に強く感じることは、少子高齢化が一層進んで人口バランスが変わるにつれて、商店街は空洞化し、移動交通手段は減り、人々のつながりも薄まっている。こうしたなかで、痛みや苦しみがどんどん大きくなっている。この10年でそれを体感する出来事がいくつもありました。

例えば、秋田のある市での仕事帰りのこと。プロジェクトが無事に終了し、3次会までいってからの帰り道。もう夜中の1時すぎだったと思います。ホテルに向かって歩いていると、高齢者施設の建物の入り口に、寝巻き姿で立っているおばあさんがいました。

「入居されている方が外にでたときに、誤って鍵が閉まってしまったのかな」と思い、インターホンを鳴らしたところ、入居者ではないとのこと。

なんでも一人暮らしをしていて、家が分からなくなってしまったということでした。その後、深夜に警察に来ていただいて保護してもらいました。

「もし、今日が真冬だったなら。」
「もし、あの道を通っていなかったら。」

そんなことを考えるとすっかり酔いも覚めてしまい、ホテルに戻ったことを今でも鮮明に覚えています。

「おばあさんが深夜に迷子になってしまう」というのは特殊な話なんだろうか。これからの日本を思うと、決してそうは思えない自分がいます。

DVから逃れてきたお母さん、居場所を感じられず苦しむ子ども、災害で家族を失った青年、廃墟化したかつての観光地で再生に人生をかける高齢の経営者、公害で分断された人々を人生をかけて繋ぎ直そうとする元役場職員。

苦悩や悲しみを抱える当事者の方々との出会いがあるたびに、今までの自分は「社会課題を解決したい」と言葉ではいっても、世にすでにある痛みや苦しみそのものを実は見ないようにしてきたのではないか。そう思うくらい、痛みや苦しみの感情に触れる機会はどんどん増えていきました。

複雑さに囚われた希望のかけら

30代前半の頃、無邪気に言えていた「社会課題に取り組んでいます」という言葉が、その中見に触れれば触れるほど、重たくって次第に言えなくなっていきました。

「課題」とやらの実態は、「解くべきテーマ!」のような軽やかさはなく、痛みや苦しみが幾重にも重なりあい、重たく、暗く、触るのすら憚られる。そんな混ざり合った泥のような世界だと感じるようになりました。

この10年間で「社会起業家」、「ソーシャルアントレプレナー」、最近では「インパクトスタートアップ」と呼ばれる人たちが登場しました。社会課題を小さくしたり、社会価値を大きくしたりすることに関心を持ち、人生をかける人たち。

そのなかには、自分の好きや関心を突き詰めて、結果的に社会が良くなるのが大事だという人もいます。実際に、あんまりにも「重たい話」は聞いているほうもしんどくなるので、個人的には、こだわりや好きの結果、世の中も良くなっているというタイプの事業のほうが、比較的、共感と賛同を受けられるようにも思います。

だけど、痛みや苦しみによってマイナス状態にいる人たちが、少なくともゼロに戻るためには、社会の構造を変えたり、仕組みに挑むことがいる。けれど、声をあげる気力がない、あるいは小さな声には気づいてすらもらえない。当事者の頑張りだけでは変えられない世界がそこには確かにあるんですよね。

社会のちからを信じて

自分のことを少しだけお話すると、僕には忘れられない記憶があります。高校生のある日、実家に帰ったら父親がいなくなっていたときのこと。

事業がうまくいかなくなり、姿を消してしまった状況を知っても、うまく飲み込めないでいるうちに、追い討ちをかけるように実家が競売にかけられてしまうという状況になりました。

「なんとか防げないだろうか」

子ども心に縋るような気持ちで休日の図書館で法律の本を読み漁る時期がありました。でも、本で学んだ知識は無力さに変わり、何一つ守ることのできないまま、実家と故郷を手放してしまった。高校にも通い続けられるのかなという不安もあったけれど、結果的にはアルバイトもして、活用できるすべての奨学金も活用させてもらって、生きていくことができました。

父の事業の失敗は、父自身の落ち度かもしれない、けれど、家族は違う。

幸せに生きていたのに、ある日、当たりまえだと思っていた毎日が簡単に崩れさってしまうことは少なくないと今なら思えます。神戸や東北、そして能登の震災もそうかもしれません。

小さなこどもの力ではなんともできないこと。人間の力ではどうにもしがたいこと。それが世の中には事実として存在してしまう。

そのときに、痛みや苦しみの状況に置かれた人を守り、支え、小さくても希望を見出せるようにすること。それは社会のなかで「ともに生きている私たちがうみだせる守りの力」ではないか、そう思うんです。

暗くて重い泥のような苦しみのなかで、希望の物語をうみだそうと立ち上がる一人一人を心から尊敬します。一方で、痛みや苦しみは、「それを想像できる人」に流れ込み、「それに向き合おうとする人」に強くのしかかる。

だから、闘うなら「潰されない力強さ」と「したたかさ」がいるし、希望の物語をうみだそうと立ち上がる人の周囲には、たくさんの力強い支える手があってほしい。そんな存在になれるのは誰だろうかと考えたとき、やっぱり「行政」と「市民」の力を信じたいと思うようになりました。

おまかせ民主主義からの卒業

にもかかわらず、いつからか私たちは、多様なニーズの対応を行政に求める「消費者」の性格を色濃くし、「行政」はニーズに応えるために「サービス業」の役割を強めてきたように思います。この状態が続いていったとき、地域にすでにある痛みや苦しみを解決する力を僕らは失わずにいられるだろうか。その力をみんなで高めていけるだろうか。

いま、行政の現場の仕事は、「増やせない職員数」「多様化する住民ニーズ」「求められる説明責任」「萎んでいく財政」からなる極めて難易度の高い仕事になっているように感じています。

だからこそ、行政と市民それぞれの価値観や行動が変わり、自分たちの課題を連携しながら解決しようとする「自治の土台」が必要ではないかと思うようになりました。

例えば、私たちがパソコンを使うとき、「古いOS(オペレーションシステム=PCでいろいろな作業ができるように多様なソフトを動かす基礎の仕組み)」を使うと、新たなソフトやアプリがうまく動かず不具合が起きたり、セキュリティが低下し、ウィルス感染もしやすくなります。

地域においても同様に、地域課題を解決するには、行政も市民も価値観や行動が変わることでいろいろな政策が効果的に実現していくための土台、つまり「新たなOS」へのアップデートが必要ではないかと思うんです。

未来のこどもたちに何を残せるのか

&PUBLICでは「地方自治OSのアップデート」という言葉をよく使います。簡単にいうと「イベントを10回やる」という目標から「イベントを10回やった結果、どんな住民の状態を実現したいのか」という目標設定が当たり前になされる行政政策になること。

加えて、そうやって考えられた政策・施策の実現に、住民がお任せするのではなく、担い手としても参加していく。そんな意識と行動の変化を、「社会をより良くすることって大事だよね」という単なる意識の高さや善意に委ねるのではなく、それをやるとお金のリターンもあるよという仕組みをつくることで、最初の一歩を誰でも踏み出しやすくするのが「マイクロインパクトボンド(MIB)」という新たな構想です。このMIBについては、また改めてnoteに書こうと思います。

社会を優しく、柔らかく、少しずつ。でも、確実に変えていく。

いまから10年前の「ともにつくる」対象は、家具や空間や建物でした。
あれから10年後の「ともにつくる」対象は、社会の仕組みに変わりました。

いま、僕には2歳のこどもがいます。この子が大きくなったとき、痛みや苦しみから人を守り抜く力が社会に存在していてほしい。そのための仕掛けと仕組みづくりに今回の人生を使おうと思っています。それが「地方自治OSのアップデート」という言葉に込められた願いであり、&PUBLICを創業したもう1つの想いです。


&PUBLIC(アンドパブリック)では、コミュニティから資金を集める「コミュニティラウンド」という資金調達に取り組んでいます。未上場の会社に小口の株式投資をインターネット上でできる仕組みです。金融のプロたちに&PUBLICの事業計画や財務状況、法務などの各種の観点を細かく審査・分析いただいています。&PUBLICは何をめざし、どう進むのか。外部の目線で紹介していますので、よろしければご覧ください。

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