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日記(仮)#1 アリ&ヒジキ

×月×日 アリとヒジキとビールと居酒屋

 久しぶりにアリを見た。至近距離で見たのは何年ぶりだろうか。右へ左へ揺れ動くアリの触覚や頭の動きが見えた。そこは居酒屋のカウンターの上であった。

 初夏である。夕日が沈んでも涼しくならない繁華街では、入口を開け放つ居酒屋がちらほらあった。クーラーをかけるより外の風を入れたほうが心地よいとする店主の判断であろう。店内の様子が通りすがりざまに見えた。今夜は初めての店で飲もうと試みる俺を安心させた。

 「ごめんください。一人ですけど空いてますか?」
座敷やカウンターの空席は暖簾をくぐった時点で見えている。しかしそこは予約席であったり、暗黙の了解で常連の席になっているかもしれない。
 「いらっしゃい。そのあたりに座っていいですよ。」
漠然と指し示られた手の方向と、すでに飲んでいる人の距離感を測りカウンターの中央に座った。目の前には割りばしが入っている箱。その上に七味唐辛子、醤油差し、つまようじ入れが置いてある。

 何となく居心地が悪い。初めての店は大体そうである。あたりを見回してみた。奥にはトイレ。厨房では店主らしきオジサンと、奥さんなのかわからないが着物を着たお姐さん。カウンターの端にはお爺さんが熱燗を飲んでいる。奥の座敷ではサラリーマン達がおしゃべりに興じていた。
「何を飲みます?」
 お絞りと突き出しの小鉢が差し出された。お品書きにはいろいろ書いてあるけれども、選ぶのは面倒である。
「あ、とりあえず生で」 

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 小鉢はヒジキであった。作り置きを冷蔵庫に入れていたのだろう。冷えていたが味が染みていて美味い。ビールを飲みながらお品書きを眺めた。いろいろある。強い空腹感は覚えていないが、何かつまみたい。
「すんません。刺身の盛り合わせと唐揚げ下さい。あとビールもう一杯」
「はいよ。ちょっと待っててね」
店内を抜ける初夏の風が、汗ばんだ顔や首筋を冷やし清涼感を覚えた。結露したビールジョッキは、カウンターのライトに照らされ細やかに輝いている。天井では明りに誘われた蛾がはためいていた。
 一杯目のビールを飲み干し、二杯目のビールに口をつける頃には居心地の良さを覚え始めた。

 「はい、刺身の盛り合わせどうぞ」
 醤油差しを取ろうと手を伸ばすと、黒い何かが動くのが見えた。アリだ。外から入ってきたのだろう。手で払うとアリはつぶれてしまうかもしれない。カウンターが汚れるのは嫌だ。息を吹きかけ、向こうへ追いやろうとした。
 吹き飛ばされたアリが望まぬ方向にいくのは困る。息の加減がわからない。俺の息に動じないアリは箸入れの裏に隠れてしまった。
 俺は生物の授業で聞いたことを思い出した。僅の間であったが、眼前に現れたアリのフォルムは確認できた。アリに詳しいわけではないが、ちょっと大きめでマットな質感はクロオオアリだった気がする。

 「おまたせ。唐揚げどうぞ」
 皿の置き場所に困る。アリが皿の上に這い上がってくるかもしれない。しかしアリは無視することにした。俺は刺身と唐揚げを優先し、双方を食べながらビールを飲んだ。
「お客さん、このお店初めて?」
「ええ、初めてなんすよ。入口が開いてたので入りやすかったです」
「今日は暑いからね。開けっぱにしといたんだよ。ボクはクーラーが苦手なんだよね」
「私はクーラーをつけろって言うんだけど、ウチの旦那は昔から言う事を聞かないのよ」 
夫婦で経営しているお店のようだ。着物を着ているとより暑いのだろう。
「アンちゃん、この店の唐揚げうめえだろ」
 カウンターの端で飲んでいた爺さんが話しかけてきた。暑い日にも関わらず熱燗を飲んでいた。
「はい。とっても美味しいです。それよりも、熱燗を飲んでいて暑くないんすか?」
「大丈夫だよ。暑い日に熱いのを飲むのがいいんだよ」
 常連と話すきっかけは店主が話しかけてきた時がほとんどだ。俺は爺さんや店主夫妻といろいろ話して盛り上がった。

 俺がトイレから戻ると俺の席にカレイの煮つけが置いてあった。
「オレのおごりだよ。一緒にのもう」
 爺さんと熱燗を飲みながらカレイを食べた。クタクタに煮込まれた青ネギがうれしい。カレイは口の中でホロホロと崩れた。お銚子を何本か空けた爺さんは上機嫌に鼻歌を歌いだしたが、なんだか眠そうにしている。
「あの、もうそろそろお会計したほうがいいんじゃないすか?」
「うん。そうだなあ」
 爺さんが立ち上がろうとしたとき、爺さんの肘にお銚子が当たり、小鉢のヒジキと一緒にこぼれた。
「あ、大丈夫ですか。私が拭きますよ」
 店主の奥さんが手際よく皿を片付け、カウンターを拭いた。
「すんません。自分もお会計で」
そろそろ潮時だ。俺も程よく酔い、満腹である。

「アンちゃんもう一軒いこうよ。行きつけのスナックが近くにあるんだよ」
「駄目ですよ。足ふらふらですよ。もう帰らないと」
 お会計を済ませ爺さんと一緒に店を出ようとした俺はなんとなく、カウンターの席を見返した。小さい何かが転がっている気がした。黒くて細くて短い何か。正体を確認しようとしたら、奥のサラリーマン達が注文の声を上げたと同時に新しくお客さんが入ってきた。店主たちはあわただしく動き始めた。確認する機会を逸した俺は早々に店を出た。

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 俺はあれがヒジキに見えたがアリにも見えた。あれがアリだとするとアリは無事なのかと案じてみたが、結局爺さんと行くことになったスナックが気になり、アリのことはすぐ忘れた。



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