「健全で深い他人との関係」って
教えてもらって読んだこちらのページが面白かった。
今まで好きな本はいっぱいあるけど、その中でも今まで、自分には、この作家についていこうと思った作家さんは一人だけだった。
一人だけいて、それでもその作家さんがどう変貌しようとそれはその作家さんの意思と自由で、それを受け止めて、というか下賜いただいて、ああこんな面もあるのか、こんなふうに変わったのはどういう心境だったのだろうと思っていこうと、魅了された時思っていたし、今もそうだ。
今、その作家さんは当時の作風からわりと変化したけれどそれでもそれに興味があるし今も好きだ。
また、「あなたは変わった、それについて考えて」と言われたとしたら、
もしもそれを言ったのがすごく親しい関係、たとえば子供に言われたら考えるということも、
普通の人はそうなのかもしれないが、自分は家族であっても親子であっても他人に「あのころのあなたに戻ってくれ」というのは言わないし言われたくないと思う。
なぜならそれは反抗期のとき、ある親に「昔の従順でいい子だったあなたに戻って欲しい」と懇願されたことがあるから。それがとんでもなくむかつくことだったからだ。
もしもそばにいて耐え難いくらいの何かが、他人にあるならばただ、離れればいいと思う。
(その人自身がほっといたら自滅するような酷いことになっていたり、積極的にこっちを害するために向かって来続けるのでない限り)
なので他人に「どうか、どうか…」っていう感情が理解できない。
自分は他人への期待値が低いのだろうか?あまり「こういうのが理想の家族、恋人、友人」って事を考えない。なにかしてほしいとかも思わない。
他人は他人で自由だ。(他の人を害そうとしない限り)干渉できると思っていない。
すると逆に、浅い関係でない継続する他人との「深い関係」で健全なもの、ってなんだろう。どんなものだろう。
どうも暑苦しいのが苦手で淡々と他人を見守りたいというかそんなスタンスでいつもいる。というか他人というものはこの世にいる間だけすれ違う手の届かない対岸の人のようなものと基本的に思っている。
本当はそんなものだからかえって逆にみんな、「他人との深い関係」に夢みちゃうのではないだろうか。
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