聖闘士星矢の世界にアンリくんは生きられそうにない

うちの一番年かさのはとこは子供の頃からアニメが好きで、このほど進路についてゲームをデザインするような仕事に行きたいといい出した。コミケというものにも行ったことがあるらしい。あんなに人がいっぱいいる戦場にいくとはさすが若いってスゴイな。

なので今はやっているコンテンツやアニメを良く知っている。ヒプマイとか刀剣とか。

それは置いておいて聖闘士星矢 セインティア翔っていうアニメを2話だけ撮ったので見るというはとこについて朝食がてら見た。

すごく昔のアニメが今もまだやるってすごいですね。

女の子がプリキュアになって男の子もプリキュアになる今では女の子も聖闘士になるんだーとへえーってぼんやり見ていた。(作中では、女聖闘士とセインティアは別の存在でいろいろ決まりあるらしい)

聖闘士の話自体を聞きかじりでしかしらないがストーリーとして破綻はないし普通に見た。多分長くもっているコンテンツだし人気あるのだろう。主人公やキャラクターはそれなり好感が持てたし嫌いじゃないです。

しかし、この世界ではプリキュアは生きられてもアンリくんの居場所はなさそうだな。

アテナという少女が、闇落ちして攻撃してきた騎士を抱きしめて癒やし、浄化させるシーンを見て、なんとなくあとからそう思った。

そういう役割を女性に与えて、その役割として闘争の物語の中に居場所や価値を与えているのは面白かったし見たときは、そこそこ面白かった。

しかしプリキュアを見たあとでは、どうしても戦う少女がいることに対して、アテナと同じように戦士を癒やし、寄り添って抱きしめるだけの役割を果たす男性は、この物語にはいないことに思いを至らせてしまう。

まあ昭和のコンテンツだししょうがないし、そこまで求めてはいないけれどもさ。

癒やす役割が女だけに割り振られていることを考えると、それは別にいいのか悪いのかって言うとどちらかというとそんなに良くもないかな。

女キャラは戦うことも癒やすこともできるとも言う人もいるが、戦う仕事も癒やす仕事も課されている、ともいえてつまり仕事も家事育児も、ってことを想起させるもんね。癒やすだけの仕事は男性側の仕事としては割り振られないってのは。

あと実際の労働でなく感情面のつきあいでも、ひたすら女はオレの話を、感情を聞け!オレたち戦士を癒やすものとしてあれ、って言ってくる男が多いと困ると思う。まあ最近の女性はあまりしないのかもしれないから、金を払ってその手のところへいって癒やしを買うのだろうけども。

実際、ほとんど女コミュニティって環境で育った自分の印象としては、男性というのは、地元コミュニティ内の感情や関係や仕事(家事育児など)に関与しないでふらっと立ち寄っては、食事や感情面での安定をただ提供されてとっていき、何も後始末や協力しないで帰っていくというただの食客のような存在ととらえられていた。なんだかよくわからないけど面倒なお客さんという感じで来ると厄介な気分だった。手伝わないのにもてなさなきゃならないからね。

まあアニメやゲームにいちいちそんなうがった、考え抜かれた意識なんて求めちゃいけないし、あらゆる作品がいろいろ考慮しないといけないわけでもないけれども。それに全体としては、あんな昔から少女を戦わせるってアイデアを描こうと思っていたなんて、さすがに漫画界の大先生(たぶん)はセンスが違うなと思うけれども。
考え抜かれてないコンテンツに、大人として、個人としては興味を持てない。

それだけといえばそれだけの、個人的見解だけれど、たとえばミソジニーに浸った意識が指摘されてるラップバトルコンテンツやらペドフェリア欲望全開のコンテンツやらを作る側や消費する側が、あまりにそれに対して無自覚、無批判だと、地雷だな(自分にとって)と思わざるを得ないところがある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?