ルッキズムを考える~「好き嫌い」「良し悪し」「優劣」を区別する

ミスコン中止のニュースとか、「美しすぎる○○」って表現に対する批判とか「ルッキズムの呪い」って言葉、よく目にするようになったじゃんね。
個人的には、ミスコンあってもいいんじゃない?とは思う。だって、世の中外見しか勝負するところがない人もいて、そういう人の活躍の場を奪うのはどうなの?と思うから。
煮魚がよくいう「ものさしはたくさんあっていい」ってのは、「どのものさしが最も価値があるか決めるのは個人の自由」ってのとセットだと思うんだよね。そして煮魚は旧世代の人間だから、「きれいですね」って言葉を誉め言葉として発すること自体がルッキズム批判されるという時代になって、とてもおどおど、びっくりしてる。人の外見のことについてコメントしてもアウトな時代なんだって指し示される。

ああ!藤井風の「きらり」の中にある「あれもこれも魅力的だけど私は君がいい」って、そういうことなのかもしれない。だから、「好き嫌い」「良い悪い」「優劣」は分けて考えるべきで、それが出来る人は少なくって、それぞれをきっちり分けて考えられればもっと自由になれるのに、ってことかな。そして、優劣や良い悪いですら、個人基準でしかないことも考えなければならないよね。
多数決が正しいとは限らないのは分かってて、でも民主主義だし「マス」メディアっていうくらいだから、見た目を放送する媒体については外見が優先されてしかるべきとは、思う。好まれやすい外見=無難=テレビに出て外見で高評価を得る人、なわけだし。そもそも、「高評価」の基準すら、刹那的なものであるんだし。

だから私は、例えば「そんな大きなお子さんがいるようには見えません」って言われても「ルッキズム的にそれはどうなの?若けりゃいいってもんじゃないのよキー!」と思うよりは素直に「ありがとう」と答えるようにしてる。前は「いやいや、そんな言われても何も出ませんよ!」的な返しをしてたんだけど、大げさに返す方が意識しまくり感あるし、と思って。

一方で、「ついにポイント白髪染め買っちゃったw」的な話も繰り出すようにしている。自分の世代あるあるをアピールする意味として。グレイヘアが流行りなのはわかるけど、その途中はやっぱり見た目的にアレだなあと思う自分がいるので、その気持ちを大事にするようにしてる。もちろん、ありのままで!方針な人も全然いいと思うんだけど、そうした違いに分断が起きないように、互いを批判することのないようにしたいじゃんね。

見た目でジャッジするのはよくないけど、自分の持つ「好きな外見」への価値も大事にしながら時代に乗るのって、難しーい。

今こそ、みすずの精神を忘れないでいたいよね。
「みんなちがって、みんないい」

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