この息苦しさは、活用できないものか
夏のマスクは、息苦しい。
在宅ワークが中心になっている私の毎日の外出といえば、幼い息子を保育園に迎えに行く時。日は陰ってきたとはいえ、昼間の暑さを閉じ込めたかのようなアスファルトに、平熱が37度近い高温の幼子を胸に抱き、薄いメークを隠す帽子をかぶりり、口元は”新しい生活様式”対応のマスク。保育園で離れている時間を埋められはしないが、せめてもの親子の時間と、まだ離せない息子に絶えず話しかける。
暑い、暑すぎる。
ほんの10数分間の道のりなのに、帰宅したら汗だくだ。
周囲に人のいない時には、マスクを外そうとも思うが、まばらとはいえ人通りがあるとマスクのあるなしをチェックされているようで、なお一層息苦しい。
厚生労働省は”新しい生活様式”の”新しいバージョン”として「マスクを外しましょう(*2m以上離れている時など注釈あり)」と提唱している・・・が、国民に伝わっているとはいいがたい・・・。ソーシャルディスタンス「OR」マスクではなく、ソーシャルディスタンス「WITH」マスクとして浸透してしまっている。
巷では、マスクシーヤ派とマスクスンナ派の戦いが起きているらしい。シトクカ派の私としては、マスクのある日常を少しでも楽しみたい。とはいえ、マスクがあるとやや外界を遮断しているかのように思える。フェイスシールドはさらにそんな気分にさせる。ある講師が登壇をした後、対面でもフェイスシールド+マスクだと、マスクなしオンラインの方が顔の表情や雰囲気(様子)がみえると言っていた。
サービス業で最近めに入るのは「マスクの下は笑顔です」の告知。いかにも日本的な配慮に満ちた告知となっている。おおぉと思うと同時に、ほんとうに笑顔かしらなんて…笑顔ではない方を探してしまうダメな私がいた。いや、マスクしながら笑顔をキープって耳がいたくなるし大変ですよね…。あぁ、個人的にはこの雰囲気が息苦しい。(*あくまでの個人の一時的な感想ですとか、つけたくなるあたりも息苦しい)
外界を遮断するかのような意識は、関与を必要としている障害のある方々には脅威となっているようだ。「視覚障害者の人を見かけたら、気軽に声をかけてほしい」と東京都盲人福祉協会(都盲協)の市原寛一理事も伝えているが、そういえばマスクをしていて思考がやや内向きになっているせいか、私自身ヘルプマークやマタニティマークが目に入ることが少なくなっているように思える。
もう、いっそのことマーク類はしっかり表示するために「マスク」にしちゃったらどうだろう。マスクを楽しみたい私としては、最近白いマスクばかりしているのも飽きてきた。ヘルプマークマスクなんて、おしゃれじゃないか。
息苦しさを感じる、ぼーっとした頭でそんなことを考えた夏の日。