言葉(文字)の偉大さ
2月17日(金)
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おはようございます。
どーにもこーにもnoteを書く時間を前倒しできていない桑田です。
#明日は朝のうちに書くよ
さて。
今日は、「言葉(文字)の偉大さ」というテーマでお話したいと思います。
▼文字はお金になる?
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西野亮廣さんの「新世界」という本を読んでみるとお金の成り立ちについて書いてありました。そこでお金がお金としてあり続けられる条件は三つある。
・保存ができる
→文字は腐らない
・交換できる
→先輩にゴチってもらったら、お礼のLINE(文字)を送る
・尺度になる
→感謝の量が多いほど、お礼の文章(文字)も長くなる
そう考えると、文字はお金になり得たというのだ。でも、文字はお金としては機能せず、紙幣がその代わりにお金としての機能を今は果たしている。
その原因は何か…
それは、文字は自由に作り出すことができるため、流通量を調整できないから、一文字の価値を1円と決められなくなってしまうことだそうです。
確かに…
▼人が使える言葉(文字)に制限を加えたら…
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そんなことから、文字をお金のように扱うとしたら、日本銀行が日本で使える文字数を制限し、お金持ちはたくさんの言葉を発することができ、貧乏さんはたくさんの言葉を発することができないということになります。
これはこれで問題点はありそうですが、どっこい…
もし、みんなが1日に発することができる言葉がお財布にある分しか使えないとしたら、どうするだろう?
今日は、お財布に3,000円しかない。
その言葉で嫌いなクラスメイトの文句を友達に話すだろうか?
嫌味な同僚の愚痴をこぼしたりするだろうか?
おばあちゃんからもらったお年玉の10,000円で先生や親の文句に使うだろうか?
きっとそんなことはしない。
今、お金を無駄遣いしないように…
銀行口座に貯金しているように、大事に大事に言葉を発するだろう。
もしかしたら、言葉がお金の機能を果たしていたら、人は、誰かを誹謗中傷したりしないんじゃないか?
本に描かれていたのは、そんな夢物語だった。
▼言葉は無制限に使えるからこそ、大切に
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夢物語のような、そんな話だけれど、あながち嘘は言ってない。
どーしようもなくとっ散らかった話でもなさそうだ。
それなら信じてみたい。
言葉にはお金と同じ価値がある。
でも、お金は政府がその量をコントロールしてくれているから、その大切さをわかっているけど、言葉は無制限に使えるから、ついつい粗末に扱っちゃう。
でも、この言葉が、ばあちゃんからもらったお年玉なら…
母ちゃんからもらった誕生日のお祝いなら…
一生懸命働いた給料なら…
僕にとって、大切な人に「大切だよ」って伝えるために使いたい。
今日も中学の練習でみっともない言葉を何度か使っちゃったな。
死んだじいちゃんとばあちゃんからもらった大事なお年玉をあんな使い方したら、きっとじいちゃんもばあちゃんも悲しむだろうな…
僕は、もっともっと言葉を大切にしたい。
そう思えた素晴らしい本でした。
明日は、誰かを温かくできる言葉を使えるようにしよう。
明日は、大切な人に「ありがとう」のような言葉を伝えよう。
そんな1日にしようと思う。
気がつけば、もう11時。
投稿が遅くなってごめんなさい。
でも、読んでくれてありがとう。
明日もまた笑顔で過ごしましょう。
おやすみなさい。
【追伸】
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