車輪の再発明はするな
1月18日(水)
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おはようございます。
約束を果たすと宣言したその日に飲みすぎて二日酔いになった桑田です。
#ばかやろう
さて。
今日は、「車輪の再発明はするな」というテーマでお話したいと思います。
▼人間という生き物の歴史
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人間は、成長しようとする生物で、新たなことに挑戦したり、できないことができるようになるか実験する生物です。
その結果、現代はとても便利で、他の動物では作ることのできないモノをたくさん発明してきました。
人類最大の発明はなんですか?
アルバート・アインシュタインは、「複利」だと言ったそうです。
また、インターネットで調べてみると人類の三大発明は「火薬・羅針盤・活版印刷」と書かれているものもあれば、「文字、お金、農耕」と書かれているものもあります。
その時代時代で必要とされて発明されたものなので、それぞれにとても重大な発明であったことは間違いないと思います。
そんな中で、僕は、「車輪」が最大の発明に当たるのかなーと思っています。
#火は起こすものだから、発明じゃないと判断
車輪は、小さな力で物を移動させることができ、力持ちの男性だけでなく、女性や子どもの力でも大きく重い荷物を運ぶことができる画期的な発明です。
この車輪のおかげでこの世の中のいろんな物体が簡単に移動することができるようになりました。
▼同じことを苦労させたがる大人
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世の中の先輩には、「あいつは、苦労してないからダメだ」的なことを言う方が本当に多くいます。
部活の先輩の中にも「俺の頃はこんなに優しくなかったのに、今の練習は甘い」みたいなことを言う方も多く見受けられます。
そうやって、自分がした苦労を同じように経験させることを美徳とし、成長だと考える方が結構多くいるのですが、それは真実でしょうか?
教育の世界にいる僕は、教育によって、人が死なないために必要なことや死なない程度にいろんなことを実験させて、経験を増やすことが大切だと思っています。
じゃなかったら、いまだに毒キノコ食べて死ぬ人が現れちゃう。
そんな当たり前のことなのに、なぜか後輩想いで、後輩を成長させたいと願っている人ほど、この過ちのワナにはまってしまう。
▼車輪の再発明はするな
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確かに、気持ちはわかるんです。
俺は昔、重たい荷物を背負って、10キロ先まで運んだもんだ。だから、お前もその辛さを知る必要がある。その苦労があって、俺は車輪を発明できたんだ。だから、お前も同じ苦労をしたら、俺の気持ちがわかるさ…と。
この話が馬鹿げているのは、車輪を再発明するための苦労や再発明したくなるような思いを持たせるために経験させていることです。
もうすでに発明された車輪を作るための苦労なんて、なんの役にも立たない。
大切なのは、今ある課題を解決するための苦労なはず。
でも、人間は結構、同じ苦労をさせたがる。
その苦労では、新しいものは生まれず、成長することが叶わない。
新しいことに挑戦できないし、できないことができるようになる実験にはならない。
年長者が若者にさせるべきことは、自分の苦労を同じようにさせることではなく、その苦労から生まれたノウハウを教えて、自分がチャレンジできなかった新しい挑戦に若者を導くことではないだろうか。
#同じ道を歩いてはならない
そして、その若者が経験した新たな苦労から生まれた新発明が年長者自身や家族、自分の子孫をより便利で快適に生活させることにつながるのではないだろうか。
車輪の再発明なんかさせている場合じゃない。自分自身が経験したことのない新しい挑戦と苦労を若者に与えられる環境とノウハウを僕たちは持たなくてはならないと感じています。
「Gunsho Braves」と「Fukushima M78ers」の選手たちに、桑田がした苦労からわかっていることはどんどん伝え、彼女たちにしかできない新たな挑戦と苦労をサポートし、応援できる指導者に成長していきたいと思います。新人大会のリベンジは必ず果たしたいと思います。どうぞ応援の程、何卒宜しくお願い致します。
【追伸】
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