若者が基準になる日本
2月1日(水)
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おはようございます。
海に近い魚屋さんの魚はやっぱり美味しいことを確認した桑田です。
さて。
今日は、「若者が基準になる日本」というテーマでお話したいと思います。
昨日、ちょっとした用事があり、久しぶりに再会した指導者の方がボソッと話してくれたことから、いろいろと思うに至っていることです。
▼「怒られない」の悪循環
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部活動中にふざけて、真面目にやらない選手がいたそうです。
僕にとっては、人生の大先輩と言える指導者の方ですから、やはり練習はしっかりやりたい。
そして、練習をふざけるくらいですからチームの中心的な選手で、彼女の強化がチームの強化につながることも明らかです。
いろんな側面から考えて、その子が一生懸命練習してくれることはチームのプラスになると考え、注意をしたそうです。暴言や暴力をするような方ではないので、そこまでの強い指導ではなかったと予測しています。
#ただ注意の仕方はきっとレトロな感じ
しかし、結果的には保護者から校長にクレームが入ったそうです。
その中身は、言葉を切り取って、さも罵詈雑言を積み重ねたような話だったそうです。
他の部活動の先生も一緒にこの話をしてたので、その時のことを聞くと、「同じ体育館いたけれども、そんな様子ではなかった」そう。
「注意される」ということさえも「怒られている」と解釈している生徒たちには、もはや、「注意」もできにくくなってきています。
▼注意できない環境の危うさ
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注意ができないということは、反対から車が来ているのに大声で注意したり、危険のリスクをわかりやすく伝えるために厳し目の言葉で伝えられない。または、その後、保護者からクレームが来ることを覚悟して、注意したとしても、そもそも、伝わらない可能性があるということです。
24時間、保護者がつきっきりで見届けることができないにも関わらず、他の大人に子どもの教育を任せられない現状は、とても危うく、そして、命に関わる危険さえもあるんじゃないかと思っているくらいです。
そして、そういう環境…
つまり、子ども1人を大人2人だけで育てさせようとする環境に大きな大きな問題があると思います。
「育休中の学びなおし」について、炎上しているそうですが、そもそも、子どもを親だけで育てさせようとする社会が優しくないと思います。もっともっといろんなところに頼れる社会が必要だと強く感じます。
少し話が逸れたので元に戻します。
▼「注意できない」の末路
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こうして、注意されたことのない子どもたちが大人になって、入社したらどうなるのでしょうか?
そんな社会では、結果的に会社の基準が若者になる未来がやってきます。
高卒や大卒の若者は、教科書は読んできたかもしれませんが、社会で生き延びる方法や安定を得るための方法、お金を生み出す方法は学んできていません。
そんな若者の知識や技術や経験が、会社全体のベースになってしまったら、先輩会社員は、足を引っ張られ続けることになります。そうなれば、当然、その会社が成長していくことは不可能でしょう。
「いやいや、そんなことは〜」と思うかもしれませんが、飲みにケーションが激減し、ハラスメントが横行し、ハラスメントのハードルがますます引き下げられていくこの社会で、メディアがそれを血祭りのように騒ぎ立てるこの社会で、まぁまぁ本気でやばい未来がやってきそうな気がしています。
保護者の子どもへの愛情がどちらの針に振れていくのか、メディアの扇動がどちらに振られていくのか…見届けたいと思います。
実際、僕の知っている現場は「暴力、暴言撲滅」に合わせて、どんどん怒らなくなっています。これはすごくいいことだと思います。
しかし、それに乗じて、どんどん教員や指導者が注意しなくなっています。
それは、「子どものため」という名の保護者からの保身だったりします。
その気持ち、メッチャわかります。
学校はもちろん、企業に働くボランティアの指導者でさえ、変わっていくわけだから、会社の中だって、そうなっていくことは十分にあり得ます。
このツケは、結局、誰にまわるのか。
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