近すぎるほど近しい他者がいた方が良い理由
みなさんお久しぶりです、アンドモザイクスのはるちゃんです!
ただいまアンドモザイクスのnoteでは、メンバーがメンバーについて語る企画がスタートし、
「春野話」…私についてメンバーが語ってくれています。
そんなみんなの投稿からインスピレーションを得て、今回は近すぎるほど近しい他者がいた方が良い理由と題して、セルフイメージと絡めながらお伝えします!
二種類の「セルフイメージ」
みなさんは、セルフイメージって持っていますか?
セルフイメージ…つまり、自分自身に対するイメージのことですね。
なんでも研究家の春野氏によると、このセルフイメージには二種類あると言われています。
それは、他者を介さないセルフイメージと、他者を介したセルフイメージです。
この投稿では、この二つのセルフイメージについて説明した後、
近すぎるほど近しい存在がいた方が良い理由を、
セルフイメージとの関連性を交えながらお伝えしていきます!
なお「近すぎるほど近しい存在」とは、パートナーや仲間のことを指しています。
心理的なストレスを軽減させるためには、人間関係は腹八分が良いと言われます。
そのためには、心の距離感を適切に保つ必要があるものです。
しかし、近すぎるほど近しいパートナーや仲間という存在は、時に満腹も満腹、お腹一杯の距離感です。
ではなぜ私は、近すぎるほど近しい他者がいた方が良い、と断言するのでしょうか。
それはズバリ、自分自身についてよりよく知り、人生を楽しみ尽くすためです。
…と言われても「???」ですよね。
大丈夫です!
この記事を読み終わるころには、誰もがスッキリ納得できるよう解説していきます。
こんな方におススメ
この記事は、こんな方におススメです。
・「自分」というものについてより深く理解したい
・人からの目が気になる
・パートナーや仲間と呼べる、近しい存在がいない
・パートナーや仲間との距離感に悩み、離婚や退団を考えている
・アンドモザイクスが好き
・アンドモザイクスが嫌いだけどほんとは大好き
一つでも当てはまった方は、ぜひ最後まで読んでくださいね^^
他者を介さないセルフイメージ
冒頭で、セルフイメージには二種類あると書きました。
そんな二種類あるセルフイメージですが、
一つ目に、他者を介さないセルフイメージがあります。
完全プライベート空間、つまり自宅の自室での自分自身についてのイメージ。
「人には隠しているけど、自分ってこんな人間なんだよな~」とか、
「家に帰ると、私って実はこういう癖があるんだよね~」とか、そういうものですね。
さて、あなたの「他者を介さないセルフイメージ」は、どういうものでしょうか?
ちょっと考えてみてください。
ちなみに私の「他者を介さないセルフイメージ」は、
飽き性、気分屋、好奇心が旺盛、行動力がある、計画を立てるのは好きだけど計画を実行するのは苦手、多趣味、努力家、精神的なバイタリティに肉体が追い付かない、一人が一番好き…
などです^^
他者を介したセルフイメージ
さて、二種類あるセルフイメージですが、
二つ目は他者を介したセルフイメージというものがあります。
「人からこう見られているだろうな」っていう自分像のこと。
「私、職場では人当たりの良い人間だと思われているだろうな~」とか、
「僕は家族の中で、ムードメーカー的な存在だよな~」とか、そういうのです。
ただこの他者を介したセルフイメージは、属するコミュニティの数だけ存在するかもしれません。
家ではヒョウキン者だけど外ではシャイ、なんていう人もいますからね。
(うちの息子のことです。)
正確さはそれほど重要ではないので、気軽に列挙してみてください。
さて、あなたの、「他者を介したセルフイメージ」は、どういうものでしょうか??
ちなみに私の他者を介したセルフイメージは、
包容力がある、穏やか、頼りになる、聞き分けが良い、優しい、頭が良い、相手に合わせる、活動的、何をやっているのか不明、気分屋、責任感がある…
などです。
(なんか自分に自信があるみたいな項目ばかりになってしまって…ご気分害された方がいらしたらすみません><)
私の幼少期
さきほど挙げた、私のセルフイメージ。
実はこれ、ここ数年で大きく変わったなあと思うんですね。
その理由は、近すぎるほど近しい他者が出来たからに ほかなりません。
ちょっと私の幼少期の話をさせていただきたいのですが、
簡単に言うと、「変わった子」だったんですね。
よく「変わってる」と言われていましたし、中学生の頃はついに友達から、「個性的」というあだ名をつけられてしましました(笑)
(そのあだ名をつけた友達もずいぶん個性的だったと思いますけどね!)
そして自分自身も、
同じ年齢の友達に自分をさらけ出したところで「?」という反応をされることが多く、
「なんとなく周りに馴染めない」と感じていました。
「やっぱり早苗は変わってる」
「早苗が言ってることは難しくてよくわからない」
そんな風に言われることが度々ありました。
小学生なのに中身は三十路みたいな、そういう子どもだったんでしょうね(笑)
自分の内面をさらけ出して「?」という反応をされることが続くとどうなったかと言うと、
自分をさらけ出すことが出来なくなってしまったんですね。
「?」という反応も含めて面白がれたら良かったんですが、
当時の私にそこまでのユーモアは無くて、
とにかく周りに馴染まなきゃ!
みんなと同じに見えるようにしなきゃ!と奮闘。
自分の素直な言動ではなく、その場に合った言動をとるようになりました。
ただ当時の友達と話すと、結局その場に合った言動はできてなくて浮いてたみたいですけど…(笑)。
で、自分の内面を安心してさらけ出す、ということが出来なくなった結果、
いつしか、
うわべの社交性は充分すぎるほど身についているけれど(この社交性はおそらく、化粧品販売員の母の影響です)、
本当の本当の本心の部分、自分の一番奥にある大切な部分は、誰にも触れさせないー
そんなスタンスをとるようになっていました。
かよちゃん、そしてモザイクスとの出会い
そんな私に訪れた転機が、アンドモザイクスのリーダーであるかよちゃんとの出会いでした。
出会いについては、以下の記事でかよちゃんが書いてくれてるので割愛しますが、
私の自主性によってというよりも、半ば強制的に、モザイクスとのぶつかり稽古が始まります。
いや、インプロの稽古は正直そんなにやった記憶が無いんですけど(笑)
(インプロをやる団体なのに…笑)
人としてのぶつかり稽古というか…子どもがやるようなことですよ。
目的無しにただただ本気で遊んで、自分の気持ちを伝えて、相手の気持ちとぶつかって、怒って、泣いて、引きこもって、時間がたって許す気になって、相手もそうで、仲直りして、前より好きになって…
そういうぶつかり稽古です。
そのぶつかり稽古を通して、自分のありのままの姿、本当にダメダメで社会的にNGな姿も、メンバーには晒さざるを得なかったんですね。
そしてそんな私に対しての、メンバーからのフィードバックがある。
そしてそのフィードバックは、私が予想もしなかったようなものばかりで、
「人って意外と、私がダメダメでも許してくれるんだ」とか、
(いや、もちろん、これまで私が出会った方の中には、私のことが嫌になって離れていった方もたくさんいると思いますが、
モザイクスのメンバーは大丈夫っぽい!ということです。)
「私のこういう性質、そんな捉え方もできるんだ」とか、
一人では、また、ほどほどの距離を保っていたらできなかったような発見が次々にあったわけです。
で、「私ってもしかして、このままの私で生きちゃって大丈夫なのかも…?」と思うようになり、
「こんな私でごめんなさい…でもこれが私です!!!生きてます!!!」みたいな開き直りを果たし、
(もちろん理想に近づくために努力はしてるんですけどね!努力、好きだし…。)
ありのままの自分を受け入れて生きていたら、
「早苗さんのそういうところ(私がダメだと思っている性質全て)が面白い!」
と言ってくれるパートナーと出会い、結婚して、今に至るわけです。
ぶつかり稽古をする中で、「近すぎる!」と感じることはもちろんありましたよ。
「もうちょっと距離を置きたい」と。
そんなときは距離を置きながら、だけど、なんだかんだで退団することは無かったですね。
(休団は誰より多くやった自信がありますけど(笑))
それが結果的に、より鮮やかなセルフイメージを持つことに繋がったなと思うんです。
近すぎるほど近しい他者がいた方が良い理由
近すぎるほど近しい他者がいた方が良い理由、それは冒頭で述べた通り、自分自身についてよりよく知り、人生を楽しみ尽くすためです。
人生を楽しみ尽くすには、自分自身についてよく知る必要があります。
具体的には、自分のあらゆる性質をよく理解して、受け入れて、対応すること。
気分屋という性質を理解していれば、「約束しても、あとから気が変わるかもしれない」という自分を知っています。
そんな自分をダメだと否定するのではなく、「そんな自分とどうやって生きていこうか?」と受け入れることができれば、
「一週間以上先の約束はしない」などの対策が立てられ、自分の性質に対応しながら生きていくことができます。
そして、そんな風に自分自身を理解し、受け入れ、対応していくためには、自分ひとりの力では圧倒的に足りないのです。
ほどほどの距離感の他者でも、まだ足りません。
近すぎるほど近しい他者の存在が、絶対的に必要になってきます。
もちろん人生には様々な生き方がありますから、
セルフイメージを鮮やかにする必要が無いと感じる人もいれば、
セルフイメージは鮮明にしたいけど、近すぎるほど近しい他者がいなくても、別の方法で鮮明にできる!という人もいると思います。
でも、近すぎるほど近しい他者と関わり、セルフイメージを日々更新している私が言えることは、
近すぎるほど近しい他者とともに生きていく人生って、面倒くさいこともあるけど、それも含めてイイよ!ということです^^
豊かだし、奥行きがある。
もし私から、近すぎるほど近しい他者…
つまり、パートナーや息子や両親や劇団のメンバーという存在が失われてしまったら、
なんて味気ない人生になることでしょう!!!
時に面倒でも、やはり私はこの生き方を続けていきたいなと思うのでした。
オマケ こーへーへ。
前回の記事で、こーへーが書いてくれたことに関して!二つお返事(?)!
こーへーの記事、気になる方はこちらから!
①ゾッとするほど正確!と噂の16Personalitis test
こーへーが紹介してたこのテスト。
私は「広報活動家」とやらでした!
みなさんは何??
こちらから診断できます!(無料)
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②お芝居やっててよかったなー
こーへーの記事の中で、こーへーが、
随分昔に私とこーへーで演じた、とあるシーンのことを書いていました。
私は物覚えが早い代わりに忘れるのも秒なので、基本的に過去のことは一切思い出さないのですが、
だからこそ、芝居という活動をしていて良かったなと思うときがあります。
それは、共演者やお客さんから、「あの時のあのシーンのあのセリフ!」みたいな話をしてくれるとき。
そのときその場にいた人たちだけが共有できる、素敵なエピソード。
人生を何倍も生きているような気持ちになります。
まとめ
そんなわけで、近すぎるほど近しい他者がいた方が良い理由を、セルフイメージと絡めてご紹介しました!
芝居の稽古もそこそこに、人間的な(?)ぶつかり稽古を重ねてきた私たちのステージを観てみたい!というそこのあなた!
モザイクス10周年イベントを企画中です!!
ぜひ目撃してくださいね^^
また、出演依頼などありましたら、お気軽にアンドモザイクスまでご連絡ください^^
はるちゃんでした~~~