「ありがとう」と言えなくて

ひさしぶりの投稿です。
しまちゃんです。

たぶん、2ヶ月近く書いてなかったのかな..
書くことがなくなったというよりは、書けなくなってしまったんですよね。

みなさんは、自分のきもちを素直に出すことができますか??

僕はできません。

自分のきもちを素直に出そうとしたら、それは渦巻いたどす黒い何かで、誰かを傷つけてしまうことが分かっています。
特に疲れてしまっているときは、誰かに話を聞いてほしいと思っているときほど、その何かは禍々しくなっていきます。

そのせいか、きょうだいさんの集まりやヤングケアラーの集まりにも2ヶ月近くいけてません。
最後に行った集まりでは、しんどくなってしまって途中退出してしまいました。

その集まりが悪いというわけではないのですが、他の方の話を「聞く」ということに体力がなくて、しんどくなってしまいました。

そのときのじぶんは、色々しんどくなっていて、あとは季節の変化で自律神経が乱れていて、安定していませんでした。
誰かに話すことが、そのときのじぶんにとって大事だった。
それがたまたまできず、リタイアしてしまった。

それがちょっとしたトラウマになっちゃって、じぶんの中のしんどいことを自己完結しようとし始めました。
しんどいと思っても、「今はガマンするときなんだ」と思って。
辛いと感じていても、「今は流れが悪いときで、そのうち良くなる」と思って。

半ば心理学を学んでいるから、見方を変えたらネガティブな思考も変化できるって知っているんですよね。
だからセルフケアをし続けて、例えば、じぶんの思考をメタ的に見たりして。

そのせいで、11月半ばに限界が来てしまいました。

夜ご飯の皿洗いをしているときに、姉のお茶碗を割ってしまいました。
お皿を割るというのは誰にでもあることだと思うし、そんな大したことではないと思います。
ただ、割り方が良くなかった。

プラスチック製の容器をスポンジで洗っていて、その容器を落としたはずみでシンクの中にあった姉の茶碗を割ってしまったのです。

普通はそんなんで割れるわけないんです。
陶器のお茶碗に向かってプラスチックの容器が落ちたところで。

洗っているときのじぶんには、すごく力が入っていました。
スポンジを力強く握って、プラスチックの容器にまるで押し付けるように洗っていました。
無自覚に、そんなに力が入っていました。
そして、プラスチックの容器が手から滑ってしまって、ものすごい勢いで茶碗に向かって落ちていきました。

姉の茶碗は真っ二つ。
ぼくは茫然と眺めていました。
「あー、あー」と心の中で言葉にならない何かを発しながら。口からは何も出ず。

父があとの皿洗いはすると言ってくれて、ぼくはすぐ寝ることにしました。
(まだ、このときの感謝の気持ちを伝えられていません)

でも、布団に入ったからといって、いい事はないんです。
自分が自分を許さないんです。

「情けない」「馬鹿じゃないの」「ミスしてばっかり」

そういう思考が、悪い発言ばかりするじぶんが、弱くなってしまったじぶんに言うんです。
そしたら、弱くなってしまったじぶんが「本当にそうなのかもしれない」って思い始めて、どんどん萎縮していくんです。
すると、悪い発言ばかりするじぶんが、いい気になって「そうだそうだ」と煽り立てていって。
弱いじぶんの前に仁王立ちなんかしちゃって。
それがずっと続いて、悪い悪い循環が起こり始めます。

まだ、その日は寝付けたからよかった。元気になる方法がまだ残っていたおかげで、翌日に大学に行くことができました。

正直、書いている今でも、悪い発言ばかりするじぶんはいい気になってます。
「両親はがんばって仕事をして、家族の面倒も見ているのに、お前は何をしているんだ」って、ずっと言い続けています。

それは本当にその通りで、メインの面倒は両親がやってくれています。
ぼくはもともとサブで、最近は卒論やアルバイトで帰ってくるのが遅いために、家の用事をあまりできていません。

両親には、心から感謝しています。

でも、「ありがとう」という言葉が出てきません。

大学の事務の人や先生、友達には簡単に言えるのに、どうしてか家族には言えません。
それは、僕の感情表現の下手さに加えて、
悪い発言ばかりするじぶんを認めてしまう気がするから。

「ありがとう」と言うと、ぼくは誰かの助けを借りなければやっていけない人だと思ってしまいます。
すると、皿洗いできない、勉強できない、姉の面倒も見れないと勘違いして、そんな弱いじぶんを認めたくない!ってなるんです。
弱いじぶんにはなりたくないから、認めたくないから、更にもっと頑張って家事をもっと完璧にして、大学の勉強も頑張って…というふうに追い込みをかけていきます。

そして、疲れが背中に乗り続け、耐えきれなくなると風邪を引いたりして寝込む。

どう考えても両親には助けてもらっているのだから、「ありがとう」と言えばいいのに。

ちょうど今、母が帰ってきました。
たこ焼きを買ってきてくれました。
とりあえず「ありがとう」と言いました。

こういう小さい「ありがとう」を積み重ねていくしかないのかもしれません。
いや、それがいいのかもしれない。
小さな階段を登っていくように、小さな「ありがとう」を言っていくことが。
「塵も積もれば山となる」というように、いつのまにか何万回の小さな「ありがとう」が大きな「ありがとう」に変わっているかもしれません。

これが不器用なじぶんの、弱い自分を認めたがらないじぶんの、処世術です。

ここまで書いたら、悪いことばかり言う奴も仁王立ちはやめて体育座りをし始めました。
ちょっとたこ焼きを食べに行ってきます。

ではでは。拙文を読んでくださりありがとうございました。

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