「AND」って?

今、大学の講義を受けています。つまりは、先生が何か言っているのを無視して書いているわけです。
すごく眠いんですよね、、僕は密かに子守唄を歌っていると思っています。
隣の友達は両手で頭を抱えています。多分、眠気と闘っているのでしょう。
目頭を必要以上に押さえています。

今、先生が「じゃじゃん」と言いました。「クイズです」
誰も頭をあげません。
「クリエイティビティは遺伝の方が割合高い?それとも環境かな?」
誰も頭をあげません。
おとずれたのは、数秒間の静かな空間。
先生は顔色を変えませんでした。
誰にも答えを聞かずに、「クリエイティビティは遺伝25%、環境75%なんです」と言いました。
口が開かないのは、私だけでしょうか。

自己紹介を忘れていました。
「AND」の会長であり、同志社大学心理学部3回生のしまちゃんです。

大阪生まれ、大阪育ち。ただ、勢いがあることが苦手。
特にUSJなんて行けないです。人混みすごいです。
だから家にいてじっと本読んだり、映画を観たいのですが、家にいると姉の面倒をみることになります。

そうです、私は「きょうだい」です。
姉が2人いて、一番上の姉が社会人として一人暮らし。
二番目の姉は、知的障がいを抱えていて、一緒に住んでいます。

一応、「きょうだい」としての僕はこんな感じです。
「苦しい」
そんな言葉は自分の身体から消えました。
「欲しい!」
両親にねだるなんてこと、いつからしなくなったのでしょう。
「普通」
普通ってなんでしょう? お母さんとお父さんに将来を相談している姿が普通なのでしょうか。

僕の環境はそんな感じでした。
いつのまにか、そういう環境は受け入れなくてはいけないものなのだと、無意識に感じて、そうやって塞ぎ込んできました。

かといって、両親に文句は言えません。
部活には行かせてもらえました。
予備校にも行かせてもらいました。
大学の学費も両親に払ってもらっています。
今も姉の世話の多くは両親です。

姉が嫌いというわけではないです。
いつも笑っているし、いたずら好きです。
手をつないで歩いたら、喜んでくれます。

では、自分の中にあるわだかまりは何なのだろうと。

それは多分、「子どもらしくなれる環境」なのだと。
わがままを言って、両親を頼り、一緒にどこかいくにも安心できるようなそんな子ども時代を取り戻したいのです。

僕が「AND」というグループを作ったのは、そういう意図からでした。

グループのメンバーは8人いて、ぼく以外、きょうだいさんではありません。
ただ打ち明けて、受け入れてくれた仲間でした。
「障がい」に興味を持っていて、本気で人のサポートはどのようにすればいいのかということを考えている、すごく優しいメンバーです。

「クリエイティビティの多くは環境」
先生がおっしゃったこの言葉は、まるで「良い環境」が想定されているように感じます。

僕は「悪い環境」の住民なのでしょうか?

僕はそうは思いません。
だって大学、「AND」の仲間がいるから、と思っています。
家族という関係と大学という環境に色々足を突っ込んでいるから、いま、こうして気持ちよく文章が書ける。

自分の居場所がまったくない、そんなことはないことを僕は示したい。
「AND」に来る人が、違う環境に身体をおいて、子どもらしい何かを、子どもらしくなくても自分らしくいられる場所にしたい。

なんかかっこいいこと言ってますが、まだ何もできていないです。
今はすこし闇雲に、好奇心で前に進む子どものように、進んでいこうと思っています。

よろしければ、そんな「AND」を知っていただけると幸いです。

[後書き]
同志社は不真面目学生だけじゃありません。
実際は僕ぐらいでした。


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