木村
ラッシャーだろうか、拓哉だろうか、世代によって思い浮かぶ人物の振り幅が大きい苗字、それが「木村」だ。
調べたところ苗字ランキング17位のメジャー苗字であるからして、伊兵衛だったり庄之助だったりカエラだったり各界に有名人も多い苗字ではあるのだが私にとっては実に忌まわしい苗字なのだ。「木村」と私はまさに血で血を洗う(血100%)闘争の歴史だったりする。
ご存知の通り(?)私は本村-モトムラ-と言います。これまでのみなさんの人生にアナザー本村はいただろうか。聞いた話では九州によくある苗字らしいが自分の人生で会ったのはみんな親戚で他人の本村にはまだ会ったことがない。そんな地元ではあまりない苗字だからよく「木村」と読み間違われた。
例えば学校。私は小学校で3度もの転校を経験した猛者(?)なのだが、転校の度に先生に間違われて紹介された。「今度新しく転校してきた木村くんです」なんて。転校初日、つっかえずに上手く自己紹介ができるかなとか、席に着くときに足を出されて転ばされたりしないかなとかの不安や心配でいっぱいの小さな心の小さな私に毎回必要のない仕事が追加された。
例えば病院。木村さぁ〜ん(キョロキョロ)これまでの経験から私だろうなぁと思いつつ他にマジもんの木村さんがいるかもしれないのでステイ。木村さぁ〜ん(キョロキョロ)マジもんの木村さんいないね。これ私のことだね。でも断じて私は木村じゃないからステイ。(ここで看護師、手に持っている書類に視線を落とす)木村、春介さぁ〜ん。はい私。いや正確には私じゃないんだけど推定私なので立ち上がり歩き出す。返事はしない。(居るなら早く出てきなさいよと目は口ほどにものを言う看護師)あの、本村なんですが…(再び書類に視線を落とし)あっ、本村さん、中へどうぞ。すいませんとかないのかと少しだけ思いつつも、すでに本村の半分は木村で出来ているようなものだから無言で許す。
こんなルーティーンを幾度したことか。健康診断でも役所でも不特定多数がいて呼び出されるのを待っているシーンではほぼ全てこれなのだ。たいていの書類ではフリガナ欄があり小学校低学年でも読める「本」と「村」の漢字に丁寧にモトムラと書いているのに、ぱっと見の字面だけで断定し思い込むそんなザ・ケアレスミスであるこの事象、いつの頃からか私を「木村」と呼ぶ人を注意力不足のおっちょこちょいとのレッテルを張ることに決めた。
たかが名前。されど名前。しかしながら大切な名前。油断してはいけない。名前の喪失はアイデンティティー崩壊への第一歩なのだ。千丈の堤も蟻の一穴から。特に医療機関における本人確認はとても大切な作業なはずで下手をこくとかつての大映ドラマ「乳兄弟」状態になりかねないのだ(違うか)
一連のやりとりの解決の結果はゼロ地点という不毛なこの闘争は今後も続くのだろう。とても面倒だ。何かいい解決策はないものか。かつては「木村」と「本村」とを決定的に分け隔てる横一本線を無駄に長く書いたこともあったが解決には至らなかった。それだけ深層心理に書き込まれた「木村」字面の呪縛は強力なのだ。とても面倒だ。
もしかしたら禾村さんとか木材さんとかも血100%の闘争の歴史を持っているのかもしれない。情報求む!
(果たしているのか?木材さん)