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多様性を認めるって変じゃね?

どうも、こうがです!
元女子で現在一児の父である僕については、こちらの記事からどうぞ。


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さて、今日は『多様性を認める』という言葉について考えていきます。
結論からいうと、『多様性の知と、想像』が本質だろうと感じます。


そもそも、世界は多様な人々で構成されているのですから、今になって多様になったわけではありませんよね。


これまで、存在の認識をしてこなかった、もしくは本当に見えていなかった、この流れにストップをかけよう、というのが、現代のLGBT論争なのだと思っています。混ぜるな危険、ではなく、混ぜたら創造性の底上げになる、とも言われています。

さて、今回は『多様性の知』とは何なのかについて具体的に書いていきます。

(この記事は2403字です。約5-6分で読めます。)

LGBT?全然大丈夫!

職場や私生活で、LGBT当事者が周りにカミングアウトをした際のありがちなやりとりとして、こんなことがあります。
(ここでは、一例としてレズビアンである人がカミングアウトする様子をあげますね)

−『実は、女の子が好きなんだよね』
−『私、彼女がいるんだ』
−『レズビアンなんだ』

というカミングアウトに対して、

−『レズビアン?全然大丈夫だよ!』

みたいな反応を、よく聞きます。

僕がトランスジェンダーであることをカミングアウトした際にも、
『へー、そうなんだ、全然、大丈夫!』という反応が実際によくありました。

拒絶をされなかった、と安心する当事者がいる一方で、違和感を感じる者がいるのも、また事実です。

『全然大丈夫!』
『...大丈夫ってなにが?』という違和感です。

この違和感の正体を突き詰めていくと、揚げ足取りに感じる人もいるかもしれませんね。ですが、あえて、噛み砕いて書いていきます。

また、こんな風に噛み砕いて言葉にする意味については、最後に記述しますね。

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思考の階層(無意識ver.)


カミングアウトをされた側が、『全然大丈夫』と発言するまでには、3つの階層があると考えています。

①目の前の人は自分とは違うと認識する
②それを受け入れるかどうか、考える
③言葉に出す

という階層です。

容認、承認、という作業だけを考えてみると、当然その時点で、する側とされる側の存在があります。カミングアウトした当事者は必然的にジャッジされる側となります。
つまるところ、良かれと思って意識的に放つ『大丈夫』の言葉の下には、無意識な差別的思考を含みかねない、というわけです。

そんなこと言ったら何も言えないじゃないか!とお叱りの声が聞こえてきそうですね。そうです。何も言わなくて良いんです。

当事者が自分のことを知ってほしいからカミングアウトをしているのだとしたら、ここで行われるのは、ジャッジではなく、『知る』ということです。

カミングアウトをされたら、という内容で他の記事で書きますが、根本は、知らなかったけど、知ったという事実です。


無意識の自己理解


この、無意識というのが非常に厄介だと僕は感じています。
悪気がない上に、本人が気付くことができなければ、改善のしようがない。
先ほどの例で言えば、カミングアウトを受け、それを知っても差別をしない、と伝えたいだけなのに、結果的には当事者にとって違和感、嫌悪感に繋がってしまう場合があります。(全部ではないけれど)


だからこそ、無意識の差別が自分の中に存在するかもしれない、という感覚が大事だということを伝えたいのです。

大事なので繰り返しますが、無意識の差別が自分の中に存在するかもしれないということは、善悪の話ではなく、むしろ内向的な話です。

まったく知らない、自分の経験していない、そういうものを持った人がこの世にはたくさんいます。こういう人に出会った時に、

『無意識に差別をしてしまう自分がいるかもしれない。』
と、自己理解や問いを投げることが多様性の理解が始まると考えています。

冒頭に触れましたが、認める、ではなく、知る行為が本質なのだと言えます。

差別、区別、同じ

『多様性を認める』というのは実に端的で、分かりやすい言葉です。

多様な生き方、多様な思考、多様な環境、多様なセクシュアル。

しかしながら、すべての多様性を理解し、同じ気持ち・同じ目線になるのは、控えめに言っても無理がありませんか?

誰もが同じ人間なんだ、というと多くの人が頷けますが、男性、となるとどうでしょうか。

例えば、僕はトランスジェンダーで、あなたと同じ男性だ、とマジョリティの男性に言うと、心中、首を傾げる人も中にはいるはずです。同じではないよな、と。

ここの『同じ』というのは、男性シンボル的な身体的要素を指しているのか、それとも、生まれた時から男性だと周知されてきた経験によるものなのか、それは分からないですが、とにかく同じだとは思わない、ということでしょう。

これについては、差別、ではなく区別、です。


発信をする意味

この違和感の正体を突き詰めていくと、揚げ足取りに感じる人もいるかもしれませんね。ですが、あえて、噛み砕いて書いていきます。

と、冒頭に書きましたが、本質に近づこうと言葉にすると、揚げ足取りのように聞こえてしまったり、思わぬ意見をもらったりするものです。
そしてここに、何らかの障壁や、思考の方向性が違う意見が起きても、僕としてはなんの問題もないと考えています。


むしろ、思考の新陳代謝をよくする意味でも、議論はしたほうが良い、と。

これを読んでいるあなた自身が、どう捉え、それをどう噛み砕き、どう社会へ還元していくのか、これが、重要なのではないでしょうか。

allyへの一歩は決して難しくありません。遠くもありません。

知らなかったことを知った、これで一歩目です。

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