躁うつ日記#20 【真実】余裕がないときは、余裕がない!
最近は前向きなnoteばかり書いていた気がするが、先日はバチバチに調子が悪かった。
私は天気によってコンディションが変わる。特に気圧の影響によって、しょっちゅう頭痛が起きる。
最近は比較的コンディションを崩さずにいられたので油断していた。
寝る前に、なんとなく頭が痛い気がしていた。でも頭痛薬に頼るほどではないかな、寝たら案外良くなっているかも、と思って寝たら、予想が外れ、頭痛で目を覚ますことになった。
たぶん、寝ている間に血管が拡張して、偏頭痛が悪化したのだと思う。少し動くだけで吐き気と頭痛が起きるのを堪えて、布団からなんとかずるずると這い出した。
頭痛の対処は私の中で確立されている。その効果もあってか、しばらくしてから体調面ではだいぶ快復して、起き上がって行動する分にはあまり差し障りがない程度にはなった。なったけれど、気持ちは鬱々としている。
この日はたまたま外に出て済ませた方がよい用事もあり、ずっと「外に出た方がいい?いや出たくない。でも……」とぐるぐる思考に陥っていた。こういうときの思考は十中八九問題解決をする思考にまで至らず、ただ思考の渦に襲われていた。
結局そのまま夜になった。
「まあしょうがないな。痛み止めを多めに飲んでこれなんだし……」と思っていたときに、事件は起きた。
きっかけは夫のささいな言葉だった。机の上にすこし散らばった塩に気づいて、「なんか散らばってる」と言った。それは昼頃に、とにかくなにか腹に入れなければと思ってパスタを茹でた際に使い、少し食卓の上に散らばった塩を、拭く気力もなくそのままにしてしまっていたものだった。
「ああ、ごめんね。塩。拭くね」と言ってウェットティッシュで拭いた。そのとき、夫は食事中で、拭いた場所の隣には、夫が使った別のウェットティッシュがあった。だから、まとめて捨てた。
すると、「ウェットティッシュ奪われた」と夫が言った。どうやら、まだ使う気だったらしい。
ここで、感情がうねった。
「奪われた」??え、そんな言い方しなくて良くない??
まだ使うつもりだったんだ、で良くないか??と、やたらと言葉に突っかかりたくなっている自分に気づいた。
どうどう。落ち着け。言い方は気になるが、前提として、塩を片付けていない私が悪い。そして、夫が使っていたウェットティッシュを捨てる時も、「これも捨てるね」と一声かければよかった。
夫には、塩を片付けられないくらい余裕がなかったことを「分かってほしかった」し、そばにウェットティッシュがあるならついでに拭いてくれるくらい「してほしかった」けれど、それは私が口に出していないから夫には分からないだろう。
「察してくれない」で爆発するのはやめよう。
私はいま、余裕がないのだ。だから今私がすべきなのは、夫に突っかかることではなく、自分をケアすることなのだ。
というわけで、この後は誰も見ていないアカウントで愚痴を書き、さっさと寝逃げして、翌日には持ち直せた。
こんな些細なことで?と思われるかもしれない。なぜたった少しのアクション(さっさと塩を拭き取るとか、夫にひとこと言い分を伝えるとか)が出来ないのか?と、つまずく自分を責めそうになる。
けれどもこれは、余裕がないから余裕のある対応ができなくなるという、ただそれだけの話なのだった。余裕がない自分を責めてもしょうがない。むしろ余裕ができるように、自分を労る方がいい。そうしたら、目の前の人にもきっと優しくなれる。まず自分を満たす。それはわがままでもなんでもない。むしろその方が周りにとっても良い。そう思った出来事だった。