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建築への告白



私は建築が好きです。



【建築の何が好きか?】

貴方は明確に答えられるかな。
意匠デザイン?構造?単純に大きなところ?新築の木造の香り?

私は最近やっと答えられるようになった。


「私は、建築の“許容の大きさ”が好きです。」

ここで言う建築の許容とは様々なものを対象とする。

まずはどんな人間でも受け入れる点。そしてどんな使い方も受け入れる点。デザインだって何だって受け入れる。

建築が許容する事はいくらでもある。

そんな事などに加えて、

蓄積を受け入れる点"。ここが私にとって最っ高に建築を好きなところである。

時間と共に蓄積される様々な物、人、傷跡、改修、記憶。私はそれらにとても惹かれる。

建築の価値は蓄積にある。そう言い切れる。



私は人生が変わるような感動的な建築体験が無い事がコンプレックスだった。書店では建築体験について書かれた本がオススメとして平積みされ、SNSでも建築に感動したという投稿をよく目にした。建築家は建築体験しろとツイートする。

だから私は、できる限りたくさん旅行に出かけ建築マップ(というアプリ)の“訪問済み”を増やしていった。

だが、私は建築に感動する事が出来なかった。誰が設計したとか、何処の会社が建てたとか、何がテーマだとか、ここに柱が無いのがすごいとか、空間の作り方が上手いとか、、、興味が持てなかった。

自分が建築の何に惹かれているのか分からないのに将来設計がしたい。だけど設計課題で作ったものは、技術以前にきっと大切なことであろう何かが足りない。悶々と建築学科生を過ごしていた時、あるネットの連載に出会った。

それは10+1というサイトの記事で、建築を「構築術」と「素材感」の二面から論じようというものであった。

この連載は西洋建築史について研究している人が書いたものだった。

時代とともに建築をひも解く考えは進化し続けていた。建築に対する概念の研究は時代と共に進んでいたことを知る。

彼は建築を、ルネサンス建築やゴシック建築などの様式概念ではなく、結構術と素材感という観点から紐解いていこう言うのだ。
私はまるでちんぷんかんぷんだった。

それなのにその文章が面白くて仕方なかった私は他の文章も読みたくて彼の書籍にも手を出した。

それはこの連載以前に出版されたもので、建築と時間について書かれたものだった。
その本は既存の建築に対する人の行為を3つに分け説明してある。


建築に対する人間の行為には、

・再開発(壊して建てる)

・修復、保存(現状維持が理想)

・再利用(今ある物を変えながら使う)


の3つがある。


日本では再開発(壊して建てる)の価値が高過ぎて、新築至上主義だ。最近のマイホームは一家族が住み終えたら粗大ごみ扱いではないかと問い掛ける事から始まる。
もちろんその本の内容も完全に理解できるわけがなかった。それでも面白かった。

もともと建築と時間の関係に興味はあったが、ここでやっと具体的に考察することになった。


こうして私は建築に体験ではなく、論理で近づき始めることとなる。恐ろしい事に学部4年生の4月、去年の4月の話であった。

より彼の説明を理解するためにまずはその記事で大事そうなキーワード、【結構】という言葉の理解を深めることから始めた。…どうやら【結構】を語る上で【被覆】というのが切っても切れない概念らしい。この二つのワードを調べることにした。


建築の【被覆】、【結構】というのは、建築を概念的に4つの要素に分けた内の2つである。これはドイツのゴットフリート・ゼンパーという建築家が提唱した概念だ。


下に記す4つの要素を見てほしい。

「建築の四要素」
・【炉】人は昔から火を中心に家を建てた(囲炉裏なんかを想像していただいたらよい)
・【基礎】神聖なる火を直接地面に置かないための盛り土。(構造体のうちの石工事)
・【枠組・屋根】これが結構にあたる。(構造体のうちの大工工事)
・【囲いの被覆】これが被覆。建築が纏うもの。

こう並べられると、この中の被覆と結構という言葉が何なのか、何となくなら分かると思う。

しかし、これをより理解していく時に言葉の解釈がこの30年くらいで変わっている事が分かった。これは私の卒論のテーマになった。

このnoteで語りたいのは研究の内容ではなく、研究を始めた事で自分が建築の何が好きかに気づいたという部分なので割愛しちゃう( ^ω^ )笑。一応頑張りはしたので梗概だけでもどこかで晒せたらなと思う。
とにかく様式というのは建築の1つの見方であって、それに縛られる時代は終わりかけている。

そして、被覆と結構について研究していくとどうしても「時間」の概念が関係しているように思える。

それに加えて彼の本やネットの連載を読んでいると四六時中建築と時間の関係でもう頭がいっぱいだ!私は建築と時間の関係により深く興味を持つようになった。

こうして(?)建築の何に惹かれているのかは分からないままでも、時代が進むと共に建築の概念の解釈は変わっていく事が分かり、言葉の意味も理解した。
ちなみにその概念の提唱者であるゼンパーが建てたオペラハウス(ゼンパーオーパー)にもはるばるドイツのドレスデンまで行ってみたが、興奮はしたけど感動はできなかった。(ヨーロッパ1のオペラハウスだと口コミに書いてたし凄いは凄い!)劇も観た。内容は全く意味は分からないが何故かそれも興奮した。パンフを買ったのでドイツ語翻訳にかけてみようと思う。
ホテルに戻った後で館内を撮った写真を見たら余りにもブレブレで本当に興奮して楽しかったんだろうなと思う。少しおめかしした西洋人がワイングラス片手に歩いている様は映画のワンシーンの様だった。ほぼブレていたので記憶を大事にしたい。


やはり建築体験で感動はできなかったが、それでも頭で論理的に建築に対する理解を深めていく行為はとても面白く、私はいつどんな時に建築を好きだと思うのかを分析する程度には知恵がついた。
すると、私が建築を好きだと思うのは建築の使われ方を見た時に起こる感情だと分かった。人の写り込まない建築の写真を見ても何とも思えなかった理由が明るみに出だす…!竣工時の写真に興味を持てなかった理由が!
結局私が建築に見ていたのは「人」だったのだ。

きっとゼンパーのオペラハウスに入ったのがツアーガイドだったらあそこまでの興奮は無かったのだろう。実際にホールで観劇して本来の使用用途をこの目で見られたからこその興奮なのだろう。
ただ保存して鑑賞するだけの建築は息を止められている。息をしていない建築で私は深く息ができない。まるで集中治療室のようではないか。

そして、「建築は好きだが建築に期待はしてない」というもともと私の中にあった謎の感情の意味が分かる。建築から人に対するアクションより、人から建築へのアクションに私は惹かれていたのだ。

宮崎駿は建築を見て、人がどんな風に使うのか妄想するらしい。
変態だと思った。
私も変態になりたい、とも思った。

そしてそれが私の建築体験で感動できない理由だと分かった。私にとって建築は人の営みだったからだ。生活や営みはそこにあるものだ。感動しに行くものではない。そこに煌めきやトキメキがあったとしても一瞬だけの滞在では分からない。宮崎駿のように妄想できれば感動できるのだろうか。私の仕事にそれは必要なのかな。必要かもな。
どんなに権威ある建築より、学校の教室や友達の部屋、中古で買った実家が好きだ。これは仕方のない事だ。私の性癖だ。


近所に建ち始めた一軒家が余りにも酷くて(仮設住宅かよ?みたいな家)、ひとりの人間にとって人生最大の買い物である宝箱を建てている自覚はあるのかこの建設会社は、と心の中で滅茶苦茶に文句を言っていた事がある。
それなのに人が住み始めて1年もすれば家自体への感情は愛しさへ変わっていった。この感情の変化は、時間が経ったことにより土地が建物を受け入れたことを自分が見抜いたのか?だとか見当外れな事を考えもした。今は人の営みが家に現れ出したからだと分かる。

だから私はそこを使う人たちが、そこに住まう人たちが、営みの中でキュンとくるような、大切に使いたくなるような設計をしたい。人が使えば使うほどその集積が建築の価値になるようなそんな設計。ここにたどり着くのに本当に時間がかかった。…だがこれをスタート地点だと思うのはやめよう!次は実際に働き出したらスタート地点?そういう考え方だといつまで経ってもスタート地点から離れられない。それは私の自信を奪っていく。そうだ私はとっくにスタートしている。私自身の蓄積は始まっている。

私にとって建築は目的ではなく手段なのだ。今の地点でそれが分かった。それでいい。
そしてこの考え、想いはいずれ変わっていく。何が“絶対”かは、仕方ないけど変わるのだ。

どうせその内、建築家の想いも構造もデザインも場所性も何でもかんでも建築にとって蓄積や!とか言って全てに興味が湧くだろう。それを体現できるのは大工しかない!とか進路を変えたり、この建築に感動した!!って叫んで回る日だって来るかもしれない。



そんな私すらも建築は許容するのだろう。

この私の告白はそんな人間への告白を介した建築への想いだったのだと知った。


P.S.あーだこーだ語ったけど本当に好きだ!建築たん!!人のために私と共に歩んでくれ!!よろしくう!



ちなみに今は学部を卒業し、ヨーロッパを放浪している。年齢でやるべき事を決めるのは辞めた。無職万歳。日本に帰ったらその連載の研究者の元へ行ってみよう。レッツ院進!!ワタシ賢くな〜れ!!☆まじ令和卍!


p.s.どこまでの匿名性の高さでこのnoteを書いていくかを決めきれないでいるから、この中で紹介した研究者の名前や連載、本はここでは公開しない。これから会いに行くのになんか恥ずかしいやん?気になるなら調べるといいと思う。「10+1 西洋建築史」とかで検索すればすぐに出てくるから。ていうか読んで。めっちゃ面白いから。

※写真は全てゼンパーオーパー。私が撮ったやつです。

自分の気持ちを分析して、自分に確認するように、想いを先へと進めるために書いたよ。


読んでくれてありがとうございました。



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