悪く見えてもそれだけではないこと。
自分のことで涙を流すってなかなか大人になってからしてません。しかしですね、滝のようにでることがありました。
私は、人の気や感情に同調してしまいがちで長らく自分とは?とわかりませんでしたが、近年、それも私だ、と思えるようになりました。
例えるなら、カメレオンのように変化してもカメレオンはカメレオンなので私も私だなというかんじです。
この心境も、やっと年を重ねて思えるようになってきたことです。
他人軸で長らく生きてきたことも気付いていないでした。
小さな頃から、自分の意見を言えたり自己主張したりする人をみると、あぁ、いいなぁ、あんなふうに言えたら気持ちいいだろうなぁとか思っていました。
社会人になってからは、実績もついてきて、会議で意見を申すことはできるようになったものの、プライベートでは自分が対ひとに対してあーだこーだパッと思い浮かんだ気持ちや感情を正直にいうことはなかった。
もし私がそう言ったらあの人はこう思うだろう、とか、そんなことを優先していました。
しかし、
ついに、そんなことどうでもよいわ!私はわたしを大事にしたいんだから!と思う日がきてしまいました。
外圧ってうまくできてて、一見、とても理不尽に見えたとしてもゆくゆくは起こるべくして起こったと思える時がきます。
なぜなら、その外圧がなければ、本当の自分がメリメリ前のめりに出てくることはなかったから。
気が落ち込む日もあるし、明るい日もあるのは、人間として感情があるからと思っています。
涙を流すのは感情があるからであって、死んだら物質的には何もなくなります。
目の前のことだけを見ず、俯瞰して見れた時、物事の本質に気付くことができることに気付いたので、こんな日もあると思って過ごすのは上手い方ではありますが、それでもやっぱり、感情は溢れ出てきて、もう限界ですよ〜と涙でお知らせしてくれるのだなとも思います。
いくつになっても子供のように感情のまま吐き出してみてもいいんだな思えたこの頃です。