
本庄遥選手 Skypeインタビュー
こんばんは。
7月になりました。
ここ数日の大雨災害で罹災されたみなさまに心からお見舞い申し上げるとともに亡くなられたみなさまにお悔やみ申し上げます。
7月と言えば高校野球の地方予選が始まり、下旬には熊本・宮崎・鹿児島・沖縄でインターハイが行われます。
私も先月中ごろ退院し少しずつ仕事を始めています。
そんな中、先日ソフトボールで世界に挑戦する選手にインタビューさせていただきました。
その人の名は 本庄遥 選手。
横浜生まれの東京育ち、創志学園(岡山)から
現在立命館大学の4回生です。
彼女との出会いはTwitterでした。
本庄選手のツイートを読んでいると
何やらでっかい夢を持ってるなぁというのが第一印象。
しかし、書いていることに説得力がありオフィシャルサイトを読んでみても
ソフトボールで世界に出て戦いたいということがひしひしと伝わってきました。
はじめは互いのツイートにリプライしあっていたのですが、
これはぜひインタビューしてみたいという気持ちが湧いて
コンタクトを取ったところ快諾頂き
今回Skypeでインタビューさせて頂きました。
本庄さん、本当にありがとうございます。
▼ソフトボールのスタートは小学生から
ソフトボールは小学校からスタートし、様々なポジションを経験した。
ピッチャーは物心ついたときからはじめていた。だいたい小2からかな。
小6にはエース。
子供会でソフトを楽しんでやっていた。
バッターは一番か二番がほとんどだった。
大きくなるまではセーフティーバントが得意。
俊足だったので運動会ではずっとリレーメンバーだった。
監督・コーチ陣から打てないからバントをさせていたという話
一番ピッチャーということもあった。
いまはピッチャーは打席に入らない。(DP制がある)
最近は球速が速い
小学校で74km/h(ピッチャー・本塁間:10.67m)
小学ではぼちぼちのレベル。
90km/hぐらいだと速いピッチャーと言える。
▼中学で強豪校へ
母が定食屋を営んでいた地区の学校へ
ひと山越える距離を自転車で45分かけて通っていた。
同級生にピッチャー3人
代表に選ばれる子とピッチャーで
もう一人は三振を取るタイプ
本庄さんは打たせて取るタイプ
3人で切磋琢磨して成長した。
★その子は昨シーズンで引退(日本リーグ ホンダでプレー)
▼高校 岡山創志学園へ
高校は後輩がレベルが高かった
1年下の後輩はインカレ優勝、2年下の後輩は全中優勝
3人でローテーション(エース)
後輩が立ったときもベストピッチングできる環境づくりに努める。
交代時に傾向と対策を共有していたが我は強かった。
高校のメジャー大会は春のセンバツ、インターハイ、国体
センバツとインターハイは制した。(国体は本大会に出られず)
インターハイは3年の時に優勝、決勝は先発だった。
防御率0.00をマーク
インターハイ岡山県予選でノーヒットノーラン、練習試合で完全試合
大記録は気にしたら破られるもので、
途中で気づいてしまってもいつも通りの感覚で投げていた。
パーフェクトなどを出すはあまり調子が思ったほど良くなかった。
調子がいい時は投げている時にわかりボールが甘く入ってしまう。
▼大学は立命館へ(今秋卒業予定)
★肩の怪我について
2回生の秋の大会後、肩が全く上がらず(リーグ戦あたりから違和感)
新人戦11月に最後の試合で肩が回りきれず垂直にあげるのが精一杯、
無理やり投げていた。
病院へ行ったら原因不明。
リハビリを行っても一向に治らず
4月に春リーグに間に合わないかもと言われ3年次はエースを指名される。
とりあえず投げ始めるが、チームメイトの親御さんの紹介で整体や病院へ行くもなかなか改善せずごまかしつつ投げていた。
インカレ2、3週間前に痛みが出る
少し練習も休みながらもズルズル投げていた。
▼オーストラリアへ行くきっかけ
本当は実業団へ行きたかったが、3年秋に進路を決めなければいけない。
どうしようか迷ったが実業団の夢が離れてしまった。
ソフトボールで採ってくれるとこがない。
そんなときにある日『アメリカのプロリーグにスカウトされた』夢を見た。
チームは実在していなかった。
自分は「海外へ行け」と言われているのかなと調べているうちに
なぜが豪州のチームが多くヒットした。
2008年の北京五輪では銅メダルだったオーストラリア。
まずは豪州でビザも取りやすくコストも安価だった。
しかし語学は全くダメだった。(部活生あるある。)
なぜか行くと決めていたのでなんとかなるだろうと思っていた。
日本人もいると思っていて、日本語標記もあるだろうと思っていた。
▼豪州でのプレー
ホームステイ先での会話も成り立たない。
自分の名前を言った後はちんぷんかんぷん。
まずはメールでやりとり、残りはボディラングエッジ
★日本とオーストラリアの違い
日本は学校と結びついている(クラブ活動)
オーストラリアはほんとに地域密着型で
地域の中で対戦することもあり自分の環境で移籍も自由で応用がきく。
ソフトボールをやめなくていい環境ができている。
豪州代表のメンバーとも小学生が対等に相談したり
バッティングなどもすぐに見てもらえる
日本のいいところは基礎ができている
技術・礼儀の部分で長けている。
守備力や駆け引きは日本が上
バッティングやパワーはオーストラリアは上
守備力をつけたら日本も手がつけられなくなるのではないかと思う。
行ってみて楽しい「ソフトボールは楽しいものだ」
ソフトボールは好きだったが、その中で勝つという使命感に駆られていた。
ソフトボールを勝ち負け関係なく楽しくプレーする大切さを学んだ。
▼今回のポーランド挑戦について
クラウドファンディングを行い目標はクリアした。
感触としてはやる前から成功はできるのは確信あった。
クラウドファンディングは2回目
1回目は100万円のうち1万円しか集められなかった。
次に活かしていきたい。
ヨーロッパで戦う意味…ヨーロッパはソフトボールが盛んではない
※今年の男子世界選手権はチェコで行われ日本は銀メダルに輝いた。
ソフトボール関係者でもヨーロッパで?という
日本での固定概念を崩したい。
日本人のソフト選手は希少価値が高い
日本人一人いるだけで勝っちゃうのではというケースもあるという。
豪州での留学で過去3年勝てなかったチームが2連勝して帰ってきた。
基礎の部分ができているので
ランナー2・3塁で
絶対打たないといけないという場面の空気が分かっているチームが強い。
実業団に行けなかった選手がそこそこのレベルだったら戦える。本庄さん自身も打率6割だった。
自己肯定感も高まり、それを知る環境を提供・認知したい。
今回のポーランド遠征はアメリカプロリーグへ行くための最終調整
滞在期間は2週間→日本→アメリカプロリーグへ
★アメリカプロリーグについて
チームに対して人数がやや少ない(20人ぐらい/チーム)
現在6チームの構成は
カナダ、オーストラリア(代表レベル)、中国の感じなチーム
純アメリカ 3チーム
日本人はいまはいない。過去は大卒後にプレーした選手はいた。
(経緯は分からず・エージェントを通していた)
2020に向けて一番の課題は海外でプレーした選手が代表になること理想
日本のソフトボール界で実業団に入らないと代表になれないという概念を崩したい。
大卒後実業団のテストで受からなかったら代表になれないという現状で、
ピークは25歳でくる選手もいれば30歳でくる選手もいる
理想は海外でプレーをして戻って来て代表に選出されること。
仮になれなかったとしても
どこかで2、3、4位のチームに入れる選手を作り出し
環境を作り出すことが目標
▼今一番大切にしていることは
いちばん近くにしている方を幸せにすること。
ソフトボール界でも徐々に認識されてきた。
男子にも声をかけられるようになった。
応援してくださっている人を大事にしながら
身近な人を幸せにしたい。
▼今後の予定について
・7月・8月 クラブチーム『てっぺんレッドスターズ』でプレー
・8月中・下旬 ポーランド代表でのヨーロッパ遠征
・9月 報告会
・10月 アメリカのプロテストへ
アメリカの結果次第でカナダへ行くことも検討中
という本庄遥選手でした。
SNSなどでもたくさん情報発信していますので
アクセスしてみてくださいね。
イベントも8月9日に行われるとのことで、
本庄さんご本人と直接お話ししてみるのもいいかも。
アメリカプロテスト前の報告会はぜひ取材に行きたいなぁ。
本庄選手ありがとうございました。
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