笑顔に対する恐怖
私のFacebookの友達は125人くらい。友達といっても、話したことがない人もいれば高校のクラスが一緒だっただけの人もいる。私は交遊関係が狭いから、誰がどこの大学に行っただとかどこの国にいるなどの情報収集のためにはこのアプリは欠かせない。
高校時代のクラスメイトたちは留学、東南アジア諸国でボランティア、差別に立ち向かうサークルに入ったりアパレルブランドを立ち上げるなど、それぞれ活動に勤しんでいる。
一方で私は大学で映像系の部活に所属して、先輩から声をかけられれば演技をするなどして非常にゆるく活動している。
Facebookを開くと自分の至らなさを酷く実感する。みんな就活で困らないようにきちんと話題を作っているじゃないか。私は何をしてる?特に目立ったことはせず、言われた演技だけをしてる。
何かの役を演じることは好きだ。演技をしている間はダメで至らない自分を忘れることが出来るから。
しかし、その演技でも苦手なことがひとつある。笑顔だ。笑顔に関しては嫌な思い出が数えきれないほどある。バイト先でも高校時代の友人にも、中学時代の塾の先生にも、あなたは笑顔が無い、下手だと指摘された。
バイト先の店長に、笑顔のトレーニングを自分でググって練習してきてと言われたのが特に痛かった。
しかもそれがバイト禁止の高校から卒業してからの、人生初のバイトだったから店長の言葉は尚更私の胸に鋭く突き刺さった。
そのバイトはキツくて数日後にすぐ辞めた。辞めたあともバイト先のブログで「笑顔について」とか「今は笑顔が無いアイドルが流行したり、笑顔が無いのがいい風潮がある」とか、いろいろ書かれた。
それから他人から「笑って」と言われるのが怖くて恐ろしくて、鏡の前で何度も笑う練習をしたりした。そのうちその練習も辛くなって涙が出てきたから止めた。
その後のバイト探しは苦痛だった。「あまり接客業はやりたくないな、対モノの仕事は何か無いかな」とか考えながら探し続けた。でも探し続けるうちに「自分で悪い方向に逃げてないか?」と思うようになり、勇気を出してカラオケのバイトに申し込んだ。
カラオケで一緒に働いていた上司は「そのうち慣れるわよ~」と声をかけてくれたり、バイトリーダーは「キツかったら言ってね」と気を使ってくれたおかげで、私は自分から自然に笑顔が出せるようにまでなった。
一緒に働いていた身内だけではなく、常連さんも私が笑顔になれた理由だ。常連さんは「あら~新人の子?頑張ってね!」とよく声をかけてくれたし、何より嬉しかったのが店内アンケートのハガキの「輝いていたスタッフはいますか?」という欄に私の名前が書かれていたことだ。
これは何よりも嬉しかった。週に数回しか働かず、笑顔ができるようになったとはいえ、たどたどしかった私の名前を書いてくれたのだから。笑顔以外の通常業務も頑張っていたが、その頑張りを見ていてくれていたのが心に響いた。あいにく、そのカラオケバイトは閉店のため退職したが良い経験となった。