初夏の桃香

 俺は幼いころからたまに精霊とか妖精みたいなものと出会うことがあった。自分にだけ見えていて他の人には見えていない。そのせいで同年代の子供や大人たちから不思議な子として扱われていたのを覚えている。
 なぜ自分にだけ見えたり話せたりするのかが分からなかったが、今となってはなんとなくわかる。たぶん人間にも周波数みたいなものがあって、それが俺の場合一般的な人間より少しずれているのだろう。
 最初は見えるだけだったが今となっては声が聞こえるしこっちの言葉も相手に伝わるようになった。半面、人間以外と関わったせいか人間の感情や思考パターンにはだいぶ疎いと自分でも思う。
 人混みは疲れる。何を考えているか分からない人に囲まれると何もしていなくても気疲れしてしまう。だからこうして人とあまり関わらなくて済む果樹園の収穫バイトは天職だった。
 収穫は丁寧にしなければならないし、結構な広さの果樹園での収穫は重労働だ。農場主夫妻だけでは手が回らないのだろう。
 俺が初めて見た果物の精霊はそんなバイト中の出来事だった。

「もーもーよーこーせー」
 気の抜けるような緩い声が聞こえたのは昼過ぎに収穫した桃を箱詰めしているときのことだった。
 声の方向を向けばそこには気怠そうにふよふよと浮く少女がいた。髪色と同じ薄ピンクの着物—どちらかといえば古代中国の衣装に似ている気がする—を着ている。
 彼女の頭上には自身がなんの精霊かを主張するように童話でどんぶらこと流れてきそうな桃が乗っている。

「わるいけどこれは商品だから渡せないよ」
「がるるるるるる…」
 両手を爪立てて妖精っぽくない威嚇をしているが小柄なのもあって怖さはない。むしろかわいいくらいだ。
「威嚇したってあげないよ。僕の畑じゃないからね。農場主さんにもらえればいいけど、旬の時期にくれるとは思えないし」
「むー」
 かわいらしい妖精さんは頬を膨らませて不満げな様子。だけどこればっかりはどうしようもない。
「おーい、そろそろ休憩にしよう」
 振り返ると、麦わら帽をかぶり柔和な表情のおじさんがいた。
 腕時計を見れば三時過ぎ、昼食をとってからもうそんなに経っていたのかと驚く。
「いやー、若いっていうのは良いね。今日だけでもう結構な量の収穫してもらってる。君は丁寧な収穫してくれるから助かるよ」
「黙々とする仕事は好きですから」
「それは結構、でも無理はしないでね。これでも食べて元気出して頑張ってくれ」
 元気無いように見えたのかなと若干のショックを受けながらおじさんに差し出された器を受け取る。
「桃だ。収穫時期なのに大切な商品をいいんですか」
「一個くらい構わんよ。安い時給で働いてくれてるんだ。遠慮せず受け取ってくれ」
 礼を言うとおじさんは自分の持ち場へと戻っていった。
 切り分けられた桃をフォークで刺して口へと運ぶ。
「うまっ」
「じー」
 忘れていた。
 桃欲しがってる妖精が後ろで物欲しそうに見ている。
 果肉を一切れ刺し、今度は妖精の口へと運ぶ。
 妖精はぱくっと頬張ると両手で頬をおさえながら幸せそうに目を細めている。
「そういえば君はなんて言う名前なの?」
「もぉもぉみぃ」
 もきゅもきゅと咀嚼しながらの発音だけど不思議と不快感はない。これが妖精パワーか。
「桃水ちゃんだよぉ」
 口の中の桃を食べ終わってから再度名前を教えてくれた。ご丁寧にどうも。

「ももっ、ももー」
 桃を食べ終えて桃水は満足げだ。
 7割方桃水が食べてしまったのだが、これだけ幸せそうならまあいいか。
「器返しに行ってくる」
 そう言うと桃水は首を縦にこくこくと振る。

 歩いている最中に見慣れない軽トラックを見つけた。知らない中年の男も。
 今日収穫予定じゃない場所だ。少し様子を見てみるか。
 桃を人差し指と親指で摘まむようにもぎ取りトラックへ載せていく。
 あんな収穫の仕方したら指で触った部分に圧力がかかって桃がダメになる。

 バイト以下のド素人、そう思わずにはいられなかった。
 
 聞いたことはあったが自分が遭遇するとは思わなかった。盗品を軽トラックで破格で売る業者。
 キョロキョロと周りを気にしている様子から自分がやっていることを理解しているんだろう。だからこそ質が悪い。
 あからさまな悪意を感じて眉間に力が入るのを感じる。不快だ。
 ズボンのポケットからスマホを取り出し、電話アプリを開く。
「・・・」
 すこし考えてアプリを閉じてスマホを車に向ける。
 軽トラックの周りをぐるりと回ってからおじさんの居る所へと歩いていく。
 ここで問い詰めても逃げられるだけだしな、とりあえず報告だけしに行こ。

「はぁ、そんなことが、、」
 報告を聞いて現場に行ったおじさんはショックを受けたようだ。
 もうそこに軽トラはなく、もう行った後のようだ。
「警察に届け出を出した方がいいですね。スマホで動画取ったので顔も車のナンバーも分かりますし、良ければ情報提供しますよ」
 スマホで撮影した動画を見せながらそう言うとおじさんは納得したようだが、警察への届け出は躊躇しているようだ。
 そして、その後簡単なお礼と今日はもう帰っていいという旨を伝えた。
 ニュースや新聞で見る被害を自分自身が被ればかなりのショックだったんだろう。

 帰り支度のために果樹園の入り口に向かう途中で、桃水に会った。その顔はご機嫌斜めなご様子だ。
「なんであの男を泳がせたの」
「見てたのか」
「なんで」
 口調がはっきりしている。言葉からも不機嫌なのがすぐわかる。
 桃が大好きな桃の妖精が桃を盗まれたら怒りもするか。
「証拠を集めて現行犯で捕まえるため、かな」
「現行犯を見つけられるの?」
「俺だったら盗んだものなんかさっさと手放したいと考えるかな」
 スマホの画面で近くの駅を調べる。
「大体の盗難品をたたき売りしてるのって駅前みたいだし、わざわざ盗んだものを正規の方法で売ろうとするとは思えないからね。桃水もついてくる?」
 桃水はこくりと頷く。
「じゃあ、行こうか」

 夕方の駅前は人が結構いるな。
 そして見覚えのある軽トラも見つけた。
 予想通り破格の値段で売っている。自分が育てたわけじゃないからその値段で売れるんだろうな。
 隣を見れば桃水は凄い形相で男の顔を見ていた。
 果樹園で下手に接触してたらもっと離れた場所で売っていたのかもと思うと結果的によかったのかな。
 駅前には大抵交番が近くにあるから助かる。
「すみません、あそこの軽トラの桃販売についてなんですけど…」

「ありがとうございました。ではお願いします。」
 事情説明に手続き、もうぐったりだ。
 あとは然るべき対応を期待するだけかな。
「むーー」
 桃水はまだ不満げな様子。
「俺にできることはこれ以上ないよ。さ、帰ろ。また明日果樹園に収穫に行くからさ、ね」
 こくりと頷く桃水に別れを告げ、それぞれの帰路に就く

 翌日、果樹園の近くまでのバスに乗りながらネットニュースを眺めていた。
 軽トラックの衝突事故の記事だ。それもただの事故じゃない、トラックは衝突して扉は外れ、フロントが押しつぶされているのだが何に衝突したのかが不明なのだそうだ。近くに電柱や追突された車はなく、警察にも連絡が入ったのはトラックの運転手だけだという。運転手は連絡の後に意識を失い入院しており経緯が不明とのことだ。
 そして俺が気になったのはその車の荷台には桃が散らばっているのだ。昨日見た車とは違うが、偶然と片付けるには奇妙だ。
 桃水に聞いてみるか…

「ももみちゃんはしーらないっ」
 そっぽむいて桃水は言う。十中八九黒だろう、でも隠したがっている様子だし踏み込むのはやめておこう。原因不明で入院させられるのは御免だ。
 この妖精が何者なのかはほとんど分からなかったが、少なくとも分かることが一つはある。
桃の妖精の逆鱗に触れることだけはするべきじゃない。

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